栗の花の咲く頃 5






結局あの日以降、黄瀬は黒子と2回ほど同様の行為に及んだ。

黒子は挿れたいと懇願してきたが、黄瀬もそこだけは譲らなかった。あそこまでしていたら、尻の穴に黒子のさして大きくもないモノを挿し込むくらいさせてやってもいいような気もしたが、やっぱり男としてそれだけは譲っちゃいけないと思った。もしも相手が青峰だったらどうしただろう・・などというあり得もしない可能性を考えることも止めた。

桃井とはあの日を最後にセックスしていない。べつに仲違いしたわけではなく、その機会がなかっただけだ。そのうちに中学校生活最後の大会が始まり、全国制覇を成し遂げたのちに部活を引退した3人は、部室に行くこともなくなった。


黒子は全中3連覇と同時にバスケ部から姿を消した。あれだけ求めてきた黄瀬に対しても、何の言葉も無しに。

黄瀬と桃井は今では何事もなかったかのように接し、以前と変わらない良い友人関係に戻ろうとしている。



*



体育館の中からボールの音が聞こえる。

「まーた緑間っちに先越された・・」

第4体育館の鍵を借りに行ったらすでに誰かが持って行った後だった。普段部活で使われることのない体育館で自主練などするのは大抵は黄瀬か緑間で、二人は度々ここで鉢合わせをしていた。かといって一緒に練習することもない。一緒にやろうよという黄瀬の提案は、緑間によってことごとく却下されてきたからだ。だからいつも、ハーフコートを1面ずつ使い、別々に練習していた。

「今日こそ1on1してもらうっスよ」

そう独り言を呟きながら扉を開けた黄瀬の目に飛び込んできたのは緑間ではなく、ドリブルをしながらこちらに向かって来る青峰の姿だった。

相手がいることを想定しているのか、右へ左へと身をかわして移動しながら、フェイクを入れたり、ターンしてボールを取ったり、少し遠くにボールを突いてそれをまた奪って突き進んで来るさまは、まるで翻弄される相手が見えるかのようだった。

忘れかけていた想いが、胸によみがえる。

黄瀬が自主練をしていたのは、部活を引退してから高校に入るまでに体が鈍ると困るからであって、バスケの楽しさとか、面白さとか、そんなものはチームがバラバラになった中3の夏にどこかに置いてきてしまった。それでもなぜ、自分はバスケを続けているのか。その理由さえ、黄瀬にはもうわからなくなっていた。

青峰がもの凄いスピードで近付いてくる。もう何人抜いたかわからないドリブルで3ポイントラインにまで侵入すると、ボールを手に高く、高く、跳んだ。

あの日と同じだ。興味本位でバスケ部の練習を覗き見た、あの日と同じ感動と、昂揚感。


オレはこの人に憧れて、この人に追い付きたくて、バスケを始めたんだ――。


その瞬間、目の奥が熱くなって、鼻の奥にツンとするものがこみ上げて来た。黄瀬は噛み締めた唇を震わせて、溢れそうになる何かを堪える。彼のバスケの前では、恋情さえ消し飛ばされてしまう。高く跳んだ青峰と、目が合った。青峰は少し驚いたような顔をしたかと思うと、おそらくはダンクするはずだったボールをひょいと放った。ボールはふわりと浮いて、それでもリングの中に音もなく吸い込まれていった。



「なんてぇツラしてんだよ」

リングをくぐって落ちたボールを一突きして手に取りながら、青峰が言った。

「・・え?・・え?ツラ?」

黄瀬は何のことだかわからずに、青峰に聞き返す。

「情けねーツラしやがって。ダンクする気も失せたじゃねーか」

「情けない・・顔してたっスか?」

「さぁな」

「さぁなって・・青峰っちが言ったんスよ」

「知んねーよ」

青峰はもう黄瀬には興味を失った風に答えると、壁際へと向かい、置いてあるバッグの中からタオルを取り出して流れる汗を拭いた。黄瀬は上履からバスケットシューズに履き替えて、体育館へと足を踏み入れる。

「なにお前、ここ使うの?」

「あ、いや、ハーフにして片面借りてもいいっスか?」

青峰はオールコートを使っていたので半分借りられないかととりあえず交渉してみる。

「・・・狭くね?」

「一人なら十分っスよ。緑間っちと一緒になったときはいつもそうしてるッス」

「よく来んのか?」

「え?」

「ここ」

青峰と話をするなどどれくらいぶりかもう忘れるくらいに話などしていない。さらには思った以上によく喋る青峰に、少々戸惑ってしまう。

「オレと緑間っちはよく来るっスよ。それ以外は・・青峰っちが初めてっス」

「へぇ〜」

汗を拭き終えた青峰は、スクイズボトルも取り出して水分を補給している。準備万端な様子から察するに、ふらっと立ち寄ったわけではなさそうだ。

「あーオレ、ちっと休むから使っていいぜ」

「あ、うん・・・」

黄瀬は壁に寄り掛かる青峰から少し離れた場所に腰を下ろし、上半身のストレッチを始めた。

「お前、なんか神奈川のガッコ行くんだって?」

特に周りに言っているわけではないが、女子人気の高い黄瀬の情報は自分でも知らないところで拡散している場合がある。或いは桃井を通じての情報か。どちらにせよ、青峰が知っていても何ら不思議ではない。

「まだ決まったわけじゃないっスよ。セレクションはバッチリだったけど、ちゃんと内申出して推薦の面接も受けるっス」

「へぇ〜〜え」

「青峰っちは、桐皇に決まったんスね」

こちらは確実に桃井からの情報だ。

「あ?決まったってか、あそこしか取ってくんなかったし」

「練習出ないなんて言っちゃ当たり前っスよ」

「試合で勝ちゃいーんだよ」

「・・・・・」

「だろ?」

「そう・・・っスね」

ついさっき目にした光景と、今の青峰の言葉には黄瀬の中で大きな開きがあった。けれどそれを埋めることのできるものが見つからなくて、黄瀬は自分を納得させるように頷いた。

「ハァ・・もう何でもいいからさっさとしろよ」

「え?・・あ、何を?」

「ストレッチだよ」

「・・へ?」

「1on1してやっからさっさとしろ」

「!!!???」

どういう風の吹き回しだろう。目を丸くして呆けたように黄瀬が見つめると、青峰はさも嫌そうに顔を歪めた。

「・・うるせーんだ」

「は?」

「さつきのヤツがよ、体鈍ってちゃ大口叩いたくせに笑われる、とか何とか」

「はぁ・・桃っちが・・・」

なんだそういうことか。

ぱっと踊りかけた心は、瞬く間に治まっていった。
傍若無人で他人のことなど意に介さず、オレはオレ、というスタイルを崩さないこの男でも、好きな女には弱いのだ。

「青峰っちの弱点は桃っちっスね・・」

想いを閉ざし、黄瀬は小さく笑って見せる。

「・・っせーな。てか、一人じゃイメージにも限界があんだよ。お前なら少しは相手になんだろ?」

「そんなこと言ってると勝っちゃうっスよ?」

「上等だコラ、やってみろ」

「負けねーっス!」


青峰との1on1。
入部した頃、何度もしつこく強請って青峰を辟易させたものだった。
きっと一生で、これが最後になるだろう。
忘れないように。すべてを胸に、脳裏に、焼き付けたい。

高鳴る鼓動を抑え、黄瀬はストレッチのテンポを速めた。






*






「昨日、青峰っちと1on1やったんスよ」

昨日の報告をしたくて、黄瀬は久しぶりに桃井をマジバに誘った。テーブルの上には、黄瀬のマジバーガーとポテトとアイスティーと、桃井のバニラシェイクとチョコパイがそれぞれトレイの上に乗っている。

「えーー、青峰くんホントに行ったんだー」

黄瀬の報告を受けて、桃井は少し驚いた風な声を上げてから、良かったね、きーちゃん、と言って喜んでくれた。黄瀬は少し照れた風に微笑んだ。

「青峰っちも桃っちには敵わないってところっスかね」

「そんなことないよ。あんまり煩いから面倒くさくなったんじゃないかな?それと・・・」

「・・それと?」

「今の青峰くんにバスケのことで何か言おうと思う人なんていないから・・」

「・・・・・」

返す言葉が見つからなかった。試合に勝ちゃいーんだ、という青峰の言葉が脳裏を過ぎる。自分もいつの間にかそういうバスケをしていたし、それが自分をより強くすると思っていた。けれど昨日、青峰のバスケを久しぶりに見て、胸の奥にしまい込んだ大切な何かを思い出しかけた。それは、自分はバスケが好きで、バスケが楽しいというバスケに対する気持ちだった。確かにあの頃は、本当にバスケが楽しかった。

「でも、すごく楽しかったっス。また負けたけど」

黄瀬は嬉しそうに笑ってから、少し口を尖らせた。
楽しければいいんだよ、と言う桃井の顔にも笑顔が戻る。

「青峰くんなんてもう学校決まっちゃってるんだから、グラビアばっかり見てないでもっと練習すればいいんだよ」

「あーでも、少しはそう思ったから来たんじゃないんスか?」

だといいんだけど、と言う桃井の表情は本当に青峰のことを心配している風で、それでいて青峰のことは恋愛の対象外だというのだから、本当に罪作りだ。

「きーちゃん、推薦の試験いつだっけ?」

「来週の水曜っス。試験たって、面接だけっスけどね」

「内申、取れたんだ?」

「スポ薦でも9科27以上ってんで、2学期の期末は死ぬほど勉強したっスよ〜。1は不可だっていうし」

「体育の5が他に振り分けられないのが痛いよね」

「そーなんスよ!!!技家だって4なのに!!」

要するにオール3以上を取れば良いわけだが、不得意科目はとことん不得意な黄瀬にとって、それはなかなか難しいことであった。今さらながら短期の塾にも行ってみたがさっぱりで、すぐに辞めた。そこで成績上位の緑間に教えを乞うたがまったく相手にされず、それでもしつこく頼み続けたところ、期末テストの10日前になってようやく「苦手科目のノートを持って来い」と言われた。黄瀬が喜び勇んで国・数・理・社・英のノートを持って行ったときの緑間の呆然とした顔は今でも忘れられないが、緑間はとりあえずノートがきちんととってあることを確認すると、1日だけ借りると言って、それらを全て持って帰ってしまった。翌日返されたノートには、所どころ蛍光ペンで四角く囲ってある個所があった。緑間曰く、「全部とは言わないが出る確率が高い。試験に出ない余計なことを覚えるくらいなら、その囲った部分だけを覚えるなり理解するなりした方が点数は取れるはずだ」と言い、一か八かでそれを実践した黄瀬は、今までにない良い点数が取れたのである。

「きーちゃんの場合、ミドリン様様だね」

「頭上がらないっス」

「でも何でミドリンだったの?」

「う〜ん・・何だかんだいって結局優しいんスよね、あの人」

「なんか、わかるかも」

以前部室で緑間と話した時、黄瀬がバスケもモデルも兼ねて両立していることを認めている発言をしていたことを桃井はふと思い出した。人事を尽くそうとしている者を緑間は決して邪険にしない。

「そーいや秀徳って、スポ薦でも9科36以上らしいっスよ」

「ってことはオール4以上?じゃあミドリン楽勝じゃない」

「だからオレが楽勝っスね、って言ったら、ならばオレは一般で受けるとかいきなり言い出して」

「えぇっ!?どうして?」

「オレが一般受験することでスポーツ推薦枠がひとつ増えるのならばオレはさらに人事を尽くす、とか言ってるから、でもそうしたら緑間っちが一般に受かることで、一般で落ちる人が一人増えるんじゃないんスか?って言ったら・・」

言いかけて、黄瀬はクックッ、と肩を揺らして笑いを堪える。

「えー、なになに何て?」

「眉間に超〜〜しわ寄せて、ああ、そうだな・・って」

「もう、ミドリンてば面白い〜〜」

そう言って笑い合う黄瀬と桃井は、どこから見ても仲の良いカップルだ。
実際にはどうしようもなく複雑な関係で、けれど今はもうその出来事を忘れているかのようだ。黄瀬は今、桃井を目の前にしても欲情することはないし、桃井も情事の後のように甘えて寄り掛かったりすることもない。今はただ、肉体関係を持つ以前の二人に戻ろうとすることにお互いが務めていた。



「そーいや桃っち、黒子っちがどこ受けるか知ってるっスか?」

全国大会で優勝するのと同時に黒子はバスケ部から姿を消した。同じクラスではなかったし、仮に廊下ですれ違っていたとしても、元々影の薄い彼を認識することは難しかった。黒子に想いを寄せる桃井は、もちろん黄瀬と黒子の爛れた関係を知らないし、また、絶対に知られてはならない。黄瀬は黒子の話をするとき、常に平静を装った。

「誠凛高校・・・」

「・・へ?」

黄瀬は初めて耳にする学校名に首を傾げた。

「どこっスか、それ」

「まだできて2年目の私立高校だって」

「2年目・・って、黒子っちマジでバスケ辞めるつもりっスか!?」

「それはわからないけど・・でも、去年のIH予選ではベスト8まで行った高校だよ?」

「予選でベスト8じゃ話になんねーっスよ」

顔を顰め、黄瀬は少し甘めのアイスティーをストローで飲み干す。

「テツくん・・ただ勝つためじゃなく、みんなで勝つバスケをしたいんじゃないかな・・」

「・・・・・」

そんなの意味がない、と言いたかったが、黄瀬は言葉を飲み込んだ。自分にとって、キセキの世代にとって勝つことのみに意味があっても、黒子には意味がなかった。だから部を去ったのだろうこともわかっている。

「辞めてないといいっスね・・バスケ」

「・・・うん」

少し寂しげな顔をして、桃井は俯く。焦った黄瀬が、いや、辞めるわけないっスよ!と少し強く言うと、だよね、と答えて桃井はニッコリと微笑んだ。

「桃っちはどこ受けるか決めたんスか?都立?私立?」

そういえばまだ聞いていなかった。ほとんどの受験生は、これからが本番なのだ。

「うん・・私、一人っ子だからお父さんもお母さんも私立でいいよ、って・・」

「ふぅーん。じゃ、セイリンとやらも行けるんじゃないっスか?偏差値どれくらいか知らないけど、黒子っちが受けるレベルなら、桃っちも・・・」

「ううん、誠凛は受けないよ」

「もう決めてるとこあるんスか?」

「うん・・・・・桐皇学園」

「・・・え?」

なんで?という言葉は声にならず、頭の中で何度も繰り返された。なんで?なぜ、よりにもよって青峰と同じ高校なのだろう。その理由がわからない。

「好きな人が行くからその高校に・・っていうのは、学費を出してくれる親に何だか悪いような気がしたの」

「・・で、青峰っちと同じ桐皇っスか・・・」

「うん・・だって青峰くん、放っておいたら何するかわかんないし、練習出ない上に何かやらかしたら、って思うと誰かが見てなくちゃ、って・・・」

同じじゃん、と黄瀬は心の中で呟いた。好きな人が行くからという理由と、幼馴染みが放っておけないからという理由と、何が違うというのだろう。どっちが親に悪くないというのだろう。

まるで、黒子への想いにもう望みはないから青峰に鞍替えするかのような。桃井がそんな女でないことはわかっている。わかっていても、青峰への想いを告げることなどできない自分の卑しい嫉妬心は、意思に関係なく湧き上がってきてしまうのだ。


『オレ、いつか桃っちは青峰っちの手の中に納まる予感がするんっスよ』


栗の花の咲く頃、青峰に言った言葉が思い出された。








「帰ろう、桃っち」

黄瀬が突然席を立った。

え?と驚くような表情で桃井は黄瀬を見上げる。

「ど、どうしたの急に?きーちゃん・・怒ってるの?」

「なんでオレが怒るんスか」

黄瀬は笑って見せたが、それはどこか棘のある笑顔だった。
コートとマフラーを身に着け、さっさとトレイを持って片付ける黄瀬の姿を桃井は少し怖いと思った。黄瀬が自分に対してこんな態度を取るのは初めてだ。戸惑いながらも、桃井も急いで身支度をして黄瀬の後を追い、店を出た。

「あ、あのね、きーちゃん」

恐る恐る声を掛けた桃井の手を、黄瀬は強く握った。それからその手を強引に引いて、大通りを足早に歩く。二人が手を繋ぐのは、最後にセックスをしたとき以来だ。

「私、青峰くんのことは本当にただの幼馴染みだと思ってるから!恋愛感情とか全然ないし、だからきーちゃんのライバルになることもないし――」

だから、余計に悔しくて腹が立つんじゃないか。

黄瀬は大通りから、突然細い路地へと入った。少し歩くと住宅が並び、その向こうに小さな公園が見えた。桃井が何度もきーちゃんと呼んだが、その声は無視をした。とうに日は落ち、真冬の空には半月が浮かんでいる。雲はなく、少しの外灯と月の光が公園の遊具を照らす。すべり台とブランコしかないその公園は、暗くなってから部活の帰りに通りかかるといつでも人けがなかった。夏場は時おり、中・高校生がたむろしているのを見かけたが、真冬の寒空の下でそんなことをする者もいない。黄瀬はかろうじて道路からの死角になるすべり台の支柱の裏で、ようやく足を止めた。

「何か言ってよ、きーちゃん・・」

黄瀬は答えなかった。答えの代わりに繋いでいない方の手で桃井の長い髪を撫で、それからゆっくりと顔を近付けて、桃井の唇にそっと口付けた。さっきまでの強引さはなく、やさしく、やさしく、何度も。桃井は拒むことなく、されるがままにしている。髪に触れていた手を頬へと滑らせたとき、黄瀬は驚いて唇を離し、桃井を見下ろした。頬に触れた手が、濡れている。僅かな明かりを頼りに顔を覗き込むと、桃井の瞳からは涙が溢れ出していた。

「桃っち?」

「ごめんね・・きーちゃん、ごめんね・・」

唇へのキスはしない。それは暗黙の了解だった。それだけが、ふしだらな行為に没頭する自分たちが守れているものだったはず。

「私、きーちゃんにあんなことまで許したのに、キスぐらいでこんな・・・」

体は繋がったけど心は繋がっていないから。だから、唇へのキスを躊躇ったはずなのに。勝手な衝動で、桃井の身体だけでなく、心も傷付けてしまった。さらにはその桃井にごめんと謝らせるなんて。

最低だ――。

「桃っち、ごめん・・・」

ごめん、と黄瀬は桃井を抱きしめながら、何度も繰り返す。

「きーちゃんは悪くない・・」

「桃っちも、悪くない・・」

15歳の自分たちはまだ幼くて、自分の行動に責任も持てなくて、だから、こんな方法しか見つからなかった。

「青峰っちのこと、頼むっス・・」

「うん、まかせて・・」

黄瀬の胸に顔を埋めていた桃井が黄瀬を見上げて言った。

「きっと、誰も悪くないんだよ」



二人は、最後に強く、抱きしめ合った。







**







黒子はバスケを続けていた。
創立2年目の新設校。もう、高みを目指すバスケには興味を失ったのかと思っていた。
その誠凛高校との練習試合で、全国レベルであるはずの海常高校は、黄瀬は、負けた。
黄瀬はバスケの試合に初めて負けて、涙を流した。



「おい、黄瀬」

「なんスか?」

「お好み焼き食って帰るぞ」

「・・・へ?」

誠凛に負けた翌日の部活終了後、制服に着替えているとき、主将の笠松に声を掛けられた。

「へ?じゃねぇ。強制参加だ」

「いや、でもオレ今日あんまし金持ってないっスよ・・」

「しょーがねーな。みんなでカンパして・・」

「マジっスか!?」

「貸しといてやる」

「・・・奢りじゃないんスか」

「ったりめーだ。バイトもしてない高校生だぞ?」

「それもそうっス」

黄瀬はガックリと肩を落とした。

レギュラー5人で食事に行くのは初めてだった。
昨日負けた試合に出場した5人だ。
キセキの世代と呼ばれた自分が全国レベルの高校に入れば、大抵の学校には勝てると信じて疑っていなかった。
けれどその考えは昨日、脆くも崩れ去った。
試合に負けたことのなかった黄瀬は自身でもなぜだかよくわからない涙を流したが、先輩たちは淡々としていた。試合後、部室で着替えているときから問題点や反省点を話し合う・・というより、熱く語り合っていた。それは、黄瀬の知らない世界だった。

「ちょっと近道な」

お好み焼き店の場所は知っていたが、今、3年の森山が先頭を切って曲がった道は、黄瀬が初めて通る道だった。いつか役に立つかもしれないから覚えておこう、と、黄瀬は先輩たちの後に続く。
見知らぬ道をしばらく歩いた頃、ふわ・・・っと、何か、匂いがした。すごく、嗅いだことのある匂いだ。昨年の今頃、青峰との帰り道を思い出す。黄瀬は顔を顰め、辺りを見回した。

「どーしたー?黄瀬ぇ」

2年の早川が、ニヤニヤと顔を覗き込んできた。ふと見れば、3年の笠松・森山・小堀の3人も何やら悪い顔をしてこちらを窺っている。だが黄瀬は、この精液に似た匂いの訳を知っている。

「栗の花っスか?」

黄瀬があっさりと言うと、たった今ニヤニヤしていた早川が、「知ってた(ら)おもし(ろ)くないだろ〜〜!!」と丸い目を吊り上げて地団駄を踏んだ。

「何だよ、知ってんのかよ」

「イケメンの反応楽しみにしてたのになぁ」

「今年は面白くなかったな」

そう口々に言う他の3人もどこか残念そうだ。

「今年は、って・・毎年こんなことしてるんスか・・」

「自分たちがやられたら、来年はやってやろうって思うだろ?」

「先輩たちはどんなだったんスか?」

そこだけは少し、興味があった。

「去年の早川は面白かったな」

と話し始めた森山と黄瀬の間に、当の本人・早川が突如割って入ってきた。

「オ(レ)なんかなぁ、オ(レ)なんかなぁ・・っ」

「あ、何かもう想像ついたからいいっス」

「おいぃぃっ!!!」

再び地団駄を踏んだ早川の背中を小堀がポンポンと叩く。

「笠松は超どもってたよな、真っ赤になって」

「うっせーな、忘れた・・ってか、早く忘れろよバカ」

「小堀は・・やっぱり赤くなってキョドってたな」

「忘れてくれよ・・」

自分以外の過去を森山が淡々と暴露していく。

「そういう森山先輩はどうだったんスか?」

「オレか?オレは言ったさ」

「何て?」

「彼女との愛の証の匂いですね、って」

「・・・・・何スか、それ」

「で、先輩に”んなわけねーだろ童貞が!”って蹴り入れられたんだよな」

「ちょっ・・それ言っちゃダメなやつ〜〜」

さりげない小堀の暴露に森山は慌て、それをひとつ後輩の早川が楽しそうに眺める。
どれもこれも、中学時代にはなかった新鮮な光景だ。


森山、小堀、早川の3人は、1年前を懐かしむように笑い合いながら、前を行く。

「黄瀬――」

笠松に名を呼ばれ、黄瀬は振り返った。

「バスケってのは、5人でするもんだ」

唐突にそう言って、笠松は黄瀬の肩をポンと叩いた。
それは、昨日の練習試合を終えた今のチームの課題のすべてを凝縮した言葉に思えた。

「そう・・っスね」

バスケを始めた頃の想いが、沸々とよみがえる。

「笠松先輩」

「あぁ?」

「バスケって、楽しいっスね」

「・・・・?」

ちょっと訝しげな顔をしてから、今さら何言ってんだ?と当たり前のように答えてくれた先輩の言葉にどこか喜びを感じることができる、この喜び。



ねぇ、青峰っち。

バスケは5人でやるもんなんだって。
オレは少し、思い出したよ。
あんたもいつか思い出せるといいな、って思う。


そうしたらいつかまた、何年後でもいいから1on1、して欲しい。

ねぇ、青峰っち――。






end






 

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