2/2 コンコン、 とノックの音がしたので「どうぞー」と答えたのだが、ドアの向こうからの反応がなかった。不思議に思い、劉は机に向かい座っていた椅子から腰を上げて部屋の入口へと向かい、そっとドアを開けてみた。目線がドアの上部よりも高くなってしまう劉は来訪者を見下ろそうと視線を下ろしたのだが、向かいに立つ相手もまた、顎から上がドアよりも高く顔を見ることができない。こんな来訪者はただ一人だ。 「どうしたアル?アツシ」 劉は少し身を屈め、首を傾げて覗き込むようにしてドアの向こうに立つ人物の顔を見上げた。 「ちょっと、入ってもいい?」 「あ、ああ、いいアルよ」 めずらしいな、と思った。いつもならば、ノックをするかしないかのうちにドアが開き、確認などせずに平然と部屋に入って来るというのに。帰り道で何だか少しおかしな雰囲気にはなったが、あれから寮に帰って別々に食事を取り、別々に風呂に入って現在に至る。正直なところ劉はすでにさっきのことは忘れていて、今は机上のパソコンでアイドル動画の閲覧に興じていた。 「なにアルか?」 「うん……あのね、劉ちん」 まぁ座れ、と勧める椅子もないのでベッドの上を顎で指したが、紫原は小さく首を横に振ってそれを断った。ふむ、と息を吐き、劉は今まで座っていた椅子にドサッと腰を下ろす。 「なんか相談ごとアルか?」 「相談っていうか……お願い?」 「いつも半強制的なオマエがしおらしくお願いとか、熱でも出たアルか?」 「あー、うん、ちょっと熱っぽいかもー」 「マジか?」 どれどれ、と劉に手招きをされて、紫原は腰を折り、座る劉に額を差し出した。劉の手が、紫原の額を覆う。けれど触れてみればどちらかといえば劉の手の方が熱いくらいで、「熱はねーアルよ」と言ってぺちっと額を叩いたら突然手首を掴まれて、ぐいと引き上げられた。椅子から腰が浮き、劉は半ば無理矢理立ち上がらされる。額を叩いたことが癇に障ったのかと思い「悪かったヨ」と詫びたが、紫原は「そーじゃねーし」と答えると、まるで子供みたいに口を尖らせた。 「じゃあ何ダヨ」 「あのさ、劉ちん」 「ン?」 「ハグして、いい?」 「…………ハ?」 なに言ってるんだコイツ、というのが率直な感想だった。そんなお願い生まれてから一度だってされたことはない。ハグしたことがないわけじゃない。例えばバスケで強豪校に競り勝ったときに、チームメイトと。例えば母国に一時帰国してまた日本に戻ってくるときに、母と。理由があればそういう感情も湧くものだが、今はどう考えても理由がない。少なくとも、こっちには。 「どうしたアル?ホームシックか何かアルか?」 「そんなんじゃねーけど~、うん、でもちょっと近いかも」 「らしくねーアルな。話してみろ」 「だからぁ、ハグしてくれたら……話す」 「…………」 眉を顰めて紫原を睨んだが、当の本人はかつてないしおらしい表情で見つめ返してくる。暫しの沈黙の後、劉は「ハァ~……」と長いため息を吐き、続けて「チッ」と短い舌打ちをした。 「ほんっとにオマエはときどきお子様になるアルな」 「だってオレ末っ子だしー」 理由になってねーアルよ、と独り言のように呟きながら、劉は仕方なく両手を紫原の背に回し、その巨体を軽く触れる程度にぎこちなく抱いた。紫原はそれよりももう少し力を込めて、自分よりも細い劉の体を抱きしめる。互いの頬と頬が触れて、その感触に驚いた二人は即座に顔を避け、お互いの肩に顎を乗せる様な格好で、頬が触れない距離を保つ。どくん、と心臓が大きく鳴って、本当は頬を触れ合わせたままがいいと思ったのだけれど、それを口に出したら絶対離れていってしまうと分かっているから、紫原はぎゅっと口を噤んだ。 「ホラ、早く話せ。で、体も早く離すアル」 劉の声は、互い違いになった頭の後ろの方から聞こえた。 「劉ちんてホントときどき上手いこと言うよね」 「話す気ねーならさっさと離れるアル」 「え、ウソウソ。んーー、あのね……」 紫原は、ぽつりぽつりと話し始めた。 「さっき一緒に帰ったじゃん?そのとき…オレと劉ちん、歩調がおんなじだったの」 「そりゃまぁ、似たような身長だからな」 「そうなんだけどオレ、あんなこと今までなかったからなんかすげー嬉しくて、小さい頃からずっと人と違った目で見られてきたからココに入学したときも岡ちんとか劉ちん見たときなんかすげー安心したって言うか……」 そんな素振りは一切見せなかったが、そんなことを考えていたのかと思うとほんの少しこの後輩が愛しく思える。紫原はさらに一方的に話を続ける。 「いっつも何だか化け物でも見るみたいな視線感じててさ、でもそれを気にしてるって思われるの癪だし、ねぇ……劉ちんは?そういうこと、なかったの?」 「うーん、ワタシの国、日本と人口の分母が違うネ。同じくらいのヤツも日本ほど珍しくなかったアルよ」 「あーー、そっかぁ~」 つまり劉は、自分ほど奇異な目で見られてはこなかったということか。 そういえば、と紫原はこの学校に入学して初めて劉と対面したときのことを思い出した。あの日、彼は「ワタシよりデカいヤツに会ったのオマエが10人目ネ」と嘯いてニッと笑った。この身長なのに10人目とか、何て胡散臭い中国人だろうともの凄く訝しげな目で睨んでしまったが、あの言葉は嘘ではなかったのかもしれない。「ゴメン、劉ちん」という声が自然と洩れて、抱き締める腕に力が込められた。「それはなんのゴメンアルか?」と劉が訝るのは当然で、けれど今の紫原にはそれに上手く答える術が無い。「いろんなゴメン」と答えたら劉は小さなため息を吐いて、それでもぽんぽんと、紫原の背中をやさしく叩いた。 胸の奥で、どくん、と大きく何かが動いた。 胡散臭いと思ってゴメン。言うこと聞かなくてゴメン。口答えばっかしてゴメン。もっと強く抱き締めたいと思ってゴメン。抱き締めるだけじゃ足りないと思って……ゴメン。 「ねえ、劉ちん」 「何だ?そろそろ離れてもいいアルか?」 「んーー、もうちょっと……ってかさ」 「ウン?」 「ちゅーして、いい?」 「ハァ!!??」 いーわけねーダロ!!と怒声を上げて、劉は紫原の体を引き剥がしに掛かった。が、体格の差から腕力は紫原に軍配が上がる。203センチ91キロのこの体で力負けするのは悔しいという感情もあったが、それ以上に、アツシが相手じゃ仕方がないという思いが上回る。それでもさすがに同性の後輩に唇を奪われるなどという屈辱は避けたい。そもそもなぜ突然こんなことを言い出したのか、わけがわからない。劉は紫原の額に手のひらを押し付けて、断固拒否の姿勢を示した。 「っざけんな……っ」 「えー、ダメ~?」 「ったりめーダロ……っ」 「劉ちん語尾違うし」 「っんな場合、か……っ」 「ちぇ~~~」 じゃあしょーがないやと諦めた素振りを見せながら、押さえ付ける劉の手のひらをするりと避けて紫原はさっきまでと同様に劉の肩に顎を乗せて項垂れた。かと思うと、「じゃあこっちでいいや」と呟くなり、劉の首筋に顔を埋めてきた。 「!?……うぁっ!!」 突然の感触に劉の口から悲鳴が上がる。構わずに押し付けられた唇はやわらかく、それは指先を口に含まれた時の感触を思い出させた。首筋と指先の間をざわざわとした何かが走り抜け、劉の腕が一瞬にして粟立つ。劉は「何しやがる」と再び紫原の顔を手のひらで押さえ付けようと手を上げかけたが、それより先に紫原は劉の首筋から唇を離して顔を上げ、「あれ~?」と小首を傾げて劉の顔を覗き込んだ。 「劉ちん……ちんこ勃ってる」 「…っ!?」 身の毛もよだつ感覚は不快極まりないはずだ。それなのに何故?どこに勃起するような興奮材料があったのだろうか。無自覚の体の反応に気付いてしまったせいで、その昂りは劉の脳へと送られた。 「あ、ほらまた」 「ビ、ビックリしたせいアル!吓我一跳!吓我一跳!」 「え~~、中国語で言い訳されてもわかんないし~~」 「言い訳じゃねーヨ!てかもういいダロ離せ!!」 「ヤダし~」 「なんで!」 「劉ちんだけズルいし。オレもおんなじにしてよ」 「不可相信!!!!」 信じられない、という母国語を吐いて抵抗を試みる劉の背中と腰をぐいと引き寄せて、紫原はこれまで以上に強い力で劉の体を抱いた。股間と股間を擦り合うように押し付けられ、首筋には唇だけでなく紫原の舌が這う。股の間に大きくて硬いものが当たり、紫原も勃起しているのだと気付かされ、このままどうにかなってもいいような感覚に陥りかけるが、でもそれは絶対にダメだという頭の片隅にある理性が、流されそうになる感情をどうにか押し留めている。 そんな劉の拙い理性の糸を紫原は切りに掛かる。首筋に這わせていた舌先は、するりと劉の耳の穴に入り込んだ。 「…くっ…ぁ……」 堪える様な声を洩らし、劉は紫原のTシャツの背を握り締めた。自身のペニスが驚くほどの速さで硬さを増していくのが分かる。劉はこれ以上声を出さないように、きつく歯を食い縛った。 「ねぇ劉ちん」 耳の穴を舐め回した舌を抜いて、紫原は劉の耳元で囁く。濡れた耳の中に息が触れて、劉の肩が大きく跳ねた。紫原は抵抗を止めた劉の背から腕を下ろし、両腕で劉の腰を抱いた。 「オレたち、ちんこの高さも一緒だね」 「……ハ?」 「だからこんなことできるのも、劉ちんだけだよ?」 「何言って……んっ……」 厳密に言えば5センチ身長が違うのだからまったく同じ高さではないのだが、確かに立ったままこんなことが出来る相手はお互いに限られる。紫原は腕の力を緩めたかと思うと、今度は両手で劉の尻を掴んで大きく硬く勃起したものをぐりぐりと擦り付けた。自分が何に興奮しているのかわからないまま、劉のそれも反応を返す。このままでは大変なことになってしまう。「アツシ、」と名を呼ぶと紫原はふとほくそ笑み、ふわりと劉から体を離した。 「……?」 呆けた顔をして、劉は紫原を見た。 「パンツの中でイっちゃったら大変だもんねぇ」 そう言われて不意に見下ろせば、部屋着のハーフパンツは大きく盛り上がっていて、劉は今さらながら恥ずかしさに赤面する。昂りを隠す様に腰を折って両手を膝に突いて前を向くと、自分のものより確実に大きいであろう紫原の股間の盛り上がりが目に映り、劉は意識的に目を逸らした。 「またハグしに来てもいい?」 それ曰く、またこういうことしに来ても良いかという意味であることは明白だ。というかそれよりも何よりも、こんな状態にしておきながら放置か?と思ったが、そんなことは口が裂けても言えない。 「も、もう……来んなアル」 「ちぇ~、まぁいいや、じゃあね、オレこれから部屋戻って劉ちんおかずにして抜くから」 「な……っ!!!???」 細い目をいっぱいに開いて驚愕する劉の顔を覗き込み、紫原は劉の前髪を掻き上げて、額に軽くキスを落とす。 ちゅ、という小さな音が、耳ではなく額から直接脳に響いたような気がした。 「劉ちんもオナるなら鍵は閉めたほうがいいよ?じゃ、おやすみ~~」 「するかボケ!!!!」 劉の声を聞き流し、紫原は背を向けたままひらひらと手を振り呆気なく部屋を出て行った。 一体何が起こったのか。どうしてこうなったのか。明日一体どんな顔をして会えばいいのか。何もかも、わからないことだらけだ。 「劉ちんおかずにして―――」という言葉が脳裏を過ぎる。あの後輩は自分のどんな姿を想像して抜くというのだろうか。もやもやとした情景が浮かび、びくっと体が反応したことに驚いて、劉は慌ててそれを打ち消した。 「クソ……っ」 やり場のない感情と体の昂りに苛立ちを覚えながら、劉は部屋のドアへと向かい、そっと鍵を閉めた。
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