欲しいのはシャンプーじゃない 2





3日後――。



未だ

『アツシは入室禁止』

の張り紙が貼られたドアの前で、劉はため息を吐いた。

何があったのかは知らないが、どうせまた、仕様もない子供のような喧嘩であろう。学年が違うので学校で会わない所為もあるのかもしれないが、紫原はこの3日間、氷室と口を利いていないらしい。傍から見た二人の関係は意外なもので、大抵は一見穏やかそうな氷室がカッとなって怒り、紫原は自分に非があれば謝るし、今回のように口も利いてもらえない時は、ほとぼりが冷めるまであえて何もしない。そうして氷室の方が沈黙に耐えられなくなるのを黙って待っているのだから、紫原も氷室の扱いを心得ていると言おうか、なかなかにしたたかだ。

「直ってる・・・」

張り紙をよく見ると、3日前には間違って書かれていた「禁止」の「禁」の字の上に紙が貼られていて、そこには正しい文字が書かれていた。間違いに気付いて慌てて書き直したこれを氷室が貼ったのかと思うと、思わず笑いが込み上げる。

「可愛いアルな」

吹き出しそうになるのを堪え、劉はくつくつと肩を揺らしながら、そのドアをノックした。

「はい」という返事が小さく聞こえて、少しの間を置いてからドア越しに「誰?」という氷室の声がした。

「ワタシだ、劉アル」

「リュウ?ちょっと待って、今開ける」

答えるのと同時に鍵を開ける音がした。もしも紫原だったら開けないつもりだったのだろうか。劉は再びため息を吐く。ドアが開き、「何だい?」と尋ねる氷室に「ちょっといいか?」と入室を望むと、氷室は微笑みながら「どうぞ」と劉を部屋に招き入れた。

が――、

部屋に一歩足を踏み入れて、劉はその足を止めた。

部屋に入って左側面には机や本棚やロッカータンスがあり、右側にはベッドがある。その中間に、窓に向かって縦方向に床が露出しているのだが、ちょうど部屋の真ん中あたりに、通行の妨げになる程度にそれらは並べてあった。

「一体・・・何があったアル?」

劉が細い目をさらに細めたそれというのはシャンプーとその類で、白と赤半々くらいのボトルとチューブタイプの物がおよそ10本程並んでいるだろうか。そしてその横には、ラッピングされた袋がいくつも置いてあった。このシャンプーには見覚えがある。テレビのCMで、いずれもロングヘアの割と有名な日本の女優たちが、さらさらと髪を靡かせているのを見たことがある。確かTSUBAK●という商品名だ。

「え?あー、まぁちょっといろいろあってね。女の子に貰ったんだ」

氷室は何でもない事のように言ったが、恐らくは氷室がTSUBAK●を使っているという噂がどこからか流れて、それを聞き付けた氷室ファンの女子たちがこぞって贈ってきたのだろう。実際には、寮の風呂場のシャンプーとリンスしか使っていないというのに。

「なぁ知ってるか?リュウ」

氷室は並んだシャンプーの前に立て膝をつくと、その中からチューブタイプの物を取り上げて、裏面を眺めた。

「トリートメントってシャンプーの後、髪に馴染ませてから3〜5分そのままでいなきゃいけないんだって」

「へぇ、そうアルか」

「3分もオレ、待てるかな?」

「その間に体を洗えばいいアル」

「あ、なるほど!」

氷室は開いた手のひらをもう一方の拳でポンと叩き、納得するように頷いた。

「頭いいな、リュウ」

「3分間じっとしてるつもりだったアルか?」

「うん」

「阿呆アル」

「えー、ひどいな」

そう言って苦笑するこの氷室という男は、学校の女子から見れば完璧に映るのかもしれないが、一緒に生活をしていると少しも完璧でないことがすぐに分かった。直情的と言おうか、その時思った、感じたことのみで常に行動している。その先をまったく考えていないので、「あれ?どうしよっか、リュウ」という場面が過去にどれだけあったことか。そんなとき劉は、持ち前の頭の回転の速さで思考し、助言してきた。それはこれからも、卒業してこの寮を出るまで続くのだろうなと、劉は2メートルの高さから、床にしゃがむ氷室を見下ろした。

「そういえば、話があるんだっけ?」

座れば?と見上げてきた氷室に促され、劉はこの部屋を訪れたときいつもそうするように、氷室のベッドに腰を掛けた。氷室はといえば、一体何がしたいのか、ラッピングのリボンを解き、色別・種類別にシャンプーとトリートメントを丁寧に並べている。

「ドアの張り紙いい加減剥がすアル」

単刀直入に切り出すと、氷室は分かるか分からないか程度に顔を顰め、劉の方を見ずに「ああ、アレね」と答えた。

「今はテスト前で部活がないからいいケド、テスト終わって部活始まってもこれじゃあ後輩に示しが付かないアル」

言いながら、劉の視線はふと氷室の机の上に注がれた。開かれたノートと教科書の横に、チューブの薬のような物が置いてある。眉を寄せて目を凝らすと、「ボラギ●ール」というロゴが読めた。さらに視線をいつも氷室が座っている椅子へと移すと、座面にバスタオルか何かがドーナツ状に円く敷かれている。

これか、原因は。

紫原に対する態度の理由を知った劉の視線に気付いたのだろうか。氷室は徐に立ち上がり、チューブの薬を机上のペン立ての中に無造作に突っ込みながら、「もう剥がすよ」と言って笑った。

「氷室、オマエ・・・」

「アツシを無視するのもそろそろ飽きたしね」

そう言いながらやっぱり笑って、再びシャンプーの前にしゃがみ込んだ氷室の表情は、長い前髪に隠れて分からなくなった。

「アツシにそれとなく言うアルか?言ってないんだろう?」

二人がどこまでの関係なのかはあえて聞いたことがない。氷室と紫原も、劉がどこまで知っているのかを知らない。ただ、劉は二人の関係は行き着くところまで行っているのだろうと思っていたし、二人も、劉にはきっとバレているのだろうなとは思っていた。

「やさしいな、リュウは」

表情は分からないが、声はとても穏やかだ。

「大丈夫だよ、大したことないんだ。ちょっと血が出て驚いただけ。もう痛くもないし」

「それならいいアル」

「うん」

やはりそうだった。今の氷室の発言で、たぶんそうだろうと思っていた二人の関係は確実なものとなった。けれど、普通の恋愛とは違う、公言できない関係である。劉はこれからも二人の肉体関係を問うことはないし、二人も劉にはっきりと自分たちはセックスをしているのだと言うこともないだろう。

ありがとな、と言った氷室はようやく顔を上げ、ベッドに座る劉を見上げた。その顔は、少しバツの悪そうな苦笑いだ。それから、ふと思いついたようにシャンプーを1本手に取り、劉に差し出した。

「リュウにもあげるよ」

「は?」

「こんなにあっても置き場に困るし」

「それは駄目アル」

劉はやんわりと、氷室が差し出したシャンプーを押し返した。

「ダメ?・・・何で?」

氷室はきょとんとして劉を見上げる。

「女子たちみんな、氷室に使って欲しくてプレゼントしたアル。ワタシが使ったら無意味アル」

「うーん・・・でも、誰がくれたのか全員ちゃんと顔覚えてるよ?名前までは知らないけど」

「そーいうことじゃないアル。みんな”自分が贈った”のを氷室に使って欲しいアル」

「えー?だってどれも同じTSUBAK●じゃないか」

「だーかーら、”自分が贈ったTSUBAK●”を”氷室”に使って欲しいアル」

劉は”自分が贈ったTSUBAK●”と”氷室”という言葉の語尾を殊更に強めた。

「そういうもんかなぁ・・・」

言いながら氷室は、床に並べた同種類のシャンプーとトリートメントを眺めている。

劉は、さらに続けた。

「ラッピングもよく見るアル。きっとどんな色が氷室が好きかたくさん考えて選んだアル」

「んー・・・」

「それを、オマエは・・・」

劉の視線の先には、とっくに解かれたリボンや色とりどりの袋たちが無残に積まれた光景があった。氷室は劉の言わんとすることをいくらか理解したのか、困った表情でその取り返しのつかない状況を見つめている。劉は盛大にため息を吐いた。

「そもそもコレ、並べて何するつもりだったアル?」

色別に、種類別に綺麗に並べられたそれらには、恐らく何か意味があるのだろう。その意味によっては氷室の言い分を聞いてやってもいいと思い、尋ねたのだが。

「あぁ、最初はコレ並べて”TSUBAK●”って文字が書けるんじゃないかと思って並べ始めたんだけど、思ったより足りなくてさ。で、どうしよっかな、って・・・」

また、後先考えない思い付きでこの男は・・・。

「でもまぁリュウが言ってくれて良かったよ。本当はここの風呂場に寄付しようかと思ってたんだ」

「ホントに阿呆アルな。そんなことして寮生みんな同じ匂いさせてたら、すぐ女子たちにバレるアル」

「いろいろ考えてるんだなぁ、リュウは」

「氷室が考えなさ過ぎアル」

「きっと、リュウの彼女になる子はすごく大事にされるんだろうな」

「・・・・・・・」

急に黙った劉を不思議に思い氷室が見上げると、その表情は少し怒っているようにも見えた。けれど劉は普段から割と不機嫌そうに見えることが多かったので、感情までは分からない。氷室がこの陽泉高校に編入するより以前に劉は同学年の女子と付き合っていた、という話を先輩から聞いたことがあったが、氷室の知る限り、今の劉に彼女の影はない。

「好きな子、いるのかい?」

今日は自分の大切な秘密を彼に知られてしまったはずなので、これくらいはと思って逆に聞いてみた。

「・・・・・・いる、アル」

小さな声で、劉が答える。

「 Really?」

その素直な答えに驚いて、ときどき口にしてしまう英語を氷室は思わず発した。

「で・・・その子には?言ってないの?」

「言えるわけないアル」

「え、何で?もしかして・・彼氏いる子とか?」

「・・・そんなところアル」

「うーん、そっかぁ」

氷室は少し残念そうに言うと、ベッドに座る劉の膝に手を掛けて、立ち上がった。劉の隣りにゆっくりと腰を下ろし、自分よりも相当に大きな背中をぽんぽんと叩く。

「でもリュウは結構モテるし、こんなにいいヤツだし、きっとまたいい子が見つかるよ」

慰めるような氷室の言動は、劉の胸を締め付けた。居た堪れなくなって、何だか逃げ出したい気分だ。

「そんなの、いらないアル」

膝の上に肘を付き、祈るように組んだ手の上に額を乗せて、劉は俯く。

「そんなこと言うなよ、バカだなぁ」

少し低くなった劉の背に腕を回し、氷室はその手で劉の頭をくしゃくしゃと撫でた。





バカは氷室アル。

劉は心の中で呟く。

もしも卒業するときにこの想いを告げたら、オマエは何と答えるだろうか。



そんなこと、



絶対に、言わないけれど――。






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