あたためますか?





「おい大丈夫か」

という声を少し遠くに聞いて、劉は体育館の壁際に目をやった。

そこには部員が一人うずくまっていて、周囲を数人が囲んでいる。怪我でもしたのかと思い、部長である劉が急いで駆け寄ると、真っ白な顔をしてうずくまっているのは同級生の氷室であった。

「どうした」

「なんか調子悪そうだなーと思って見てたら急にゆらゆらし始めてさ、ビックリして支えたらこの通りだよ」

危うく倒れそうな氷室を支えて座り込んだ部員は劉を見上げてそう言った。
氷室は顔面蒼白で、額とこめかみからは、運動した時とは確実に違う汗がだらだらと流れている。そっと頬に触れるとその肌は、氷のように冷たかった。「氷室」と声を掛けると眉を顰めてひと言、「平気」と答えて手を上げた。

「貧血か?」

「かもしんねーな」

成長期の高校生男子である。体の成長に体の機能がついて行けなくなるのは運動部員にはままあることで、どんなに好き嫌いなく食べて栄養を摂っても運動量がそれを上回れば、食事だけでは補えなくなってしまう。氷室に限らず劉とて同じ経験をしたことがある。それは何度か目にしたことのある光景ではあった。

「スポドリは?」

「なんか上手く飲めないみたいでさ、」

飲めずに零れたのか、氷室の長袖Tシャツの首のあたりが濡れている。劉は「ンー」と首を捻った末、

「アツシ!」

と、一学年後輩の紫原を呼んだ。

「なにー?」

「駆け足!!」

「えー、何で〜」

のっそりと向かってくる後輩を怒声で手招くと、紫原は渋々と駆け寄ってきた。

「げっ、室ちんどしたの?」

「倒れた。オマエ、菓子持ってるアルか?」

「部活中はダメって劉ちんが言ったんじゃん〜」

「飴くらい持ってんダロ」

「えっ?んー、えーっとぉ……」

「出せ、早く」

「……ハイ」

紫原は仕方なさそうにハーフパンツのポケットに手を入れて、飴の包みを劉に差し出した。紫原が「劉ちん怒る?」と少し不安げに尋ねると、劉はちょっとだけ睨むような目をしてから、「今日は怒んねーヨ」と言って、パシッと紫原の尻を叩いた。

「大丈夫なの?」

「低血糖起こしてるかもしれないアル」

劉は個包装の袋を開けて飴を摘み上げ、氷室の口に入れた。指先に触れた唇は冷え切っていて、それでもその感触は確かにやわらかくて、指先から腕を伝って何かが込み上げて来たのだけれど、それを振り切ろうと劉はまるで汚いものでも触ったかのようにぶんぶんと手を振った。

「飲んじゃわない?」

心配する後輩の声に「そうだな」と答え、劉は氷室の耳元に顔を寄せて「聞こえるか?」と尋ねた。氷室が僅かに首を動かして頷いたので、「飲み込むなよ」と囁くと、氷室はもう一度、今度は深く頷いた。





***




二人分の制服や靴は他の部員に持って帰ってもらうよう頼んだ。バッシュのまま外に出るわけにはいかないが、長袖Tシャツ+ハーフパンツにローファーはさすがに履けないので、体育館履きを履いて氷室を寮に連れて帰った。寮の玄関の小窓には『只今外出中。6時頃帰ります』と厚紙にマジックで書かれた札が立て掛けられている。そういえばいつも敷地内にとまっている車がなかったので、寮監夫婦は揃って買い物にでも出掛けたのだろう。

「階段、上れるアルか?」

「うん……」

抱えるようにして何とか2階に辿り着き、氷室の部屋のドアを開けた劉は、思わずその場に留まり軽いため息を吐いた。

ベッドの上には、いかにも起きたままに捲られた掛け布団。学習用の机の上にはノートやペン類、授業のプリントの山、チョコレート菓子とスナック菓子の箱に、いつ飲んだのかわからない飲みかけのペットボトル、女子から渡されたのであろう可愛らしい封筒が数通。それら雑多な物がまったく規則性なくいい加減に置かれていて、さらに床を見れば、洗ってあるのかこれから洗うのか不明な服が散乱している。氷室の部屋はまぁ大体いつも散らかってはいるが、今日は特にひどい。ゴミ箱は、半分ほどがゴミで埋まっていた。

「今日は燃えるゴミの日だったアル」

劉がぽつりと洩らすと、「ああ、そうだっけ」という声が力なく返ってきた。食堂で朝食を食べた時も、休み時間に話をした時も特にいつもと変わった様子はなかったはずだが、もしかしたら朝からすでに体調が悪かったのだろうか。仕方ない、ともう一度息を洩らして部屋に足を踏み入れた劉は、床に散らばる服を足で退けながらベッドまで辿り着き、氷室を座らせた。

「着替えるか?」

「ん、いい」

腰掛けたまま横になり、それから片足ずつをベッドに上げていく氷室の動作は恐ろしくゆっくりだ。もぞもぞと両足を布団に潜らせる氷室の体に、劉はしっかりと掛け布団を掛けてやった。

「水分摂った方がいいアル」

「うん」

「ちょっと待ってるアル」

「……」

返事すら億劫なのか、氷室はただ、小さく頷いた。

氷室を置いて部屋を出た劉は、廊下の端に置かれた冷蔵庫へと向かった。冷蔵庫は各階に一台ずつあって、その階で暮らす寮生が私物を入れられるようになっている。扉に付けられたマグネット付きの小物入れの中には蛍光色の付箋と油性マジックが入っていて、冷蔵庫を利用する際には名前と日付けを書いた付箋を貼らなければ私物を入れてはいけない決まりだ。中は誰が整理するわけでもなく、パックの牛乳やジュース、プリンやヨーグルト等のデザート類、さらには梅干しや漬物類といった要冷蔵品がごちゃごちゃに詰め込まれている。扉を開けた瞬間「む…」っとするような匂いがしたので元を辿るとそれは沢庵で、こんな物入れんなと思わず眉を顰めたが、他人の嗜好品に対する理解も必要な共同生活である。時には臭いの元が寮生の実家から送られた物であったりもするので、下手に文句も言えない。劉はタッパーに入れられた沢庵をそっと元ある場所に戻した。

自分の名が書かれた付箋の貼ってあるペットボトルのミルクティーに手を出しかけて、けれど今の氷室にミルクティーは如何なものかと思案した結果、劉は『鈴木』と書かれた付箋の貼ってある蓋の開いていないスポーツドリンクを取り出した。扉を閉めてから付箋を新たに1枚剥がし、マジックで〈スポドリ後で返す Liu〉と書いて、それを同じクラスの鈴木の部屋のドアに貼り付けてから、劉は氷室の部屋へと戻った。

再び氷室の部屋に入ると、同時にカチカチと何か不自然な音が劉の耳に届いた。それは氷室の布団の中から聞こえてくる。さっき肩から掛けてやった布団を頭から被り、その中でまあるく体を縮めているようだ。不自然な音と連動するように、布団の山も小刻みに揺れている。

「どうしたアル」

掛け布団を少し持ち上げて中の様子を窺うと、氷室はその中で自身の体を抱きしめて、ガタガタと震えていた。カチカチという音は、震えのあまり歯と歯がぶつかる音だった。

「だ、大丈夫か!?」

どう見ても大丈夫ではないのだが、予期せぬ事態に劉も動揺している。氷室は震えながら、「寒い」と言った。そう言われても今は4月で、4月といっても秋田の春はまだもう少し先で、布団だっていまだしっかり冬仕様だ。劉は氷室の部屋を出て、自分の部屋に向かった。そういえば帰って来てからまだ自分の部屋に入っていない。ドアを開けた自分の部屋はそれなりに片付いていて、今出て来た部屋との違いを目の当たりにすると、理由もなく胸の辺りがぎゅうと苦しくなった。それが何であるのか考えるよりも早く、劉はベッドから厚手の毛布を1枚剥いで、氷室の部屋へと戻る。持ってきた毛布をいちばん下にして布団を掛け直しても、布団の上から体を擦ってやっても、氷室の震えは止まらないどころかひどくなっていく。歯の当たるカチカチという音もどんどん大きく早くなって、人間の歯がまるで母国の中国獅子の歯みたいに大きな音を立てるさまに少し怖くなる。寮監夫婦が帰宅予定の6時にはまだ1時間もある。この時間、食堂に行けば夕飯の支度をするパートのおばさんが数人いるが、氷室の看病と言ったら誰が来るかで争いが勃発しかねない。それどころか全員でやって来て、寮の夕飯作りは放棄されてしまうかもしれない。もちろんそんな無責任なことはしないだろうが、もしかしたら……と思うほどには氷室の女性人気は絶大だ。

「氷室」と声を掛けると、「さささ寒いいい……」という歯の根の合わない声が返ってきた。そっと布団に手を入れて、さっきまで氷のように冷たかった頬に触れると、幾分体温が戻っている気がする。それなのに、どうしてこんなにも寒いと震えているのだろう。

「?…?」

劉は何かに気が付いた風な声を洩らした。どことなく似ているこの感じ。不安げに見守っていた幼い日の記憶がよみがえる。10歳くらいだったろうか、それはまだ、劉が中国の小学校に通っていた頃の記憶だった。

4人いる弟のうち、下から2番目の弟が風邪をひいて高熱を出した。兄弟の年齢差からして彼は3歳くらいだったと思う。薬で一度熱は下がったものの、再び熱が上がり始めた時の事だ。弟は痙攣を起こし、目を剥いて呼びかけにもまったく答えず、意識もあまり無いように見えた。深夜ではあったが両親が車で病院に連れて行くことになり、すでに眠っているふたつ年下と4つ年下の弟と、やっと歩けるようになったくらいの弟を頼むと言われとてつもない不安に苛まれたのだけれど、弟が死んでしまったらどうしようという不安の方がずっとずっと大きかったので、劉は両親に向けて気丈に頷いた。

実際のところ弟たちは目を覚ますこともなく、両親も1時間ほどで帰宅した。尋常ではない様子に思えた弟もすやすやと眠っていて、じゃああれは何だったのかと尋ねると、急に熱が上がることに小さい体と脳がついていけなくてああなるのだと落ち着いた声で言われ、急激に体の力が抜けた。「偉も小さい頃かかったのよ。おかげで慌てなくて済んだわ」と笑った母親の顔に心底安堵して、緊張の糸が解けて、10歳にもなるというのに劉はあの夜、ぼろぼろと涙を流して泣いたのだ。

急に、心が落ち着いた。氷室は幼い子供ではない。意識もちゃんとある。ハーフパンツのポケットからスマートフォンを取り出して氷室の今の症状を検索すると、悪寒戦慄という言葉がヒットした。熱が上がり切れば治まるので、それまでは安静にして体を温めることくらいしか対処法はないらしい。劉は部屋中をざっと見回して床に放置されたリモコンを見つけると、それを拾い上げてエアコン暖房のスイッチを入れた。

「うううううりりりりゅうううぅぅオオオレ、しし死ぬのかな……」

歯を鳴らしながらそう洩らした氷室に、「死なねーアルよ」と大して優しくもない口調で言って、それから劉はベッドの脇に座り込み、大きな手で氷室の額にそっと触れた。その肌はさっきよりもずいぶんと熱を帯びていて、ようやく熱が上がり始めたのだろうと暫くそうしていると、氷室が自分の手を劉の手に重ねてきた。ガタガタと震える手で劉の手を掴み、それを布団の中に引っ張り込んで、もう一方の手と両手で強く、祈るように握りしめる。少し……いや、かなり驚いたけれど、何かに縋りたいのだろうと、そのまま氷室に手を握らせてやった。氷室の手は、具合が悪いとは思えないくらいに強い力で劉の手を握りしめている。体にも相当に力が入っているようで、明日あたり彼は筋肉痛になるかもしれない。一体あとどれくらいでこの震えは止まるのだろう。実はまだ5分も経っていないのだが、体感的にはもう10分も15分も経っているような気がした。

「なななんでこんなにいいぃさ寒いいいんだろううう」

「熱が上がってるアル」

「そそそうぅぅなのか」

「まだあったまんねーアルか?」

「ううううう、うん」

氷室がこくんと頷く。
これ以上何かしてやることが見つからなくて、いっそ体であたためてやろうかという考えが頭を過ぎったのだけれど、心の奥に常に存在する氷室に対する友情以上の何らかの感情が頭を擡げてきたので、それはするべきではないと劉は自身を窘める。

「もうちょっとだから我慢するアル」

ひどくぶっきらぼうに言ったのに。
氷室は掛け布団の隙間から何とか顔を覗かせて、

「ああありがとな、りゅうううう」

と震える声で言って、それから笑った。

その笑顔に、冷静だった劉の心臓がどくんと大きく鳴った。笑顔から顔を背け、じわじわと胸の奥から込み上げてくる感情を何とか抑えてやり過ごそうとする劉の手に、思わず力が入る。そういうつもりじゃなかったのに、それに応えるかのように氷室は握り合う劉の手をさらに引き寄せた。せっかく今まで抑えてきた氷室に対する友情以上の感情が、堪えてきた分だけ、湯水のように溢れ出す。劉は握り合った手を強引に振り解き、その手で掛け布団を持ち上げて、氷室のベッドに乗り上がった。驚いて大きく目を見開いた氷室と一瞬目が合ったが、視線をさっと逸らして劉はベッドに横になると、体を縮める氷室を大きな体でそっと、抱きしめた。

「りりりゅううう……?」

「ちっともあったまんねーからあっためてやる。イヤなら言え」

「…………」

氷室は答えなかった。けれど、拒絶もしなかった。
ガタガタと震えながら、劉の広い胸にこつんと額を当てて。

「ちょっっっと、ああ汗臭いな」

と言って、クスクスと笑った。





***





どれくらいそうしていただろう。氷室の震えは徐々に治まり、けれどその代償のように今度は体がひどく熱くなってきた。ベッドの中に熱気が籠ってきたのは明らかで、打って変わって今度は「熱い」と言い出した。劉の体もいくらか汗ばんでいて、氷室の額に触れればそこは思わず「あち…っ」と驚きの声を上げるほどの熱を持っていた。確実に高熱がある。劉はそろそろと氷室から離れ、這い出すようにしてベッドから足を下ろしたが、「劉、」と呼ばれ、ベッドの上を見下ろした。

「行っちゃうのか……?」

力のないその声はもう震えてはいなかったが、ひどく苦しそうだ。伸ばした手で頬をそっと撫でながら、「行かねーアルよ」と答えると、氷室は安心したように小さく微笑んだ。

「体温計持って来るアル」

いったん部屋を出た劉の胸に、苦しいような、切ないような想いが込み上げる。「行っちゃうのか?」と問われて、心が震えた。その言葉は今、氷室が弱っているからだとわかっているけれど。そこに付け込みたくなるくらいには、氷室に対する想いが強く大きくなっていることに、劉はとっくに気付いていた。




「氷室くーん、入るよー」

そう言って氷室の部屋に入ってきたのは寮母だった。

劉が体温計を借りようと階下に行くと寮監夫婦は予定よりも早く帰って来ていたので事情を話したところ、とりあえず寮母が容体を見ることになった。氷室の熱は38度5分でインフルエンザの可能性もあったが、発熱から12時間程度経たないと検査が有効ではないため、翌日病院に連れて行くことになった。劉は部屋の入口近くに立ったまま、寮母がてきぱきと面倒を見る様子を眺める。少し安堵したのと同時に、少し、寂しい気もした。

「劉君、もう大丈夫だから。ありがとうね」

「あ、ハイ、じゃあワタシ、部活戻るアル」

「劉―――」

部屋を出ようとする劉を氷室が呼び止めたが、「荷物は誰かが持って来てくれるアルよ」と言い残し、そのまま部屋を後にした。

もう少し看病していたいような気持ちはあった。手を握り、やさしく抱きしめた感覚を思い出し、ぶるっと体を震わせる。たぶんもう、二人きりにならない方がいい。弱っている氷室の甘えを勘違いしてしまいそうになるのが怖かった。部活終了まであと1時間近くある。何だか気乗りがしなかったが、部長が気分で部活をサボるわけにはいかない。気を紛らすためにもと、劉は学校へと戻った。




*




いつも通りに部活を終えて寮に帰り、いつも通りに風呂に入って食事をして、部屋に戻った。ベッドに寝転がり、翌日の部活の流れを決めようと頭の中でシミュレーションを試みたが雑念が多過ぎてすぐに中断してしまう。劉は明日の部活についてそれ以上考えることを止めた。

氷室の制服やバッグは部内の同級生が届けたはずだ。バッグを届けたアイツは、制服くらいバッグから出してやっただろうか。そういえば結局スポーツドリンクは蓋も開けずに置いてきてしまったが、水分は摂っただろうか?何か少しでも食事は摂っただろうか?そんな心配は寮母がついていたのだから無用なのだろうが、それでも、どうにも落ち着かない。

「アーーー、めんどいアルなっ」

めんどいのは、自分のこの感情だ。少し大きな独り言とともに、劉は勢いよく起き上がった。

「氷室―――」

ノックもせずに部屋に入ると、まずは壁掛けのハンガーラックに掛けられた制服が目に入った。

「佐藤が……掛けてくれたんだ、アイツ意外とちゃんとしてるんだな」

制服を眺めていることに気付いて、ベッドの中から氷室が言った。
胸の奥がチクチクと痛んだ。今まで何となく、氷室にそういう事をしてやるのは大抵劉であり、また、劉自身も常にそうでありたいと心のどこかで思っていたからだ。

「氷室がちゃんとしてないだけアルよ」

「はは……そうかな」

「どうだ?具合は」

「うん、解熱剤飲んだから今はかなり楽なんだ。ていうか、やっと来たな、劉」

「ン?」

やっとの意味がわからずに、劉は眉を潜めて首を傾げる。

「行かないって言ったのに」

「ハ?」

「行っちゃうのか、って聞いたら行かない、って言った」

「ハァ!?い、今頃な、何言ってるアルか?」

「ウソつきだなぁ、劉は……」

拗ねた風な顔をして、それでも氷室は笑っている。急激に胸の鼓動が早まっていくのがわかる。劉は必死で頭の中を整理しようとしたが、上手くいかない。冗談なのか、嫌味なのか、それとも―――、本気でそう思っているのか?

「だってあの時ワタシもう用無しだったアルよ」

「オレには用があったんだよ」

「どんな用アル?」

「こっち、来て……」

ベッドの横に立ち尽くす劉に向けて、氷室は布団の中からのろのろと腕を出し、手を伸ばした。劉が一歩前に足を踏み出すと氷室の手は劉に届き、だらりと下ろしている手を氷室が掴んで握ってきた。劉はひどく熱いその手を握り返して、ベッドの脇に跪く。数時間前と同様に、氷室は劉の手を布団の中に引っ張り込んで、大事そうに両手で握った。

「ワタシはオマエのかーちゃんじゃねーアルよ」

「この年で母親にこんなこと求めないよ」

「でも友達には求めるアルか」

「友達にも……求めない」

「ちょ、待て氷室―――」

「劉だから……だよ」

「……っ……」

求めていた答えを与えられて、どうしようもなく心が昂って、握る手に力を込めた。

「意味、わかんねーアル」

「何だよわかれよ」

「熱で頭おかしくなったアルか?」

「オレ、正気だよ?」

「マジか……」

「引くか?」

「イヤ、べつに」

「なら良かった」

氷室が小さく笑う。ドクドクドクと心臓が高鳴って、体の奥が疼く。抱きしめたり、口付けたり、色んな事をしたいという欲望が脳裏に渦巻いたけれど、それこそ弱っている氷室に付け込むことになるので今はまだしない……今は。

「もう、眠るアルよ」

「さっきのアレ、してくれないのか?」

「さっきの?」

「布団入って抱いてくれただろ?」

「オマ……っ、言い方がいやらしいアル!」

「じゃあさ、劉……今度、いやらしいことしよう?」

「ハァ!?」

何が”じゃあ”なのかさっぱり理解不能だが、続く言葉は劉を大いに刺激した。

「オマエやっぱり熱で脳みそ沸いてるアル」

望み通り抱いて(抱きしめて)やろうと劉がベッドに上がろうとすると、「ちょっと待って」と声が掛かった。

「何アル」

「9時頃、キミ子さん様子見に来るんだ」

キミ子さんとは、寮母の名前だ。寮監夫婦は当然ながら苗字が同じなため、寮監は苗字で呼び、寮母は名前で呼んでいる。その寮母が、就寝前にもう一度、氷室の様子を見に来るらしい。

「鍵、閉めておこうよ」

「そうアルな」

部屋の鍵を閉めて、ベッドの中で抱き合った。

「何だかいけないことしてるみたいだな」と言う氷室に「これも看病のうちアルよ」と答え、劉は大きな体で氷室を包み込む。

「今度……」

「うん?」

「今度、ちゃんといけないことしてやるアル」

「ちゃんといけないこと、って何だよ」

プッと氷室が吹き出した。





夜9時を過ぎた頃に寮母はやって来た。

劉が部屋の鍵を開けるとひどく驚いた様子で、「劉君何してるの!?風邪がうつるから早く自分の部屋戻って寝なさい」と言って叱られたので、「ゴメンナサイアル」と頭を下げて、劉は氷室の部屋を後にした。

翌日、病院で検査を受けた氷室は、インフルエンザではなくただの風邪であった。熱も二日で下がり、3日目には登校し、4日目からは部活にも参加した。




*




「おい、大丈夫か劉!?」

体育館の壁際で、一際大きな体格の部員が背中を壁に凭れかけて足を投げ出している。氷室は慌ててその場へと駆け寄った。

「どうした?」

「劉のやつ、すんげー熱あるみたい」

「えっ?」

身を屈めて劉の額に手を触れると、そこは微熱では済まないほどに熱かった。真っ赤な顔をして、苦しげな呼吸を繰り返している。

「氷室の風邪がうつったんじゃねーの?」

という部員の声に、氷室は劉の顔をそっと見つめる。

「何で……うつったんだろうな?」

理由なんて、お互いにわかりきっているのに。

白々しく首を傾げる氷室を見上げ、

「阿呆……」

とひと言吐いて、劉はぐったりと項垂れた。






おしまい


 

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