| *** 「終わった〜」 最後の一個を氷室が作り終えて、二枚の大皿の上に四十個の餃子が並べられた。もっとも、最終的に作った数は劉が三十個で氷室が十個だが。しかも、形も具の量も均等な劉作の餃子に比べて氷室作の餃子は具の量もひだの形もバラバラで、どちらが作ったのかは一目瞭然だ。 「オレが作ったの、何だか不味そうだな」 「最初はこんなモンだ。中身は一緒なんだから味は変わんないハズ……たぶん」 「だよな!?」 ポジティブに納得をして、氷室は劉の背中を軽く叩く。 「IHコンロかヨ……どうやって使うんだ?」 劉のマンションのコンロはガスコンロだ。フライパンを渡されたはいいが、使った事のないIHクッキングヒーターを前に、劉は頭を捻った。 「電源入れて、ボタン押すだけだよ?」 コンロの上に置かれたフライパンの位置を確認し、氷室は電源を入れる。 「強火? 中火? 弱火?」 「え、ああ、とりあえず中火か」 「OK」 氷室は中火のボタンを押してから、スタートボタンを押した。点火や着火の音がするわけでもなく、コンロの中から流れ出した電磁音に些かの違和感が生じる。 「これでホントに焼けるのか?」 眉を顰め、劉は疑いの眼差しで氷室とフライパンを交互に見下ろした。 「当たり前だろ?」 くす、と氷室が笑う。バスケと女性人気以外で劉より優位に立つことなどあまりないので、何だか不思議な気持ちだ。そんな劉が可愛く思えたけれど、言ったら絶対に怒るので、言わない。 「――――あるか?」 「……あ、えっ?」 「油、早く、ホントにフライパン熱くなってるゾ」 「だから当たり前だって」 氷室はさらにくすくすと笑いながら、収納棚から油を出して、劉に渡した。劉はフライパンを持ち上げて、コンロの弱火のボタンを押してその変化を確認するように眺めている。身長二〇三センチの大男の興味津々なその様は、ヤバいくらいに可愛いなと心が跳ねて思わず抱き付きたい気分になったが、さすがに危ないのでやめておく。 「蓋あるか?」 「蓋? フライパンの? あったかな……」 「なきゃ困る」 「え〜、もっと早く言ってくれよ」 「鍋の蓋でも何でもいいから、これくらいの大きさのヤツ―――」 「あ、あったあった」 氷室が見つけた蓋を手渡すと、劉はすぐにそれを使うことなく横に置いた。糊代わりに使った水の入った器をサッと濯ぎ、適当な量の水を入れる。右手に水。左手に蓋を持って、劉は構えた。氷室はわくわくとした面持ちでそれを待っている。劉はフライパンの中に、一気に水を注いだ。 ジュワ―――ッ!! と大きな音がして、注がれた水が沸々と泡を立てる。その様を見るか見ないかのうちに、劉は蓋を閉めた。一瞬にして上がった蒸気がフライパンの上に立ち込める。換気、と思って劉が身を屈めてレンジフードを覗くと、コンロと連動しているのか、それはすでに作動していた。 「何でも自動なんだな、ココは」 「オレが一人暮らしできるくらいだからな」 「自分で言うなヨ」 呆れた風に肩を竦め、劉は強火のボタンを押した。
氷室が冷蔵庫から取り出した缶ビールを缶のまま飲みながら、二人は餃子が焼けるのを待った。氷室が何度も顔や体を摺り寄せてくるので、その度にキスをしてやる。あんまりしつこいので口に含んだビールを強引に口移しに飲ませてやったら、少しの間ぽかんと見上げてから、綺麗な顔をくしゃりと崩して嬉しそうに笑った。あまりにも素直に喜ばれて、逆に自分のしたことが恥ずかしくなって、劉は思わず顔を背けた。 「そろそろか」 様子見に蓋を持ち上げると、蓋に付いていた水滴がフライパンに零れ落ちて、ジュッという音を立てた。フライパンの柄を持って全体を揺すり、こびり付いていないことを確認する。 「いい匂い」 「何か、皿」 「ちょっと待って。大きいのがいいよな」 氷室は食器棚を探り、中から大きな丸皿を出して劉に渡した。 「できたから、火、消して」 「火じゃないけどな」 「揚げ足取るな、阿呆」 睨むように氷室を見下ろしてから、劉は皿をフライパンの上に翳して大きさを測った。「いくぞ」と呟き、伏せた皿を焼けた餃子の上にすっぽりと被せ、「せぇの」という声とともに皿の上に手を添えて、「せ、」の掛け声で皿とフライパンをひょいとひっくり返す。フライパンを外せばそこには、きつね色に焼き色の付いた餃子が皿の上に綺麗に並んでいた。 「アチ! アチチ……」 皿の底が熱くなり、劉は慌ててフライパンと皿を置いた。 「すごいな劉、プロみたいだ」 「こんなにキレイに乗ったの初めてネ。たぶん、フライパンが高くてイイヤツなんだろ」 「そうなのか? 貰い物だからわからないな」 と言ったところで、氷室は「あっ!!」と、何かを思い出して叫んだ。 「どうした?」 「どうしよう、劉。ご飯がない……」 「ご飯? 米のことか?」 「うん、炊くの忘れた」 「いらねーダロ」 「餃子だけで食べるのか?」 氷室の言葉に劉はふと笑った。その笑顔に氷室は首を傾げる。 「中国じゃ餃子は主食ネ。だから日本来て、寮で初めて餃子とご飯出された時は何事か思ったヨ。日本で言えば、うどんをおかずに米を食うようなモンだからな」 「へぇ〜、そうだったんだ。でも劉、普通に食べてたよな?」 「すぐに慣れたネ。秋田の米、超ウマかったし。それに日本の餃子の皮、おかずになるようにか薄く作ってある。向こうじゃ皮も手作りだから、厚みがあってもちもちネ。だから皮が米の代わりみたいなモンなんじゃないのか?」 「じゃあ今度は皮も作ろうよ。でさ、オレ、水餃子食べたいな」 「うーん、おかあさんに電話して作り方聞いとく」 おかあさん、と言った劉の声はとても穏やかで。照れ臭そうな劉の微笑に、氷室もつられて微笑んだ。
*
「いただきまーす」 「いただきマス」 両手を合わせから、二本目の缶ビールと缶チューハイで乾杯をする。リビングのローテーブルの上には、餃子の他にスーパーで買ったサラダの盛り合わせや、ほうれん草のおひたしといった惣菜がいくつか並んでいる。外食で餃子を食べるときは、しょう油とお酢に好みでラー油を加えて食べるが、氷室の家に酢が常備してあるとは思えなかったので、いちばん小さな酢の瓶とラー油を買った。そして案の定、買って正解であった。 「美味しい! すっごく美味しいよ、すごいな劉!」 最初の一つを口に入れ、氷室は本当に美味しそうにそれを飲み込んだ。 「べつに私がスゴイわけじゃない。味付けの素がウマいんダロ。それにオマエも一緒に作ったろ」 「うん、でもさ、オレ一人じゃできっこないし。タイガもすごく料理が上手いけど、劉もすごいよ」 「タイガ? ああ、あの弟分か。アイツの料理なんていつ食べたんだ?」 「高校出て東京来てから時々泊まりに行ってるんだよ。あいつ、高一のときからマンションで一人暮らしだったからさ、何でも作っちゃうんだ」 「ふぅーん」 「この前もアメリカから帰って来たときオレもオフだったからさ、二晩泊めてもらって―――」 「へぇ……」 劉はまるで関心が無い風な素っ気ない声を返す。 「劉ってさ……」 「なんだ」 「やきもちとか妬かないのか?」 「やきもち? 誰に」 「今だったら、タイガ?」 「ハ? なんで弟にやきもち妬くんだ。バカバカしい」 「それはそうだけど……」 「なんだ、やきもち妬いて欲しいのか?」 「うーん……そういうわけじゃないけど、なんていうのかな、よくわからないな」 「それじゃ私はもっとわかんねーヨ」 実際問題として、タイガ、という名の一つ年下で氷室とは血の繋がりのない弟分であり、高校時代のライバル校の選手であり、現在アメリカのNBAの選手である火神大我に対してやきもちという感情があるかといえば、それは無い。氷室の子供時代を知っているという点で羨ましいとは思うが、それだけだ。やきもちを妬いて欲しいわけじゃない、というのは本音かもしれないが、おそらくは、自分だけがやきもちを妬いているのが面白くないのだろう。
ここで話は二カ月前に遡る。 初めて氷室が劉のマンションに泊まった日の夜だった。 そろそろ風呂に入って寝ようかという時間になって、突然氷室が「ゴム買ってないな」と言いだした。ゴムとは言わずもがな、コンドームの事だ。「あるヨ」と言って、劉はサイドボードの引き出しから箱を取り出して氷室に差し出した。ところが、すでに封が切られ、中を見ればいくつか減っているのを知るや否や、氷室はそれをブン! とゴミ箱に向けて投げ付けた。劉が彼女と別れたのはその日より数か月前で、そのことを知っている氷室も当然劉がそれを誰と使っていたのか予測できるわけだが、まさか女じゃあるまいし、そんなことを気にするとは思いもしなかったので呆気に取られていると、氷室は自分の荷物の中から財布と、常に持ち歩いているマスクを取り出して、何も言わずに部屋を出て行ってしまった。 残された劉――といってもここは劉の部屋だ――は暫し呆然としていたが、さてどうしたものかと、とりあえず電話を掛けてみた。氷室のスマートフォンは、すぐそばに置かれたバッグの中で洋楽を奏で始めた。思わず大きなため息が洩れ、こういう場合は追いかけた方がいいのだろうかなどと考えを巡らせていると、『ピンポーン』とインターホンが鳴った。時間にしてものの二〜三分だ。拗ねて飛び出したにしては耐性が無さ過ぎるなと思いながらもロックを解除してやると、やがて上階に上がってきた氷室は部屋のドアを開けてズカズカと中に入り、劉の前まで戻って来るなり白い袋を乱暴に放った。袋は劉のマンションの一階に入っているコンビニのものだ。すぐに戻って来たのも頷ける。袋の中身を確認すると、それはコンドームの箱だった。しかも一箱ではない。五箱だ。劉はぽかんと口を開いたまま氷室を見上げた。 「気の利かない店員だよな。こういう物はフツー紙袋とか色の付いた袋に入れるんじゃないのか?」 マスクを外しながら、氷室はいかにも不機嫌そうに言った。 「クックック……」 劉の肩が小さく揺れる。これはもはや笑うしかない。 「何が可笑しいんだよ」 「イヤ、私、愛されてるんだなぁと思って」 「そんなんじゃないよ。でもこれで当分足りるだろ?」 「うーん、せめて全部Lサイズ買って欲しかったネ」 「……!?」 氷室はしまった、という顔をして劉を見下ろした。怒りに任せて買ってしまい、そこまで考えが及ばなかった。袋から出されたそれらは二種類あって、〈0.02リアルフィット〉とパッケージに書かれた一箱はLサイズのようだが、〈うすぴた0.03〉四箱は、Mサイズだ。 「あ……いや、劉ならMサイズだろうとかそういうことじゃなくって……」 さっきまでの勢いはどこへやら。急にしおれて氷室は劉とコンドームの箱の前に座り込んだ。 「これ、どうしよう……返品とか恥ずかし過ぎるよな……」 自分の行動の浅はかさを悔いたところで今さらだ。 「どうせコンビニ入るなり店のゴム全部買い占めたんダロ」 「う……うん……」 「プッ」と、劉は思わず吹き出した。しょげて俯いた氷室の背中がどんどん丸くなっていく。 「まぁ、いいヨ」 劉の手が、氷室の頭をぽんぽんとやさしく撫でた。それから劉は、Lサイズの箱を一つ残して、残りの四箱をさっき彼女との名残を取り出したサイドボードの引き出しを開けて、そこに仕舞った。 「どうするんだ?」 「とっとくか」 「え?」 「氷室がやきもち妬いてくれた記念ネ」 そう言って劉がやさしく笑ったのが、二カ月前の事だ。
愛されてるなぁ、と実感することが今は幸せだ。だからやきもちなんて妬く必要はないのだ。この気持ちを氷室にも味わわせてやりたいのだけれど、自分の言葉や態度はこの想いになかなかついて行けずにいる。 「私がやきもち妬かないのは、その必要がないからネ」 「どういうこと?」 「氷室、私のコト好きか?」 「何だよ急に。大好きだよもちろん、愛してる」 こんな風に素直になるのはすごく苦手だけれど。 「私もだ氷室……我愛你……」 いや、違う。そうじゃない。 「あのさ、劉? 高校の時からずーっとウォーアイニーだよな? そろそろ日本語でも―――」 「好きだ」 「……え?」 「好きだ、氷室。愛してる」 「え? あ、え、えっと……」 予期せぬ言葉に、氷室の心臓がバクバクと高鳴り始める。中国語では実感のなかった劉の恋情が、ストレートに心の中に入ってくる。その声は、氷室の耳の奥で何度も繰り返された。 目が合えば、お互いにもういい大人だというのにまるで初めて告白し合ったかのように、二人は赤面していた。見つめ合うのが何だか恥ずかしくなったので、照れ隠しにかどちらからともなく顔を近付けて。 二人は少し、長めのキスをした。
おしまい
|