栗の花の咲く頃 1






青峰っちは変わった。

あんなに大好きだったバスケをつまらなさそうにやるようになったし、バスケをする上では、仲間も、誰も、必要としなくなった。
自分がいれば勝てる。そんな思いでいるようで、実際には5人対1人で勝つことは不可能(でも弱いチーム相手なら勝っちゃうかも)なんだけど、青峰っちにボールが渡れば確実に点は入ったし、負けたこともなかった。

3年になってしばらくして、青峰っちは部活にほとんど出て来なくなった。それでもたまーに、ふらっと体育館の扉から顔を覗かせて、「黄瀬ぇ!」とオレを呼びに来る日がある。オレが振り向くとひと言、「1on1やるぞ」とだけ言って、オレが練習の手を止めて自分のところに来るのを待っている。
そんなときオレは必ず主将の赤司っちの顔色を窺うんだけど、赤司っちの答えはいつも「行っておいで、涼太」だった。赤司っちにどんな思惑があったのかはわからない。そうやって青峰っちを見過ごす主将の態度に影では不満も囁かれていたのかもしれないけど、赤司っちに意見する部員など誰もいなかった。

オレはその場で練習を抜け、自分の荷物を纏めて抱えバッシュを一度履き替えて、外で待つ青峰っちの元へと向かう。”青峰っちと1on1”の日は、そのまま直帰が許されていたからだ。「四体な」と言う青峰っちの手にはすでに第四体育館の鍵がある。最初の頃はオレが荷物を抱えたまま鍵まで取りに行かされていたので、それはそれで、少し嬉しかった。


青峰っちとの1on1は、やっぱり楽しい。
練習サボってる青峰っちにもまだまだ全然追いつけないし、全然勝つこともできなかったけど、それでもオレは青峰っちのバスケが大好きだったし、青峰っちとやる1on1も大好きだった。どうして試合になると変わってしまうのだろうと最初は悲しくなったこともあったけど、最近はオレも少しだけその気持ちがわかるっていうか、考え方が変わってきた。
もっと自分を磨くことに専念してもいいんじゃないか、って。頂点に立つ素質を持つ人5人(+1人)がそれぞれもっと自分を磨けば、チームとかに関係なく勝てるんじゃないか、って。

オレがバスケを楽しいと思ったきっかけはそうだったかな?と心のどこかにもやもやしたものは感じたけど、今はそれが正しいと思っていた。




*




「ちったぁマシになったんじゃね?」

青峰がめずらしく黄瀬を褒めた。2年のときはカットすらままならなかったが、最近はたまにならできるようになっていたからだ。

「練習サボってる青峰っちをやっとこカットできて喜ぶほどお気楽に出来てねーっスよ、オレ」

「んだよ、可愛くねーな」

「可愛いって言ってくれたら喜んであげるっス」

「言うかよバーカ、気持ち悪ぃ」

1on1をした日は、二人は一緒に帰った。
二人でいるときの青峰は、以前とそんなに変わらない気がする。ぶっきらぼうなのは前からだったし、最近の試合では決して見られなくなった笑顔も見ることができたので、そんなとき黄瀬はすごく幸せな気持ちになった。ただ「気持ち悪ぃ」はちょっと傷付くが。

「・・ん?」

ふゎ…っと、何か鼻につく匂いがした。
嗅いだことのある匂いだ。
黄瀬は何だろうと辺りをきょろきょろと見回したが、真っ暗な夜、人けのない路地に外灯の明かりだけでは周りに何があるのかわからない。青峰は何も気づかない風に平然としていたが、黄瀬の行動が可笑しくなったのか、「くっくっ」と声を殺し、肩を揺らして笑いを堪え始めた。

「な、何なんスか?」

「いや、何お前、どうしたの?」

「え?あー、何かヘンな匂いしたなー、って」

「ヘンなって?どんな匂い?」

「え?・・っと・・・」

「くっ・・くっ・・ぷ・・っ」

「ぶゎっはははっ!!!」と、黄瀬の方が驚くくらいに青峰が大笑いをし始めた。

「あー、だからもうっ!!何なんスか!?この匂い!!」

「(ばっか!でけー声で言うんじゃねーよっ!!)」

青峰が突然声を潜め、黄瀬の口元を手のひらで塞いだ。心臓が、ドックンとものすごく大きく鳴ったのがわかる。青峰の大きな手は顔の小さな黄瀬の口だけでなく鼻まで塞いでしまった。鼻か口の僅かな隙間から呼吸するしかなかったが、青峰の手のひらに直接息を吐くなどということをしても良いのかどうかわからず、恐らく青峰自身はそんなこと全く気にも留めてないのだろうけれど、ただ黄瀬が勝手に意識して恥ずかしくなって息を止めていたらさすがに苦しくなってどうしよう・・というところで、青峰は手を離した。

「・・っはぁ・・はぁ・・」

「・・あ?お前なに息止めてんだよ。人の手ぇ汚ねーモンみたいに」

「んなこと思ってねっスよ」

「じゃ、何だよその態度は」

何なんだろう。

このまったく噛み合わない言葉。少しも伝わらない気持ち。

「もー、いーから匂いの元、教えて欲しいっス」

「ん?ああ、あれだ」

青峰が指差した先には、木があった。暗くてよく見えないが、そいういえばこの先には同じ種類の木が何本も立つ畑のような土地があった気がする。そしてその木々を覆うように、白く浮かび上がるものが見えた。

「なんスか、あれ」

「栗の木」

「クリ?」

「っつーか、栗の花?」

「クリって、あれっスか?イガイガの」

「秋にはボトボト落っこちてるからそうじゃねーの?」

「へぇ・・・」

ここは、青峰と一緒に帰るときにだけしか通らない道だったし、昨年の今頃はまだ、バスケ部に入っていないどころか青峰のことも知らなかった。

「へぇ、じゃねーよ」

「へ?」

「へ?でもねーよ。で、何の匂いがしたんだよ」

「青峰っち・・」

「なんだよ」

「わかって聞いてるっしょ」

「たりめーだろ」

「じゃあもういーじゃん!」

黄瀬はさっさと畑を通り過ぎようと歩き出し、青峰がそれを追う。 
何の匂いに似ているかといえば、それは男性の精液だ。お互いにそれがわかっているのに、わざわざ言う必要もない。青峰もべつに黄瀬にその言葉を言わせたかったわけでもない。
二人はまた、肩を並べて歩き始めた。

「なぁ」

「何スか」

「お前、経験あんの?」

むしろ青峰が聞きたかったのは、こっちだったのかもしれない。

「経験って?」

「女とヤったことあんのか、ってことだよ」

「ああ・・・・・・・ない・・っスよ」

「何だよ今の”間”は」

「青峰っちこそ、どうなんスか」

「・・・・・・ねぇよ」

「まぁ、オレたちまだ中学生だしね」

お互いに経験がないと知って、当然だという気持ちと、安堵する気持ちとが混ざり合った。

「お前モデルだし、いつも女連れてるし、そんなのとっくかと思ってたけどな」

「モデルは関係ないっしょ。女の子だって人の迷惑省みず勝手についてくるバカばっかだし、手ぇ出す価値もねーっスよ」

「お前・・結構精神荒んでんなぁ」

「そーっスか?」

この話題にはすでに興味がなさそうに、黄瀬は平然と答えた。バスケ部にいるときは常に陽気でその明るさはうざいほどだったが、ふとこうした何気ない会話のときに見せる発言や表情は、バスケ部に入りたいと言ってきたあの日の前に見かけた、何もかもがつまらなさそうな彼を思い出させる。そしてそれは今の自分とどこかリンクしているような気がして、青峰は黄瀬から視線を逸らせた。

「あー、でも」

と、黄瀬は自分から放棄したはずの会話を続け始めた。
青峰は、逸らせたばかりの視線をまた、黄瀬へと向ける。

「えっちしてもいいかな、って子ならいるっスよ」

これは賭けだ。冗談にもならない、本気の。
黄瀬は、下手したら殴られ兼ねないほどの賭けに出た。

「んだよ、そんなヤツいんの?あ、てめー、モデルとか言うんじゃねーだろーな」

「ウチの学校っスよ」

「・・マジ?黄瀬様ともあろうお方がコクってねーのかよ。100パーOKじゃねーの?」

「それがそうもいかないんスよね」

「・・気になるじゃねーか」

「言ってもいいっスか」

「そこまで言ったんだから言えよ」

「え・・っと・・桃っち?」

「・・・・・・・・」

驚いて目を見開いたのは一瞬だった。
一瞬の後、青峰は目を細めて眉を歪め、自分よりも少しだけ背の低い黄瀬を睨みつけるように見下ろした。ひどく静かだが冷たい視線からは、今にも怒りが溢れ出しそうだ。
”桃っち”こと桃井さつきは、青峰の幼い頃からの幼馴染みだ。けれど今、青峰の怒りに触れているのは、大事な幼馴染みをこんな男にやれるか、ということではない。

「さ、さつきはダメだ」

「なんで?」

「なな、なんでじゃねーよ。ダメなもんは・・ダメだ」

「幼馴染みだからスか?でもー、もしコクってOKだったら問題ないっスよね」

「そっ、そうだけどでもアレは・・」

「あっ、もしかして桃っち、実は青峰っちといいトコまで行っちゃってるとか」

「バ、ババカ言ってんじゃねーよ!誰があんなブス!黄瀬ぶっ殺すぞテメー」

わかりやす過ぎっスよ・・・。
怒りに触れた目で見下ろされたときは正直ビビったが、その言葉はしどろもどろだ。
青峰に胸倉を掴まれながらも、黄瀬は冷静に憶測を確信へと変えた。

青峰は、桃井が好きだ。
けれど桃井は、黒子が好きだと日々騒いでいる。
青峰と桃井はあまりにも一緒に居過ぎた。だから余計に、今さら言い出すこともできないのだろう。

「冗談っスよ」

「え・・え?・・・はぁ?」

胸倉を掴んでいた手を緩め、青峰は少し気の抜けたような表情で聞き返した。

「桃っちとヤりたいって話」

「んだと、てめー!!」

青峰は眉を吊り上げて、緩めた手に再び力を込める。

「ちょっ・・何でまた怒るんスか〜」

「くだらねー冗談言うからだろーが!!」

「とにかくっ、手ぇ離して。ケンカだと思われておまわりさん呼ばれたらどうするんスか」

「・・ちっ・・」

青峰は黄瀬を放り投げるようにして掴んでいた手を離した。
倒れかけて思わず膝をついた黄瀬は、1、2度咳込みながら、何事もなかったかのように立ち上がる。

「好き・・なんスよね?桃っちのこと」

「ちげー、っつってんだろ」

いつもなら少し本気で怒ればすぐにヘラヘラと笑って誤魔化すヤツが、今日はなぜこんなにも執拗に食い下がるのか。青峰は、黄瀬の言動に戸惑い始めて。

「オレの男の勘、桃っちの女のカン並みに当たるんスけどね」

「あいつは・・テツのことが好きなんだろ。今さらオレがどうこう言うことじゃねーよ」

ついには、青峰が黄瀬に折れた。
その顔はまだ機嫌が悪く、どうでもいいような不貞腐れた子供みたいで、可愛くて。
もしも自分が女だったら、いくらでも慰める方法が見つかるのに。やさしく抱きしめてやるのもいい。或いは、私じゃダメかと、あざとく縋る手だって何だって使ってやるのに。
どうしてオレは、男を好きになってしまったんだろう。

「でもね、青峰っち。オレ、いつか桃っちは青峰っちの手の中に納まる予感がするんっスよ」

これは、本音だ。
理由なんかわからない。でももうずっと、そんな気がしてならないのだ。

「あんだけテツくんテツくん言ってんのにそりゃねーだろ・・」

「今すぐじゃないっスよ。もっとずっと、何年も先かもしれないっスけど、あ、これべつに慰めじゃないっスよ?これも男の勘っス」

「んな・・当たるかわかんねーもん待ってられっかよ。女なんかいくらでもいんだからよ」

それでも、他の誰かなんて選べないくせに。

「と、とにかく・・っ」

青峰は相変わらず不機嫌そうに顔を歪め、けれどどこかバツの悪そうな表情を浮かべながら、黄瀬の肩に手を掛けた。黄瀬は肩に掛けられた手をちらと見て、それから青峰の顔を見上げる。

「さつきにはぜってー言うなよ」

「わかってるっスよ」

「で、あれだ、お前がさつきと・・ヤりてー、ってのは・・本当に冗談なんだな」

「冗談っスよ」

ズシリと重かった肩が軽くなったと思ったら、バシッと後頭部を叩かれた。

「・・ってぇ〜・・っ!なにするんスか!」

「っとに、笑えねぇ冗談言ってんじゃねーよ」

そう言ってからもう一度後頭部を叩き、青峰はさっさと前を歩き出した。
黄瀬は後頭部を何度も擦りながら、大好きな人の背中を追いかけた。




ごめんね青峰っち。

オレ、いっぱいウソ吐いた。
あんたの大切な人の大切なものを最初に奪ったの、オレなんだ。
今日はあんたの本当の気持ち確かめようと思ったんだけど、確かめてみたら、自分が惨めになっただけだった。

だから、いいよね?

彼女の心はオレの方を向いていないし、オレの心も彼女の方を向いていない。
だからあんたの大切な人と、体で繋がることくらい・・・。

いいよね?青峰っち――。






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