劉と氷室を何とかしたかった





「ぎおんしやうじやのかねのこえ?」

「ぎおんしょーじゃ、じゃなかったけ?なぁ?」

「ああ」

「しよぎやうむじやうのひびきあり」

「しょぎょーむじょーじゃなかったっけ?そうだよな?」

「・・・ああ」

「しやらさうじゆのはなのいろ」

「さらそーじゅ・・だよな?・・な?佐々木?」

「お前らさぁ・・・いい加減うっせーよ!!!」


佐々木と呼ばれた男子生徒は後ろを振り返り、劉と氷室に向かって怒鳴った。
再三に渡って声を掛けられ同意を求められ、それに対していちいち返事をしていたのでは、終わるものも終わらない。

「課題は書き写すだけだろ?読めなくていーじゃん。誰もお前らにそこまで求めてねーよ」

「ひどい言われようだな」

「なんかバカにされたアル」

「付き合ってたらオレが終わんねーんだよ!!」

「そんなこと言うなよ、オレたち友達じゃないか」

「あーもうとにかく書け!!で、今から絶対オレに話し掛けんな、な?」

「まったく、心の狭い男アル」

「・・・・・・っ」

ぶち、っとこめかみの血管が切れそうなほどにイラついたが、このバスケ部コンビを相手にしたら負けだ。二人の前の席に座ったのは正解だった。前にいれば無視もできるが、もしも奴らの後ろに座って振り向かれたら、鬱陶しさMAXだ。佐々木は劉と氷室に無視を決め込み、ノートにシャーペンを走らせた。


放課後の教室にいるのはたった3人。
バスケ部の劉と氷室、そしてハンドボール部の佐々木は、先週の土曜日に部活の練習試合があったため出られなかった授業の補習を受けている。
課題は『平家物語』のなかの『祇園精舎』をノートに書き写す。それだけだ。
本当はあと
3人いたはずなのだが、皆さっさと終わらせて帰ってしまった。劉や氷室と比較的仲が良かった佐々木は、始めのうちは3人でどうでもいい話をしたりして、課題に意欲的ではなかった。ところが、一人減り、二人減り、ついには劉と氷室という留学生と帰国子女の国語壊滅的コンビと自分だけになってしまい、今さらながらに激しく焦っているところだ。後ろでピリピリと何かビニールを開封するような音が聞こえる。たぶん、お菓子を開けている音だ。後ろを向いてひとつくれ、と言いたいところだが、そうしたらきっとまた余計な会話に引き摺り込まれてしまう。あとで当然貰うつもりだが、今は我慢だ。そう心に言い聞かせ、佐々木は文字を書くスピードをさらに速めた。

開封された菓子は、氷室がカバンの中から取り出したアーモンドチョコだった。日本でアーモンドチョコといえばコレ、というくらいにメジャーなその商品は、平たい直方体の箱に入っていて、引き出しのような作りになっている。氷室は箱を半分くらい引き出して、机の上に置いた。

「リュウ、食べる?」

氷室はまずひとつつまんで自分の口へと運んでから、劉に尋ねた。

「貰うアル」

劉はひとつ貰おうとして箱に手を出しかけたのだが、それより早く氷室はふたつ目をつまんで箱から出し、劉の顔の前に差し出した。

ちょっと待て・・・。

声には出さなかったが、劉は心の中で呟いた。
これは一体どうしろと言うのか?氷室の手から直接食べろということなのだろうか。劉の頭は混乱した。こんな小さなチョコレートをその手から直接食べれば、下手をすれば指先が唇に触れる。というか、問題はそれよりも、女子ならともかく男子高校生同士がそんな食べ方をするのか?ということだ。氷室はこの状況に疑問を抱きはしないのだろうか。

「早くしろよ、溶けちゃうだろ」

一向に動かない劉に痺れを切らせたかのように、氷室はつまんでいたチョコを一方的に劉の口に入れた。予想していたとおり、唇に氷室の指先が触れる。意識してしまったせいか、その瞬間心臓がとくんと高鳴るのが自分でも分かった。それを気付かれないように平然とチョコを噛み砕こうとしたとき、氷室がまた、思いもよらぬ行動に出た。

彼は劉の唇に触れたはずの指先をふと眺めたかと思うと、まずは人差し指を、次に親指を交互に舐めた。劉は息をするのも忘れて、呆然とその様を見つめる。視線に気付いた氷室に「どうした?」と聞かれてようやく息を吐き出したが、胸の鼓動はばくばくと激しく高鳴っていく。「どうもしないアル」と平静を装って答え、劉は再びノートに向かった。

アメリカではこれが普通なのか?

ノートに文字を書き写しながら、劉は考えを巡らせた。
たとえばアメリカのハイスクールで、今のようなやり取りをする男の友達同士を想像してみる。
ない。ジョークでも言うのならともかく、まともな状況ではやっぱりあり得ない。
氷室がおかしいのだろうか。劉の頭は混乱するばかりだ。

「よっしゃあ、終わったー!!!」

前の席で、佐々木が歓喜の声を上げた。
劉も氷室も顔を上げ、彼の背中を恨めし気に見つめる。
二人を無視する必要のなくなった佐々木は、後ろを振り返った。

「氷室、なんか食ってんだろ?オレにもくれよ」

アーモンドチョコのパッケージが振り向いた佐々木の目に入った。だが態勢が悪く、直接手は届かない。

「いいよ」

氷室は箱を持って、佐々木の手の届くところへと箱を差し出してやった。彼は「サンキュー」と言いながら遠慮なく3つか4つほどチョコを掴み、一度に口へと運ぶ。劉は眉を顰め、その様子を黙って見つめた。

「んじゃオレは職員室行ってコレ出してそのまま帰るわ」

「薄情だなぁ」

「何だよ、お前らどこまで終わってんの?」

佐々木は劉と氷室のノートを覗き込む。

「まぁ・・頑張れ」

憐れむように失笑しつつ、ついに佐々木も教室から去って行った。

「あいつ、一気に4コくらい取ってったぞ」

氷室は少し軽くなった箱をカラカラと揺らして見せた。劉は未だ怪訝そうな表情で、箱を揺らす氷室の手を見つめている。
なぜ、佐々木には箱を差し出したのだろう。あの態勢ならば、直接口に入れてやれば楽なはずなのに。

「何だよリュウ、顔怖いぞ?」

試してみようと、思った。

「ワタシも欲しいアル」

「これか?」

氷室は箱をひょいと掲げて見せる。「くれ」と言って劉が手を伸ばすと、氷室は箱を劉の前から何気なく避けて自らの手で一粒つまみ、やっぱり劉の顔の前に差し出した。だが今度は迷うことなく、劉は差し出されたチョコに顔を寄せ、氷室の指先から直接口に入れた。劉の唇が、氷室の指先を掠める。氷室は少し驚いた風に劉の顔を見ながら手を引いて、さっきと同じように自分の口で指先を舐めようとしたが、そうする前に劉はその手を掴んだ。掴んだ氷室の手を自分の顔の前に強引に引っ張って、劉はチョコをつまんでいた氷室の親指と人差し指を交互に口に含み、深く舐めて取る。舐められた瞬間氷室はぴくりと肩を竦めたが、「やっと気付いた」と微笑して、ゆっくりと劉を見上げた。

「なぁ、リュウ」

「何、アル?」

「指じゃ、なくってさ・・」

言いながら氷室は、劉の唾液で濡れた指先でまず劉の唇をなぞり、それから自分の唇をなぞって見せた。彼のそんな仕草は、艶めかしい、という表現で合っているだろうか。劉の理性の糸は、容易にぷつりと切れた。

氷室の肩に手を掛け、見上げてくるその顔にそっと顔を近付けてみる。氷室は相変わらず劉を見つめていたが、劉が顔を傾けると、自然と瞳は閉じられた。待っているようにしか見えない氷室の表情に誘われるかのように、劉は氷室の唇に、自分の唇を重ねた。触れた互いの唇はあまりにもやわらかく、想像もしていなかった生々しい感触に戸惑い、暫し息をすることも忘れてそのやわらかさに酔い痴れる。
しばらく唇を押し付けた後、お互いに少し息が苦しくなって、自然と唇は離れた。

「・・やっちまったアル」

両手で顔を覆い、劉が、ぽつりと呟いた。

「嫌、だったか?」

氷室は劉を控えめに見上げ、尋ねる。

「氷室は平気アルか?」

「嫌だったら今頃リュウのこと殴ってるよ」

「ん・・?それはなんか、理不尽?・・アル」

自分の言った日本語に自信がなかったのか、劉は疑問符を付けて氷室に言葉を返した。

「納得いかない、ってこと?」

「たぶん?・・Perhaps so・・」

日本語が得意とは言えない二人は、お互いの言葉の意味を探り合いながら、問い掛ける。

「ワタシ、どう考えても氷室に誘われたとしか思えないアル」

「ああ・・」

そういうこと、と言って氷室は照れた風に肩を竦め、小さく笑った。

「だってオレ、ずっと、そうしたかったから」

「は?」


上手く伝わらない言葉。

上手く伝わらない想い。

だったら――。


「もう一度キス、してもいいアルか?氷室」

「そうしたかった、って言ったろ?」

「きっと、ワタシもだ・・」

劉が再び氷室の肩に手を掛ける。
二人の唇は、再び重ねられた。押し付けては離し、また、押し付ける。それに慣れたら今度は、啄ばむように何度も、何度も。高鳴る心臓の音は、耳鳴りのように頭の中に響く。氷室は手を伸ばし、劉の髪に指を挿し入れた。少し冷たい指先の感触は、ざわざわと劉の体を這っていく。劉は氷室の肩に掛けていた手を背中に回し、その体を引き寄せた。触れるだけじゃ足りない。だからさっきよりも深く、互いの唇が交わるように、深く。

「・・ふ・・っ」

と、氷室の口の隙間から、苦しげな吐息が洩れた。その吐息さえ、劉にとっては甘美な誘いに思える。劉は一度唇を離し、氷室の顔を見た。氷室は目を細め、薄く開いた唇の端を少しだけ上げて微笑み、「やめるなよ」と言って劉を見上げた。止める気などないし、止められるはずもない。返事の代わりに、劉はみたび氷室に口付ける。少しの躊躇いはあったが、劉は氷室の唇の隙間から、舌を挿し入れてみた。瞬間、氷室の体はびくっと大きく揺れたが、彼は逃れようとはせずにそれを素直に受け入れた。挿し入れた舌で、氷室の舌の上を、下を舐めて味わう。少しざらりとした感触が、氷室の口内を蠢く。舌先で何度か氷室の舌を誘うと、氷室は劉の口内に舌を差し出した。劉は氷室の舌を吸い上げる。「ん・・っ」という苦しげな声が氷室の唇の隙間から洩れたが、劉は構わずに氷室の舌を侵した。

「リュウ・・ちょ、っくるし・・っ」

堪えきれず、氷室が顔を離した。はぁ、はぁ、と少々息を切らせている。

「あー・・すまない、アル」

一応は謝ったが、劉は「じゃあもう少し優しくするアル」と言って、そっと氷室に顔を寄せる。やさしく唇を重ね、ゆっくりと舌を挿し入れると、今度は歯と歯茎の間へと舌を這わせ始めた。ぞくぞくと、氷室の体に震えが走る。それは不快感ではなく、おそらく快感なのだろう。決して他人に触れられるはずのない部分に触れて、触れられて、その行為は少年たちの思考を容易に狂わせる。氷室は、劉に手を伸ばした。

「!!!???」

突然の衝撃に驚いて、今度は劉が氷室から顔を離した。

「待て待て待て!ちょい待つアル、氷室っ!」

氷室の両肩を押さえ、劉は腰を引いて前のめりになった。なぜなら劉の股間には、氷室の手が触れられている。キスをし始めた頃からすでに、そこは反応していた。口付けが深くなるにつれ、硬さと大きさを増していることにも気が付いていた。けれどそれをここでどうにかしようなどとは考えていなかった。行先を失ったらトイレに行って終わり、くらいに思っていたからだ。

「キスだけでこんなになってるのか、リュウ」

「・・う・・っ・・・」

勃ち上がりきったペニスをズボンの上から撫でられて、劉は小さな声を上げた。このまま続けたら大変なことになることは分かりきっている。劉は肩を押さえていた両手を離し、股間に伸ばされた氷室の腕を掴んだ。

「ダメだ、氷室・・」

氷室の腕を無理やり押し返そうとすると、氷室はあっさりと劉の股間から手を退けた。

「なぁ、リュウ」

退けた両手で、氷室は劉の右手を握る。
それから劉の肩に、こつんと頭を寄せて、囁いた。

「オレのも、触ってくれよ・・」

氷室は握った劉の右手を自分の股間へと誘う。
劉の頭の中で、何かが弾けた気がした。
もう、どうなってもいいと思った。

氷室に触れてみたい、という願望は以前から少なからず抱いていた。けれどそれが恋愛感情なのかどうかは、劉自身にもよくわからなかった。恋心と言うには、あまりにも大きな障害があったからだ。氷室が自分と同じ男であるという事実。それは何があっても変わるものではない。こんなことになった今も、氷室に対する好意が恋情なのか、まだよくわからない。ただはっきりと言えることは、これが氷室でなかったら、こんなことはしない、ということだ。

氷室に誘われるままに、彼の股間に手を触れた。ズボンの上からでもはっきりとその形がわかる。

「・・氷室も人のこと言えないアル」

「だって、仕方ないだろ・・」

氷室も再び劉の股に手を触れてきた。布越しに、お互いの昂りを手のひらで撫でたり、形に添って指先で扱いたりして刺激を与える。肩に寄り掛かっていた顔を上げ、氷室は切なげに劉を見上げた。誘われるように、劉は唇を重ねる。幾度となく唇を合わせながら、その行為は暫し続く。自分たちの行為の異常さに気付いてはいたが、もう、止めることなどできなかった。

「氷室・・・」

「ん・・?」

「このままだとマジ、ヤベー・・アル」

「いきそう?」

「・・・っ」

素直に認めたくはなかったが、否定もできない。劉は悔しげに唇を噛み締める。

「いいよ、出しちゃえよ」

「大変なことになる・・アル」

「じゃあさ」

氷室は劉のズボンのファスナーに手を掛けた。
劉は驚いて、再び腰を引く。

「ちょ・・っ、ホントにオマエは、何アルか?!」

「直接触って出してやろうかと思って」

「何考えてるアルっ!」

「パンツの中にぶちまけるよりマシだろ?ティッシュあるし」

氷室は教室の後ろに置かれたクラス専用のティッシュの箱を顎で指した。
ついさっきまで、あんなにも艶めかしかったかと思えば、この潔さ。
もっとも、そんなギャップにも、自分は惹かれているのかもしれない。

「直接なんて、汚いアルよ」

「オレ平気だよ?・・リュウのなら」

氷室の言葉に反応して、また、限界が近くなる。
直接触れられて達したら、その後は自分が氷室のものを直に触ってイかせてやることになるのだろうか。
それも、いいかもしれない。

「好きにするアル」

劉は覚悟を決めた。

そのとき――。

廊下の少し遠くから、足音が聞こえた。上履きではなく、サンダルを摺るような音だ。二人は互いの股間から手を離した。
足音はどんどん近付いてくる。隣りの教室あたりまで来たところで、二人は寄せていた体も離し、机に向かって正しく座り直した。

ガラッ、と教室のドアが開く。

「お前たち、まーだ終わらないのか?」

やって来たのは、年配の国語教師だった。

「先生・・オレたちに古典はレベル高過ぎです」

「あー、まぁな」

言いながら二人の座る席までやって来た教師は、ノートを覗き込むと劉と氷室を交互に睨み、やがて大きなため息を吐いた。

「俺が見張っててやるからさっさと書け」

「「 Yes, sir 」」

調子の良い返事を二人で同時に返すと、国語教師はもう一度ため息を吐いた。劉と氷室はシャーペンを手に、ノートに文字を走らせた。





机に隠れた下半身は、未だに疼いて止まない。
教室のドアが開く直前、氷室が囁いた言葉が劉の耳から離れない。


続きは寮でな・・


自分たちは一体どうなってしまうのだろう。
続きを想像すると、治まるものも治まらなくなってしまうので。


とりあえず今夜は、風呂に入ったら念入りに体を洗おう、と思う劉であった。







おしまい



 

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