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コンコン、というノックの音と同時に氷室の部屋のドアが開いた。「入るぞ」という声を聞いた時には彼はもうすでに部屋に入って来ていて、いい加減にベッドに横たわっていた氷室は体を起こし、少し意外そうに、入室してきた劉の顔を高く見上げた。

「どうした?」
「ワタシの、ジャージ」
「え?返しただろ?」

体育の時間の後、何だかまぁ色々なことがあったが、制服に着替えた氷室は校内の自動販売機で購入した紙パックのオレンジジュースを添えて、劉にジャージとハーフパンツを返した。「ありがとな」と礼を言う氷室に劉は「ン」と素っ気ない声を返し、それきり二人の間には特に何事もなく、すべての授業と部活も終えて現在に至る。食事も風呂も済ませているこの時間の寮生たちは、あとは就寝の時間までを各々自由に過ごす。氷室はもう隅々まで目を通してしまったバスケ雑誌をベッドの上で開き、それを読むわけでもなく何となくページを捲っては誌面を眺めていた。
ジャージならばとっくに返したはずだが、よく見れば、劉の手にはそのジャージが無造作に握られている。じっと見つめる氷室に向けて、劉は大きなジャージを放った。

「あ、ゴメン……汗臭かったか?」

考えてみれば劉のジャージを素肌に着ての持久走で、かなりの汗をかいた。そういうことすらあまり気にすることのない間柄になってはいたが、劉は案外清潔好きだ。体育の授業中からの機嫌の悪さもあって、不快に思ったのかもしれない。けれど劉は氷室の言葉に小さく首を振り、「チガウ」と言った。

「じゃあなんだ?どこか汚れてたか?」
「チガウ」

と、やっぱり首を横に振って、劉は氷室の元へと近付いた。手を伸ばし、氷室の腕を掴んでベッドから下りろと促すように腕を引く。何だかわけが分からぬまま、氷室はベッドから足を下ろして劉の前に立った。

「着るアル」
「え、これ?」

放られたジャージを持ち上げながら氷室は目を丸くして劉の顔を見たが、劉は感情の分からない無表情のまま、コクンと頷く。どうして今さら学校指定のジャージを着る必要があるのか。「なんで?」と首を傾げると、劉は「いーから早く」と言って氷室を急かす。とりあえず着てやれば気が済むのだろうかと思い、着ていたフード付きのパーカーを脱いでTシャツの上から劉のジャージを着ようとすると、「それも」と言って劉の手が氷室の着替えを制した。それ、とはどうやらTシャツのことのようだが、どうしろと言うのだろう?

「これ?……をどうするんだ?」
「脱ぐアル」
「は?」

何故?という疑問が頭の中で渦を巻く。確かに体育の時間は直にジャージを着ていたが、今そうする必要性はまったくない。そっと劉の顔を窺うと、無表情のままに氷室から視線を逸らせた。これは劉が時々見せる、照れを隠す時の顔だ。
どくん、と心臓が大きく鳴った。劉の心臓もこんな風に大きく鳴っているのだろうか。
氷室は潔くTシャツを脱ぎ捨てて、劉の大きなジャージに袖を通した。ファスナーを閉めようとしたが袖が長過ぎて手が使えない。不器用に片手でもう一方の袖を捲っていると、劉がその腕を取って、両手で手早く袖を折った。自由になった指先でファスナーを上げれば、体育の時間と同様の萌え袖ジャージ姿の氷室になる。

「これで、いいか?」

と、言い終えるよりも先に、後ろからふわりと抱き締められた。
さっきからもうずっと高鳴っている心臓の鼓動がさらに高く、速くなる。何かが起ころうとしている予感に体が疼き始める。「劉」と小さく呼んだが返答はなく、代わりに背後から肩に顔を埋めながら、「氷室」と、劉が囁いた。

「ん?」
「氷室……」
「何だい?」
「――――たい、アル」
「えっ?……なん、て?」
「キス、したい……」
「!?」

もうずっと、そんな予感はあったのだ。
この想いが友情ではないと自覚するよりも、ずっと前から。
後ろから抱き締めてくる劉の腕の中で体をくるりと反転させて、氷室は向かい合った劉の顔を見上げた。


唇が、重なる。
それはあまりにも自然で、お互いに抵抗のない行為だった。強く押し付けるだけだった唇は、次第に深く交わっていく。二人は夢中で、口付けを交わした。
劉の長い腕で背中を庇うように抱かれながら、氷室の体がベッドへと横たわる。体重が掛からないように気を遣いながら氷室に体を重ねたが、そうしたきり、何故だか劉は動かなくなってしまった。「劉?」という氷室の呼びかけにも答えはなく、二人の間に暫しの沈黙が訪れる。

「もしかして、緊張してるのか?」

氷室が小さく笑った。
この男が今までどんな恋愛をしてきたのかなど知る由もないが、明らかに自分よりも余裕のある素振りは経験の差を物語っているような気がして、同じ男として何だか癪に障る。

「ハッ……緊張なんかしてねーアルよ」
「ふぅん、そっか」

強がってみたものの、本当はもう叫び出したいくらいに、心も、体も、どうにかなってしまいそうなのだ。クラスの女たちも、男の友人たちも、誰も知らない氷室を自分だけが知りたい。滅茶苦茶に、触れてしまいたい。

「嘘、アル」
「え?」

耳の奥に、ドクドクドクと高鳴る鼓動が煩く響く。

「ワタシ今……すげードキドキしてるアル」

ほんの少し照れ笑いを浮かべながら素直な気持ちを口にしたら、

「オレもだよ、劉」

と言って、氷室がまた、笑った。


劉の手が、ジャージのファスナーを下ろしていく。
氷室は一度だけ天井を仰ぎ、静かに瞳を閉じる。


やがて露わになった氷室の素肌に、劉はそっと、顔を埋めた。












 

 

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