11月12日。




「ちょっと付き合うアルよ、氷室」

学食で昼食を食べた後、食器を返却口に置きながら劉が声を掛けてきた。

「いいけど、どこ?」

「購買」

「OK」

氷室は快く声を返し、劉とともに食堂を出た。
スタスタと先を歩く劉はなぜだかいつも以上に足早で、だから氷室は劉が買おうとしている物には選択肢があって、選ぶ時間を考慮して急いでいるのかもしれないと単純に思った。「何買うんだ?」と尋ねたが、劉の返事は「ン、」という答えにならない声で、氷室は仕方なく、黙って劉の後を追う。

購買にはネクタイや校章の他、主に文房具が売っているが、それ以外にもパンやおにぎりといった軽食や、少しの菓子類も置いてある。購買に辿り着いた劉は迷わずに菓子売り場に向かい目的の物に手を出そうとしたが、ふと手を止めてレジカウンターの向こうに座る年配女性の方を見た。

「おばちゃん、ポッキー売り切れアルか?」

劉と女性の間には商品の棚があったが、身長203センチの劉の顔は椅子に座っていてもゆうに確認ができた。

「ああ、悪いねぇ劉君。何だかよくわからないけど昨日ポッキーがバカ売れしてねぇ、プリッツならあるんだけど」

「プリッツアルか」

「ごめんねぇ」

「イヤ、平気ネ」

棚越しに手を上げて笑ってはみせたものの、劉はガシガシと後ろ髪を掻きながら、「仕方ねーアル」とため息交じりに吐いた。「オレ、プリッツ好きだよ?」と言って見上げてきた氷室の訳知り顔が何だか気に食わない。劉は眉を顰めてしばらく氷室を見下ろしていたが、やがてチッ、と小さく舌打ちをして、残りひとつのプリッツの緑色の箱を鷲掴みにすると、氷室を置き去りにするようにさっさとレジへと向かった。

「付き合えって言ったの劉じゃないか」

何が不満なのかは分かるような気もするし、全くの見当違いかもしれない。小声で呟いて、氷室もレジへと向かった。





劉の歩く速度がさらに速くなる。2階を通り越し、自分たちの教室がある3階も通り越してそのまま階段を上がり続ける。最上階の4階までやって来ると、劉は1年生の教室の前を歩き始めた。全国大会レベルのバスケ部のレギュラー二人が歩けば当然注目を浴びる。特に氷室の女子人気は絶大だ。たまたま昼休みの廊下にいた1年生たちは劉を高く見上げ、氷室には黄色い声が上がる。一体どのクラスに用があるのかと思っていると、劉は1年生の教室をすべて通り過ぎ、その先の角を曲がった。曲がった先には、生徒会室や会議室といった普段は使われない教室が並んでいる。

「どこまで行くんだ?劉」

「すぐそこ」

「この辺どこも鍵締まってるだろう?っていうか何しに行くんだ?」

「…………」

何しに、だと?白々しい。

「べつに無理に付き合わなくてもいいアルよ」

「えっ……?」

ひどく意外そうな声を上げたきり、氷室は黙ってしまった。
ほら見ろある程度のことは予測しているんだろう?お前も。

期待しているんだろう―――?


静まり返った廊下の最奥を曲がると、そこには先ほど上がって来たのと反対側の階段がある。劉は階段を上り始めた。踊り場をひとつ超え、最後の階段を上がるとその先に、スチール製のドアが見えた。ドアを開ければそこは屋上だ。

「なぁ、劉」

「なんだ」

「屋上に出るのか?」

「見てのとおりアル」

何か言いたいのかもしれないが、それでも氷室は付いて来る。階段を上り切り、劉はドアノブに手を掛けて、屋上への扉を開いた。




「いくらなんでも寒くないか?」

氷室は少しだけ辺りを見回し、いかにも寒そうに自身の体を抱きしめた。晴れてはいるが、ドアと壁が日陰を作り、日差しはない。劉は寒さに震える氷室の腕を強引に掴んで引いた。「日なたに行くアル」と言ってドアの裏側の南側に回ると、真昼の太陽の光が差して寒さは幾分ましになる。劉は何も言わずに壁を背にして座り込み、プリッツの箱を開け始めた。ちらと見上げた目線はおそらく催促なのだろう。氷室も劉の横に腰を下ろした。

「ポッキーゲー……イヤ、プリッツゲームするアルよ、氷室」

箱の中のアルミの袋を開けて、劉はプリッツを一本取り出した。

「ポッキーの日は昨日だろ?」

「オマエは田中とやってたけど、ワタシ誰ともやってねーアル」

話は前日に遡る。ポッキーの日当日の11月11日、クラスの男子でジャンケンに最も負けた同士がポッキーゲームをするという何とも男子高校生らしい阿呆な企画が持ち上がった。女子の視線は一斉に氷室に注がれたが、「お前ら何期待してんのか知んねーけど、世の中そう思い通りにはいかないぜ」というこの企画の発案者の言葉に「そりゃそうだ」と誰もが頷いたというのに。氷室は見事にジャンケンを負け抜いて、野球部の田中とポッキーゲームをすることになったのだ。

「しょーがないなぁ」「しょーがねぇな」と机越しに向かい合った二人がポッキーの端と端を咥えると、それだけで女子からは悲鳴が上がった。ポリポリと食べ始めたところで、まるで当たり前のようにごく自然に氷室の顔が傾けられると女子からはさらに悲鳴が上がり、「てめー何やってんだよ」と氷室は後ろから脳天にチョップを食らい、頭を掴まれて傾いた顔は真っ直ぐに戻された。10センチ……5センチ……3センチ……と二人の唇の距離が縮まる度に、外野からは「行け!田中!」だの「氷室の唇奪ったれ!」だのといったからかいの声が上がる。やがて最後のひと口がどちらかの口内に収まり、その瞬間こそ女子の甲高い悲鳴と共に「ついた?」「今唇ついただろ!」と問い質す男子の声も飛び交ったが、次第に声は小さくなり、ついには誰も言葉を発しなくなった。その場がシンと静まり返り、皆が田中に注目している。なぜなら田中は小さく口を開いたまま放心状態なのだ。それに気付いた氷室が「ゴメン、ついちゃったな」と顔を覗き込んだものだから田中の顔はボン、と赤く染まり、女子は皆、目の前で起こった事実に悶え呼吸困難に陥った。男子はもしこれが自分だったら田中と同じ状態になったのではと思うとからかうにからかえず、「え、どうしたんだ?これで終わりだろ?」と不思議そうに周囲を見回す氷室に対して首を縦に振るしかなかった。
そして早々にジャンケンに勝っていた劉はその様子を遠巻きに眺めていたが、氷室が去ったところで興味を失ったように自分の席に着いたのだった。


「何だよ、やきもちか?」

「んなワケねーダロ」

付き合ってるわけでもないのに。

「氷室は女だけじゃなく男もたぶらかすアルな。田中、悲惨だったアル」

「人聞きの悪いこと言うなよ。あんなのただのゲームだろ?」

「だったらワタシともゲームするアル」

「素直にキスしたいって言えばいいのに……」

「ワタシは!ポッキー……じゃなかったプリッツゲームがしたいだけ!アル!!」

「はいはいわかったよ、プリッツゲームな」

氷室はくすと笑って肩を竦め、ゲーム開始の合図を待った。劉はプリッツを袋から一本取り出して二本の指先で真ん中を持ち、それを氷室の顔の前に差し出した。二人は顔を近付けて、ほとんど同時に端と端を咥える。劉の指先がプリッツから離れるのと同時に、ゲームは始まった。

真ん中から折れたり落っこちたりしないよう、息を合わせてひと口、またひと口と、細い棒状の菓子を噛み砕く。舌先に塩味を感じると、べつに甘い菓子の方が好きなわけではないが、前日すでにチョコレートコーティングされたポッキーでゲームを体験している氷室は、劉となら甘い方が良かったな、などとぼんやりと思った。劉のひと口は先を急ぐかのように大きくて、あっという間に唇が間近に迫る。お互いの表情が近過ぎてわからない距離まで近付いたところで、鼻と鼻の先がぶつかった。二人は当たり前のようにそれを回避して互いに顔を傾ける。ゲームは瞬く間に終わり、唇が触れた。

唇を触れ合わせたまま、口の中に残っている菓子を咀嚼する。劉が先にそれを飲み込み、続けて氷室も唾液とともに飲み下す際に喉が小さく鳴ったのと同時に、劉は氷室に深く口付けた。大きな手で氷室の後頭部を支え、貪るように唇を交じり合わせる。性急に舌を差し入れた口内は少しの塩味がしたが、いっそそれを味わうように劉の舌は氷室の口内を侵し、氷室もそれに応えようと舌を絡めた。いつの間にか氷室の頭は壁に押し付けられて、壁に擦られた後ろ髪がざりざりと音を立てている。髪が何本か千切れているかもしれないが、それでも構わずに氷室は劉を受け入れた。





「今日はずいぶんとがっついて来たな」

漸く解放された氷室は軽く息を切らせながら、乱れたであろう後ろ髪を手のひらと指先で梳かした。劉は満足したのかしていないのかよく分からない無表情であったが、よくあることなので特に気にはならない。

「氷室切れアル」

「何だい、それ」

小さく笑って尋ねる氷室に、「もう一週間も触ってないアル」と答えながら再び顔を近付けてきた劉の口を氷室は咄嗟に手のひらで覆い、ストップをかけた。

「なぁ、劉」

「ン……」

「劉は、オレのこと好きなのか?」

「…………ハァ?」

覆った手のひらの中に響いた劉の声は、くぐもって聞こえる。劉は氷室の手首を掴んで手を退け、心底嫌そうな表情で氷室を見下ろした。

「自意識過剰も大概にするアルよ」

「えー、ひどいな」

「そういうオマエはどうなんだ」

「オレかい?」

うーん、と少し考えてから、「オレは好きだよ、劉のこと」と答えて氷室は微笑む。

「良きチームメイトで、良き友達だ」

そこに恋情は含まれてはいない。劉は「ハッ……」と失笑を洩らし、氷室の脇に手を入れて、立つように促す。氷室は劉に誘われるままに立ち上がり、足を開いて膝を立てて座っている劉の足の間に後ろ向きに体を割り込ませて座った。劉の大きな体は屋上の冷たい空気を遮り、奪われた体温が徐々に戻るような温もりが感じられる。

「ワタシもその程度なら氷室のこと好きアルよ」

「そうか?じゃあオレたち、両想いだな」

「意味がちげーアル」

本当は違わないのかもしれないけれど。それをお互いが認めるにはあまりにも今さらで、口付けや、それ以上の行為に及ぶよりもきっと、照れ臭くて恥ずかしい。劉は後ろから氷室を抱きすくめて、耳朶を唇で挟んだ。「ん、」という声が洩れて、氷室は肩を竦める。劉は構わずに氷室の耳朶を舌を使ってしゃぶり始めた。何度も肩を震わせる氷室のワイシャツの襟を後ろから強引に開き、露わになった首筋に顔を埋め、つぅ、と舌を這わせる。「はぁ……」と吐息を洩らし、氷室は劉に寄り掛かってその身を預ける。首筋にキスを落としながら、劉の手は氷室のズボンからワイシャツの裾を引き出した。氷室は抵抗する様子もなくされるがままであったが、シャツの裾から劉が手を差し入れたとき、冷え切った手が腹筋に触れて、氷室の口から「冷た……っ」という驚きの声が上がった。寒空の下にいたので、体も手足もかなり冷えてきている。

「冷たいよっ、劉」

「じゃあやめるアルか?」

「…………」

氷室は無言で、小さく何度も首を横に振った。

劉の長い指先が腹筋をなぞり、それは徐々に胸筋へと移動していく。冷たい指先が胸の突起を掠めると、そこは敏感に反応して、氷室の体がビクッと揺れた。さらに乳首を摘まんでくりくりと捻れば、氷室の口からはいかにも感じた風な短い声が何度も洩れ響く。

「あっ、あ……っ、ん、劉……なぁ、早く……っ」

「して欲しかったら自分で出せ」

「……ん、」

劉の声に誘われて、氷室は自らズボンのベルトを外し、ファスナーを下ろした。腰を少し浮かせ、ズボンと共に下着も少し下ろし、下着の中から勃起しかけたペニスを取り出す。

「これで、いいか?」

「ああ、素直な氷室はワタシ、好きアルよ」

ふとほくそ笑み、劉は氷室のペニスを大きな手でそっと握る。「ああぁ……」と満足げに洩れた声が堪らない。親指と人差し指で輪を作り、根元からゆるゆると扱き上げれば氷室は「やばいやばい」と繰り返し、体を捩って劉に口付けを求める。劉はそれを無視して右手でペニスを、左手で乳首を、唇で耳の下あたりを弄り、愛撫し続ける。

一日で一番長い昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴っている。あと5分で午後の授業が始まる。それでも氷室はより劉の大きな手を求め、劉もそれに応えた。
溢れ出す先走りを手に取って扱けば、氷室のそれは容易に限界を迎えた。

「劉、も……、出る……っ」

「大丈夫だから、イくアルよ」

何時になくやさしい声に酔い痴れるように、氷室は達した。放たれた精液は屋上のコンクリートの地面へと飛び、残って雫を垂らす白濁色の液体を劉は手のひらで受け止める。射精した氷室の表情には屈辱も恥辱もなく、劉に向けて満足げに薄い笑みを浮かべた。

「オマエ、ほんっとやらしいアルな」

「だって気持ちいいぞ?劉もメッチャ勃ってるじゃないか。オレがイかせて―――」

「それはノーサンキュー」

氷室の声を遮って、少し残っている氷室の先端の精液を劉は手で絞り出した。綺麗に拭ったはいいがティッシュもハンカチも持ってはいない。仕方がないのでだらしなくズボンからはみ出した氷室のワイシャツの裾でそれを拭うと、「待てよ、シャツがパリパリになるだろ」という抗議の声が上がったが、「じゃあ今日は洗濯の日ネ」と言って劉は可笑しそうに笑った。

もうずっと、尻の上あたりに劉の昂りを感じている。それでも劉はいつでも、自分はいいというのだ。その理由をいろいろと考えてみたのだけれど、明確な答えは見つからないままだ。勃起しているのだから不能なわけはない。それならば……。

「劉さ、触られたくないのってもしかしてまだ剥けてないとか―――」

と言いかけたら途中でゴン、と後頭部に頭突きを食らった。「痛……っ」と思わず声を上げたがそれ以上に痛かったのは寧ろ劉の方で、「ってェ……っ」と叫び、勢いに任せてぶつけた額を擦っている。

「バカにすんな!風呂で何度も見てるダロ」

「そうだけどさ、じゃあ何でオレが触るのはダメなんだ?」

劉の胸に凭れ掛かり氷室が尋ねると、劉は背後から氷室を抱きしめて、耳元でそっと、囁いた。

「歯止めが効かなくなる」

「……え?」

耳の穴に吹き込まれた声に、氷室の体はビクンと震えた。本鈴が授業の始まりの合図を告げたが焦る気持ちなど湧いては来ない。劉はさらに、囁いた。

「ワタシ、何するかわからない。氷室に突っ込みたくなるかもしれないアル……」

それでもいいのか?という問いに、氷室は俯いた。少しの沈黙が流れ、やがて氷室は後ろを振り返ることなく俯いたまま、「少し、考えさせてくれ」と言った。
歯止めが効かないとか、突っ込みたいとかそういう言葉が何を意味するのかは、これだけの行為を成している間柄で分からないはずがない。氷室は顔を手のひらで覆い、さらに深く俯いた。

「冗談アルよ」

劉の声にピクリと反応して、氷室は劉を振り返った。劉の長い腕は、変わらず氷室をやさしく抱きしめる。

「授業始まっちまった。早く戻るとヨロシ」

「劉は?」

「ワタシ、腹壊して保健室行ったネ。氷室はその付き添いで授業に遅れたアル」

「…………」

「オイオイ、神経図太い氷室に気ぃ遣われるとキモいアル」

「ひどいな」

氷室は何だか泣き出しそうな顔でそう言うと、劉の腕からするりと抜け出して立ち上がった。シャツの裾をズボンに入れ、ベルトを締めて身形を整える。

「なぁ劉、オレ、劉にだったら……」

「聞きたくねーから早く行け」

言いかけた言葉は、聞く耳を持たない劉の声に遮られた。氷室は仕方なく、身を屈めて劉の前髪を掻き上げると額にキスを落とし、「じゃあ行くな」と言って背を向け、屋上を後にした。




ドアの締まる音がして氷室が去ったことを知ると、劉は気が抜けた風に肩を落とし、大きなため息を吐いた。

下半身はいまだに昂ったままだ。しばらくここでやり過ごそうか、それとも自分で―――。
いや、トイレに行って小便をして、腹は治ったと言って教室に戻ろうか。


劉はゆっくりと、雲の掛かり始めた空を見上げた。


「好きだ、氷室」


伝わることのない囁きにも満たない小さな声は、冷たい風に流されて消えた。





 

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