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「悪かったな」と素っ気なく言って、それでも青峰はどこかやさしくぽんぽんと氷室の頭を撫でた。氷室の手首には縛られた痕が薄っすらと残っている。「平気だよ」と小さく笑った氷室は、精液で汚れた体を流すべく、バスルームへと向かった。

青峰はドサッとソファに腰掛けて、飲みかけの缶コーヒーを口にする。不意に床に転がるスミノフの瓶が目に入り、さっきの光景を思い出して、ぞくりと体を震わせた。カップル交換など、酔った勢いで決まったほんの遊びだった。マンネリを打破しようと言い出したのは果たして誰であったか。さほど乗り気ではなかったし、勃つようだったらするか、くらいに思っていたはずなのに。

もう二度と、こんな遊びは止めようと思った。遊びが、遊びではなくなる前に。




「あ、そういえば今日だっけ」

五分ほどで戻って来た氷室は、青峰が見ていたテレビ画面に気付くとそう言った。

「アンタも見てんのか、これ」

「うちのテレビ、BSもCSも見れないからさ、貴重なんだ」

「そりゃあ確かに」

N/B/A/マ/ガジン―――。月に一回程度放映されるN/H/K/総/合テレビのバスケットボール専門情報番組だ。一カ月間のNBAの試合がハイライトで紹介され、元バスケットボール選手による解説もある。放映は主に日曜日の深夜から月曜日の未明という時間帯で、翌日が仕事の氷室はいつも予約録画でそれを見ていたが、すでに日付けの変わった今日の月曜日は祝日である。氷室も青峰の隣に腰掛けて、NBAの試合のダイジェストを興味深げに見始めた。

終始無言で番組に見入っていた氷室だが、惜しいプレイに「あ、」と声を洩らして膝を打ったり、好プレイに「ナイス」と思わず手を叩いたりしている。前のめりの氷室に対し、青峰は大きく踏ん反り返るようにソファに寄り掛かって、その様子を眺めた。

「アンタ、やっぱまだバスケやりたいんじゃねーの?」

「……え?」

思いもよらぬ言葉に、そっと振り返る。

「やってるよ、今でも」

氷室は答え、苦笑した。スポーツ用品会社に勤める氷室は確かに今でもバスケ経験者の同僚たちとチームを組んでバスケを続けている。けれど青峰が言いたいのは、そういうことではない。

「や、趣味じゃなく、っつーか……」

「あ、もしかして馬鹿にしてるだろ。趣味って言ったって結構強いんだよ? インハイ経験者もいっぱいいるし」

名の知れたスポーツ用品メーカーである。当然社員は担当のスポーツに精通していなければならないし、全国経験者もそれなりに多いだろう。強いであろうこともわかるのだけれど。

けれど、そうじゃない。

「いつ、諦めたんだ?」

青峰の問いに、氷室の表情が曇った。視線をテレビ画面へと移し、青峰の顔は見ずに「何を?」と短く問い返す。

「火神や、オレと同じ高みとやらに来ること」

「…………」

少しの沈黙の後、氷室は振り返り、「もう覚えてないな」と答えて笑った。あと少しで届かない高み。あとどれくらい練習すれば、あとどれだけの努力をすれば手が届くのかと、死に物狂いで努力と練習を重ねていたであろうことは、かつての氷室のプレイを思い返せばわかる。そして、届かないあとほんの少しの差が、絶対に縮まらないということも。

可哀想な男だと思った。踏ん反り返っていた体を起こし、青峰は氷室の髪に指を差し入れた。少し意外そうな表情を見せた氷室にゆっくりと顔を近付けて、そっと、唇を重ねる。それから徐に立ち上がって、氷室の手首を掴んで引いた。

「どうしたんだい?」

「あー、なんか、もっかいヤりたくなった」

「え、でもまだテレビ……」

「どうせ録画してんだろ?」

それはそうだけど、と言葉尻を濁す氷室の腕を引いて、青峰はベッドへと向かう。さっきあれだけ好いようにされた部分はまだ少し痛みが残っていたけれど。なぜだか今は、彼に身を委ねてもいいんじゃないかと思った。




それは、驚くほどに穏やかなセックスだった。

体中のあちこちをじっくりと愛撫され、ローションを纏った青峰の手によって扱かれたペニスは瞬く間に大きさと硬さを変え、氷室は呆気なく達した。時間をかけて解されたアナルに、律儀にゴムを被せた青峰のペニスがゆっくりと埋まっていく。「大丈夫か?」と尋ねるさっきと同一人物とは思えない気遣いの言葉には、「ふふ」と思わず笑いが洩れた。

「何が可笑しいんだよ」

「ん? 黄瀬君にはこんな風にやさしくするのかな、と思って」

「は? ……ど、どうだっていいだろそんなこと」

黄瀬の名を出されて動揺したのか、どもる青峰の様子は氷室の目に可愛らしく映った。

どんなにやさしくしようと努力したところで、欲情を堪えるには限界があった。次第に激しくなる青峰の腰の動きにピリピリとした痛みが走り、それでも止めて欲しくなくて、氷室は青峰の首に腕を回してしがみ付く。体を密着させて抱きしめてきた青峰の口から「ハッ」という短い声が洩れ始め、彼の興奮が伝わってくる。
痛みは何時しか薄れ、それはやがて、快楽へと変わった。



まるで本当の恋人同士のように、青峰がしてくれた腕枕に氷室は頬をすり寄せる。いい加減に寝ないと夜が明けてしまうかもしれない。「もう寝なきゃね」と言った氷室に青峰も「ああ」と答えて、二人は目を閉じてうとうとし始めたのだけれど。

「氷室サン―――」

と、起きているかを窺うような小さな声に、氷室は薄っすらと目を開けた。

「……何?」

「結局、わかったのか?」

「何が?」

「オレらと、アンタとの違い」

「ああ……」

まるで忘れていたかのような顔を見せてから、氷室は「あんなの冗談だよ」と言った。

「セックスなんかでわかるわけないだろう?」

「そりゃそうだけど、じゃあ何で―――」

「もういいから寝よう? 黄瀬君もタイガもきっともう寝てる」

そう言って軽く口付けてきたこの男の目的が何であったのか。もはや知る由もないし、知りたいわけでもないはずなのに。

「オレ、結構好きだぜ……アンタのバスケ」

どうしてそんなことを言ったのだろう。そう言った青峰自身、本心でもあるし、そうでもないような気もした。氷室は「そう」とだけ答えた。

「オレにはできない、綺麗なバスケだ」

まるでアンタみたいな、という言葉は飲み込んだ。
基本に忠実な洗練された美しいプレイは、氷室そのものに思えた。けれどその裏に隠された計り知れない努力の積み重ねは、この男がいちばん欲する物を与えてはくれなかった。




「お世辞でも嬉しいよ」


と言って、氷室が小さく笑う。

その微笑みは、ひどく哀れで。

けれどどうしようもなく、美しいと思った。








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