| まどろみの中で触れる愛しさ
今日のシュート練で、2本外してしまった。打つ直前の体勢が悪かったのが1本と、一瞬気が逸れてしまったのが1本。 毎日繰り返される練習の中の数本だからといって侮ってはならない。これが本番だったら、試合を左右する致命的なミスとなったかもしれないのだ。 氷室辰也は、今日の部活終了後の自主練習をフットワークの強化に充てることに決めた。それすなわち下半身の強化へと繋がる。体勢の崩れによるシュートミスを少しでも無くしたい。 ごく単純で単調な腿上げから始まり、両足ジャンプ、サイドステップ。誰もいなくなった体育館に、キュッキュッ、というスキール音と氷室の息遣いだけが響く。あと少しだけ、もう少しだけ、を繰り返しているうちにどれくらいの時間が経っていたのだろう。ギィ、という鈍い音がして、体育館の扉が開いた。 「氷室〜、部室の掃除終わったよ」 「ああ、ごくろうさま」 「お前まだやってくの?そろそろ鍵閉めて帰りてーんだけど」 声を掛けてきたのは、氷室と同じ3年生の部員だった。すでに制服に着替え、鞄も肩に掛けている。 陽泉高校男子バスケ部は、先輩後輩の上下関係は非常に厳しいが、バスケに対する姿勢は平等に、という教えがあるため鍵当番と部室の掃除は1年生から3年生までが順番に行う。それはたとえ主将の氷室であっても例外ではない。 「鍵置いてってくれよ。オレ閉めて帰るから」 「そっか?じゃあ頼むわ」 靴下のまま歩き難そうに中に入ってきた部員に氷室は駆け寄り、体育館と部室の鍵を受け取った。 「自主練もいいけどほどほどにしとけよ?やり過ぎて体壊したらどーすんだよ」 「限界までやることはないから大丈夫だよ。そろそろ上がるし」 「そんならいーけど。じゃあなー」 「ああ、ありがとな」 やっぱり歩き難そうに体育館を出ていく彼の背中を見送ってから、氷室もそろそろ帰ろうと散らばるボールを広い始めた。すべてをボールカゴに入れて、キャスター付きのそれを倉庫に引っ張って行く途中、ゴール近くで最後にもう一度、とボールを手にした氷室はしっかりと構え、シュート打ってみる。綺麗な弧を描いたボールがほとんど音も立てずにゴールに吸い込まれていくのを見て、氷室はどこか安堵したように微笑した。
流れ落ちる汗をタオルで拭いながら部室のドアを開けると、そこにはまだ人の姿があった。 椅子に座り、長テーブルに胸から上を突っ伏していて顔は見えないが、一般的ではない規格外の体の大きさから、それが副主将の劉偉であることは明白であった。べつに氷室を待っていたわけではないのだろう。テーブルの上には、部誌が置いてある。腕の中に顔を突っ伏した劉の顔を覗き込もうとしたがまったく見えず、ただ、腕の中から少し大きめの寝息が聞こえてきた。部誌を書いている間に疲れてうとうとして、そのまま眠ってしまったのだろうか。「劉、」と声を掛けようとしたが、どうせなら一緒に寮まで帰ろうと、氷室は劉を起こすのを止めて先に着替えることにした。着替えているうちに物音に気付いて起きるかもしれないと思ったりもしたのだが、劉はまったく起きる気配がない。相変わらず寝息は聞こえていて、何だか起こすには忍びない。黒いカーディガンの広い背中が丸まっている。その黒に手を置いて少し揺すってみたが、反応はなかった。次に、淡い茶の髪が目に入った。自分の髪はよくサラサラだと言われるが、それなら劉の髪はフワフワしてそうだな、と思う。試しに頭の上に手を置いてみたが、特にフワフワしていることもなく、ただ、ちょっとやわらかいような気はした。少し力を入れて押してみたが、それでも劉は、目覚めない。 部誌は3年生が日替わりで担当し、その日の練習の成果・反省点を書くことになっている。1・2年生には1・2年生用のノートがあり、やはり日替わりで思ったことを書いて、いずれも監督の荒木雅子に提出をする。
(・主な練習内容 基礎練の後、2メン3メンしてオフェンスの強化。ペアが誰でも同じにパス&ランができる走力と判断力をすること。 横パスするの時は―――)
氷室は劉の書いた日誌を声には出さずに読み始めた。普段スラスラと流暢に話す日本語がウソのように、その文章は何かがおかしかった。ただ、自分が書いても大差はないだろうなと思う。
「―――室・・・氷室・・・っ」
あ、劉の声だ・・・と、まどろみの中でその声を認識する。ところが次の瞬間、「氷室っ!!」という怒声とともにバシッという衝撃が脳天に響いた。ビックリして顔を上げると、テーブルの向かい側に、長い黒髪の女性が座っていた。 「おい劉、なにもそんな起こし方しなくても・・・」 女性は苦笑しているようだ。ぼんやりと見えていたその顔が次第にはっきりと氷室の目に映ると、「うわぁっ!!」と大きな声を上げて、氷室は椅子から立ち上がった。 「す、すみません監督、なんかオレ、劉につられて寝ちゃったみたいで・・・」 「ワタシのせいアルか!」 すでに立ち上がっている劉が不満げに氷室を見下ろす。 「いつまで経っても部誌が届かないからバックレて帰ったヤツがいるのかと思って一応見に来てみたら、2人並んでまったく同じ格好で寝てるから何だか面白くてな。しばらく放っておいた」 「お、起こして欲しかったアル・・・」 「そうですよ、オレたちマヌケじゃないですか」 「それだけ練習したってことじゃないのか?ああ、写メったりはしてないから安心しろ」 荒木は悪戯っぽく笑った。 「ああ、これか。いつもサインだけのことが多くてすまないと思ってる。毎日必ず目は通してるんだぞ?ただ、まぁ、私もこの通り体育会系で文章力がなくてな・・・口は達者だからついつい・・・」 「いえ、そんな、口頭で十分です」 「うん、まぁそうなんだろうけど、これを見たら私も少し、反省したよ」 「 「・・・?」 」 首を傾げる氷室と劉の前に、荒木は中国語と日本語が殴り書きされたノートの切れ端を差し出した。 「っ!!!!!!」 声にならない声を上げた劉の顔が、見る見るうちに赤く染まっていく。何とか前に出した手で、劉はその紙の切れ端を受け取った。 「ワ、ワタシ、まだまだ日本語書くのヘタだから、んーと・・・」 「氷室、劉」 「 「 はい 」 」 返事をした二人に対し、荒木は立ち上がってテーブル越しに唐突に手招きをした。 「頼りにしてるぞ」 彼女にそんなことをされたのはもちろん初めてだ。 「はい、ありがとうございます!!」 と、元気に声を揃えた。
終
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