| お題 「赤い糸」
「なぁ、アツシ」
今日も今日とて1時間近く続いた自主練習を終え、最後にコートを使った自分たちで床にモップをかけながら、ひとつ年上の先輩・氷室辰也が何気ない声でその名を呼ぶ。
「ん〜?」
いつもどおりののんびりとした口調で、練習に付き合わされたひとつ年下の後輩・紫原敦は、面倒臭そうにそれでも氷室より丁寧にモップをかけながら、間延びした声を返した。
「オレ、気が付いたんだ」 「何に?」 「うん、あのな、オレとアツシって、赤い糸で繋がってるんじゃないか、って」 「ハ?…………ハァァ!!!???」
ドックン、と、心臓が飛び出るかと思うくらいに大きく鳴った。 のんびり口調はどこへやら、紫原は驚愕めいた声を上げながら床に落としていた視線をバッと上げ、それから、自分より25センチ背の低い氷室を呆然と見下ろした。
「む、室ちんな、何言ってんの?て、てか赤い糸の意味知ってんの?」 「ああ、知ってるよ。アツシはウザいって嫌がるかもしれないけどな」
モップをかける手を休め、長い柄に体重をかけて、氷室は少し照れた風に微笑み、紫原を見上げている。 小指と小指を結ぶ、運命の赤い糸――。 そんな迷信みたいな言葉、信じるどころか聞いたことがあるだけで考えたことも無かったのに、まさか、この人に言われるだなんて。 バクバクと胸が高鳴って、頬が何だか熱くなる。紫原は、返す言葉を失って、無言でその場に立ち尽くす。
「イヤだったらゴメンな。でもオレ、思うんだ。オレがこの学校に入ったこととか、二人でWエースって言われることとか、本気で全国優勝狙えることとか――」 「……え?」 「うん、だからさ、それって全部アツシがいるから有り得ることで、それってもしかしたら偶然じゃなくて、バスケの神様が授けてくれた運命だったんじゃないか、って」 「あ……あーーー、そーいう……」
ズコーーーっと、マンガのギャグみたいに崩れ落ちたい気分だった。 同じ部だからとか、Wエースだからとか、そういう理由があったにしても誰よりも近い存在になっていると思っていて、いや、事実もっとも近しい存在にまでなり得たのだけれど。 この先輩の運命の赤い糸は、きっと、当たり前のようにバスケに結ばれているのだろう。
「室ちん、手ぇ出して」 「手?」
不思議そうに見上げながらも差し出された氷室の手の小指の先に、紫原は自分の小指の先をちょん、と触れて、すぐに離した。
「何したんだ?」 「んー?赤い糸、結んだの」 「結んだ?」 「うん、そう、運命の赤い糸」 「絆が強くなるとか、そういう意味か?」 「あー、うん、まぁそんなとこ?」 「めずらしいな、アツシがそういう前向きなこと言うの」 「まぁいいじゃん、それより早く終わらせて帰ろうよ〜」 「ああ、そうだな」
絆を強めて、より強くなって、バスケに勝って、それも望みではあるけれど。 それが終わってしまったら、先に卒業していなくなってしまうこの人の心をどうか、繋ぎとめられますように。 いつかこの人が、”赤い糸”の本当の言い伝えを知ったらどう思うのだろう? もしかしたらそれを知った頃には、今日自分が後輩に言った言葉など、すっかり忘れてしまっているかもしれない。
紫原がふと見下ろすと、「ん?」と首を傾げ、氷室は何も気付かぬやさしい笑みを湛えた。 その微笑みすら、胸に苦しくて。 素っ気なく顔を背け、紫原は、愛しい人と赤い糸を結んだ小指をぎゅっと強く、握りしめた。
おしまい
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