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劉には高校の寮を出てから一度も会ってはいない。 翌年度のインターハイ予選決勝にバスケ部の同期は有志で応援に駆け付けたらしいが、教職課程を選択した福井は大学入学一年目はとにかく一般生徒よりも多い授業数についていくのが精一杯で、北の地に帰るどころではなかった。 劉に〈インハイ出場おめでとう! でも、応援行けなくて悪かった〉とメールを送るとすぐに返信が来た。 〈会えないの残念だったけど、福井は勉強頑張るね〉 というむしろ激励されるような言葉の後に、 〈私は来年、故郷の大学を受験します〉 と書かれていた。 ああ、これで本当にもう会うこともないのだなと、寂しいような、それでいてどこか安堵するような複雑な思いだった。彼が中国に帰ってしまえば、もう会うこともないだろう。 福井は東京の大学を卒業後、秋田に戻って高校の国語教師になった。現在二十五歳。教員三年目である。 季節は残暑の残る九月の始め。 七月生まれの彼も、二十四歳になっているはずだ。
「福井先生〜!」 体育館の扉からひょっこりと顔を覗かせたのは、Tシャツに膝上のハーフパンツ姿の女子生徒二人組であった。手にしているのは卓球のラケットだから、顧問をしているバスケ部ではなく、卓球部の生徒だ。 「おう、どうした?」 先生、と呼ばれた男性教師が返事をすると、女子生徒は「先生にお客さんみたい」と答えた。 「客? オレに?」 「うん、フクイケンスケさんいますか? って。福井先生のことだよね?」 「男? 女?」 「男の人。すごいでっかいから先生のバスケの知り合い?」 「メッチャスタイル良いイケメン! 紹介してよ先生〜」 「はぁ?」 バカ言ってんなよと返してから、そばにいたバスケ部のマネージャーにとりあえず後のことを任せて、そのイケメンの大男とやらがいるという体育館の正面玄関へと向かった。
「でね、先生、その人なんか、日本人じゃないっぽかった」 「え?」 「日本語喋れるけどちょっとカタコトっていうか」 「マジかよ……」 「あ、ほらあの人」 女子生徒が指差した先に、長身の男が立っていた。薄桃色の半袖シャツにベージュの綿パンツという服装は非常にシンプルであったが、すらりとしたスタイルをむしろ引き立たせている。男の脇には、大きなキャリーバッグが置かれていた。 すごいでっかいのは知っている。スタイルが良いことも知っている。ただ、イケメンであったかといえばむしろ帰国子女のあの後輩が真っ先に思い浮かんで、彼のことはそれなりにとしか思っていなかったのだけれど、今、福井の目の前にいる男は、イケメンと称するに相応しい容貌であった。少し……いや、大分雰囲気が変わっただろうか。福井に気付いた男は、柄にもなく黙って会釈をしてきた。あの頃よりずい分と大人びた顔をした青年は、けれど、紛れもなくバスケ部後輩の劉だった。 「福井!」 ニッコリと微笑んで、後輩は大きく両腕を広げている。ちょっと待てどういうつもりだ? と、向かい合ったところで立ち止まり躊躇していると、「挨拶ネ」と笑って強引に腕を引かれ、福井は劉の大きくて広い胸の中にふわりと抱きしめられた。 ポンポンと背中を叩くだけの軽いハグで体は離れたが、突然の行為に福井の頬は一瞬にして赤く染まった。 「先生カワイイ〜」 案内をしてくれた女子生徒たちからそんな声が上がり、福井は思わず「お前らもう練習戻れ!」と、二人を半ば怒鳴って追い払う。「はぁい」と甘ったるい声を返しながら、女子生徒たちはその場を去って行った。 「久しぶり」 「おう、どうした急に? お前、中国帰ったんじゃなかったの?」 「向こうの大学行って、同期より一年遅れたけど就職決まったネ。ワタシ、来月中国企業の東京支社、入社する」 「えっ、そ、そうなのか? なんか、国際的ですごいな」 企業だとか入社といった言葉は教員になった福井には縁がなくて、しかもどうやらグローバルな会社のようで、何だか体格だけではなく、この大きな後輩が、さらに大きく見えた。 「で? だから、いきなりどうした? よくここが分かったな」 「午前中ハネダに着いて、氷室に福井はココにいる聞いてたから、そのまま、来た」 「こんな……田舎までか?」 福井は劉の脇に置かれたキャリーバッグを見下ろした。中国から羽田経由で秋田空港に辿り着き、真っ直ぐここに来た、ということだろうか。一体何のために? 福井の頭は混乱した。 「福井」 突然、がっしりと両肩を掴まれて、ビクッと体が揺れる。劉はひどく真面目な表情で、福井の顔をじっと覗き込んできた。 「な、何?」 「福井は今、付き合ってる人いますか」 ドクン、と、心臓が大きく鳴った。質問の意図を好いように解釈してしまいそうで。福井は、努めて平静を装って見せる。 「いや、今は……いないけど」 「ヨカッタ」 と、劉は顔を綻ばせた。 強く肩を掴んでいた手の力が、抜けるように緩む。 「ワタシ、向こうの大学で恋人できた。すっごい美人ネ。エッチもしたヨ。頭も性格も良くて、バーバ(お父さん)もマーマ(お母さん)も気に入ってた。テイテイ(弟たち)とも仲良くて、だからワタシ、大学出て働いたら、彼女と結婚したい思ってた」 劉は少し早口でそこまで言い切ると、何故だか顔を歪めた。単なるノロケには聞こえなくて、福井は黙って耳を傾ける。 劉は、続けて言った。 「でも、結局ダメだったネ」 「えっ、なんで?」 「福井を忘れる、できなかった」 「……!?」 ああ――――。 心の中で、声を上げた。 もう何年も、胸の奥にしまっておいたはずの想いが。 きっと死ぬまで隠しておくはずだった想いが、溢れ出す。 何だよ劉、お前もか。 「オレも、」 「アッ、もし福井好きな人いるならワタシ、べつに―――痛っ!」 パシッと、福井の指先が劉の額にデコピンを食らわせた。 「イッタイ〜〜……」 「目上の人間の話は最後まで聞け! 社会人の基本だぞ!」 「ハ、ハイ」 額を擦りながら首を竦めて、劉はシュンとして福井を見下ろした。それはまるで、あの頃みたいに。 大人びたと思った後輩は、やっぱり可愛い後輩のままだ。福井は肩を掴んだままの劉の両手に、そっと、手を重ねた。 「オレもだよ、劉」 「エ?」 「オレもお前が、忘れらんねーんだわ」 「!? 真的!?!?」 細い目を大きく見開いた劉は、見る見るうちに笑顔になった。そのまま肩を抱き寄せられて、さらに、強く抱きしめられた。福井は慌てて周囲を見渡すと、強引に劉を引き剥がした。 「バカかお前は! ここ学校だぞ! で、オレ、先生な!」 「対不起」 ごめんなさい、と母国語で詫びた劉は、それでも嬉しそうに笑った。
劉は、今夜泊まるホテルも決めていないと言った。 福井は体育館奥の体育教官室へと走った。 すぐに戻って来た福井から劉が手渡されたのは、福井のマンションの部屋の鍵だった。咄嗟の思い付きだった。劉のスマートフォンにマンションの住所と場所を記憶させた福井は、一晩泊めてやる、と言った。 「ちょっと、ドキドキね」 そんな劉の言葉にドキッとしたのはむしろ福井の方で、「さっさと行け!」と、照れ隠しみたいに劉を追い立て先に帰らせた。 今晩帰ったら、キスくらいはするのだろうか。 きっとするのだろうなと想像したら、まだ仕事中だというのに、体の奥が疼いた。
「先生〜、さっきのデカい人、先生の恋人?」 玄関奥のエントランスでストレッチをしていた男子生徒たちが劉と福井のやり取りを遠目に見ていたらしく、劉が去ったのを見計らって、面白半分に聞いてきた。 「はぁ? んなわけねーだろ、どう見たって男だろ」 福井は白々しく、さも当然のように答える。 「でも抱き合ってたじゃん」 「あれは挨拶のハグ、ってーの! オレが高三とき振りに会ったんだから、懐かしかったんだよ」 「あの人もバスケ部っしょ?」 「そうだよ」 「インハイとウインターカップ出たときのレギュラー?」 「ああ、そうだ」 「うおー!」 すげーー、とか、サイン貰っとけば良かった、といった羨望の声が少年たちから上がるのを聞いて、「おいおいアイツ、ただの中国のリーマンだから」と、福井は思わず苦笑する。 「先生の同期?」 「あー、いや……」 首を横に振り、福井は小さく微笑んだ。 「デカいばっかでクソ生意気な後輩だよ」 最愛の、な―――。
おしまい
Twitterの、あみだをして当たった方のリクエストに応えて1冊だけ本を作る、というタグに乗ってみたところ、劉福好きなYさんが当たったので、1冊だけコピー本を作らせていただいたのですが、すごく、すごく、楽しかったです!! |