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ひと月後―――。
まるで何事もなかったかのように紫原は大学生生活を送っていた。昼間授業を受けて、夕方から練習に出て、夜、家に帰る。ただ、時折ふと次に病院に行けるのはいつだろうなどと考えては、もう、その必要がないことに気付いた。 ある日家に帰ると、ダイニングテーブルの上に宅急便の荷物が二つ、置かれていた。
「氷室君の香典返し」
キッチンにいた母親はまず小さい方の包みを差した。それから大きい方の箱に手を乗せ、「これ、氷室君の名前で敦宛てに来てるんだけど……」と言って、神妙な面持ちで箱を見下ろした。送り状の品名には〈バスケットボール〉と書かれている。その場で開けるのは何だか躊躇われて、紫原はそっと、箱を持ち上げた。
「部屋、持ってくから」
母は、何も言わずに頷いた。 二階に上がって自分の部屋に入って、鍵を閉める。紫原は、宅急便専用の段ボール箱を封じているガムテープを丁寧に剥がした。箱の中には、手紙が二通と、梱包材に包まれたバスケットボールが入っていた。 〈紫原敦様〉と書かれた封筒の中には氷室の母親からの手紙が入っていて、そこには今までのお礼と、ボールを送った経緯が書いてあった。
〈 辰也から、もしも自分がいなくなったらこのボールは敦君に渡して欲しいと頼まれていました。邪魔になるかもしれませんが、辰也の思い出として貰って頂ければ幸いです。〉
比較的綺麗なボールは、あの日二人でバスケをしたボールに違いない。そっと箱から取り出して、胡坐をかいた足の上にそれを乗せる。 〈アツシへ〉と書かれた封筒には、氷室からの手紙が入っていた。帰国子女な所為か高校時代からあまり字は上手くないなと思っていたが相変わらずで、横書き便箋の罫線の上には、筆圧の弱い拙い文字が並んでいた。
アツシへ
アツシがこれを読んでいるということは、オレはもうこの世にいないのかもしれないな。 今まで本当にありがとう。病院でいつも持っていたボールはオレとアツシしか使っていないやつだから、どうかアツシがもらってくれ。
アツシがいつもしてくれたおまじない、高校の時は最終的には効かなかったけど、この前小学校でお前とバスケをした時に一瞬だけ、見えたんだ。オレがずっと、見たかった世界が。 あの日、本当はもうバスケなんかできる体ではなかったんだけど、お前に手を引かれた瞬間、何だかものすごく力がわいてきて、ウソみたいに体が軽くなって、歩くだけで疲れていたはずなのに走って、バスケまでできた。まるで奇跡だったよ。だからあの力がきっと、おまじないの効果だったんじゃないかとオレは思う。
アツシ…最後の最後に、最高のギフトをありがとう。 70年後か80年後かわからないけれど、アツシがいつかこっちに来たら、また、バスケをしよう。
それじゃあ、またな。これからもお前は、頂点を目指せ! Good luck !
氷室辰也
「ずるいよ、室ちん……」
手紙の文字を繰り返し目で追いながら、紫原は小さく呟く。 頂点を目指したかったのは、きっと自分なのに。氷室の時間(とき)は、たった二十年に届かず永遠に、止まったままだから―――。
「おじいちゃんのオレと今の室ちんじゃ、オレが負けちゃうじゃん」
ぽつりぽつりと。 瞳から止め処なく溢れ出る涙の滴は、まあるいバスケットボールを伝って、流れて落ちた。
終
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〜奥付より〜
設定的には、火神くんには火神くんの物語(ブラザー的な)があるし、 この話はアツシ視点だけど、室ちん視点で書いたらまったく違う話になるのかなと思います。 2年以上前からずっと考えていていたのだけど書く機会のなかった話を今回こうして書くことができて、満足です。 お読みくださりありがとうございました!
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