その後のふたり





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気付かない振りをしていただけで、たぶんもうずっと前からそうしたいと思っていた。

同じ学校に通い、同じクラスで学び、同じ部活動に励み、同じ寮で暮らす氷室のことをいつからそういう目で見ていたのかなど、もう覚えてはいない。いつの頃からか、彼のふとした声や、笑顔や、行動は時々この胸をぎゅうと強く締め付けた。けれどその感情が何であるのか答えを出してはいけないような気がして、平静を装い、燻る胸の内に無理矢理蓋をした。親しい同性の友人であり、部活でのチームメイト。演じているわけではなく、それもまた事実であり、むしろそれが現実だった。けれど、些細な瞬間に心の奥に潜む何かが、閉めたはずの蓋を開けようと頭を擡げる。その何か、それこそが、気付かない振りをしていた”愛しい”という想いであり、”触れたい”という感情だった。

自覚をしたその日、想いは叶った。氷室と同じベッドで一夜を過ごし、頬を寄せ、何度もキスをして、抱き締めた。舌を絡め合えば体の奥までも熱くなり、もっともっと触れたくなって、首筋や鎖骨にも口付けた。
耳朶を唇でそっと噛んだとき、氷室の口から思いもよらない声が洩れた。その声に反応して自身のペニスが一気に硬く勃ったのがわかった。途端、どうすればいいのかわからなくなった。このまま氷室を女のように扱っていいのか。もしかしたら氷室は抵抗せずに受け入れるかもしれない、という予感はあった。それでも劉は、「すまない」と氷室に詫び、それきり触れるのを止めた。

あれから約ひと月。おはようのキスは唇にするのが当たり前になっていたし、どちらかの部屋を訪ねたときや、部活の居残りで二人きりになった部室で、何度もキスをした。
けれどあの夜以降、二人の関係がそれ以上の行為に進展することはなかった。






「リュウ〜」

休み時間、いかにも親しげな軽い口調でその名を呼んだのは、クラスの女子だった。

「ン?」

頬杖をついてバスケ雑誌を読んでいた劉がちらと目線を上げると、劉の席の前には、クラスの女子が3人立っていた。

留学も3年目ともなればすっかり日本の学校にも慣れ、多少のカタコトと語尾が少々おかしいことを除けば劉は”どこが留学生?”と思えるほどに皆に馴染んでいた。はじめのうちこそ2メートル超えの身長の上、目付きのあまり優しくない劉のことを怖がって遠巻きに見ていた女子たちであったが、今ではお互いをからかい合うような関係に発展した女子もいる。少なくとも女友達、という点においては、確実に氷室よりも劉の方がその数は多かった。もっとも、学校一の美形と謳われ高嶺の花ともされる氷室はどこか遠巻きに見られていて、親しげに声をかける女子などそういない、という理由もあるのだが。

「何アルか?」

「あのさ、中国語で告白するときって”ウォーアイニー”でいいの?」

「ワタシに言うつもりならノーサンキュー、アル」

「誰が言うかっ!!」

女子の一人が劉の肩をパシッと叩くのと同時に、教室の一画に笑い声が上がった。近くで男友達と話をしていた氷室にもその声は届き、ちらと劉に視線を向ける。その視線に気付いた劉と一瞬目が合ったが、劉はすぐに視線を女子へと戻し、氷室もまた、劉たちから目を逸らした。

「リュウじゃなくて、バレー部の張くんに告白したい、って子がいるんだけど、張くんてリュウほど日本語わかってないから中国語の方がわかりやすくてインパクトもあるかな、って」

「なら”我愛你”はヤメとけ。張もビックリ仰天アル」

「え、マジで?」

「”我愛你”は告白というか愛の言葉ネ。日本人もいきなり”愛してる”言わないダロ?」

「あー、そりゃまぁそうだね」

「じゃあ何て言えばいいの?」

「うーん、フツーに”好きです”なら”我喜欢你”?」

「え?ゴメン、日本語で言って」

「だから、”ワタシはアナタが好きです”アルよ」

「そーじゃなくてー」

「カタカナ読みで言って、ってこと」

「あ、そゆことネ。”ウォシィホァンニー”か?」

「待って、メモるから」

女子の一人が劉の前の席に座り、劉の机の上に可愛らしい絵柄のメモ帳を開いた。劉は一文字ずつ丁寧にカタカナ発音で言ったが、それでもたぶん日本語にはない発音を聞き取れるままにメモ帳に書き取る。劉は「貸して」と言って女子の手からシャーペンを取り上げると、彼女が書いたカタカナの上に”我喜欢你”という漢字を書いた。さらに空いているところに”我愛你”と漢字で書き、「これが”ウォ、アイ、ニー”アル」と言ってメモ帳とシャーペンを返した。

「へぇ〜」

「そうなんだ」

女子たちは興味深げに劉の書いた漢字を眺めた。1年生の頃は不意に飛び出していた劉の中国語も、今ではまったくと言っていいほど聞くことがなくなった。久しぶりに劉の中国語を聞くと、少し、懐かしい気さえする。

「てか、ココ日本なんだから日本語でイイダロ。アイツもそれくらいの日本語わかるアル」

「そこをあえて中国語で言うことに意味があるんじゃん〜」

「逆に意味わからん」

「そうだ、リュウ」

「ン?」

「これ、ちょっと”本気”で言ってみてよ」

女子がそう言って指差したのは、”我愛你”の文字だった。

「・・ナゼ?ワタシべつにオマエのこと愛してないアル」

「わかってるよそんなこと!中国四千年の愛の言葉がどんなか聞きたいだけじゃん」

「アホらし・・」

「ほらほら、照れないで言ってみ?リュウの好きな子思い浮かべてさ」

「・・好きな子?」

「いるでしょ〜?」

「今は・・・」

いねーアル、と言った劉の視線が一瞬氷室に向けられたことに気付いたのは、当の氷室ただ一人であった。

「うそ、いないの?」

「今そーゆーのいらねーアル。ワタシ今、バスケに集中したいアル」

「うわ、何その青春キャラ」

「何でもいーから早く早く、言ってみ?」

「勝手アルなぁ・・」

劉は小さくため息を吐いてから、少し真面目な顔をして「我愛你」と完璧な中国語の発音で言った。
ところが言われた女子は、「うん、ただの中国語だ!何も響いて来ない!」と言って笑い出した。

「ほんっとシツレーな女アルな!言って損した!金払うアル!!」

「だって中国語わかんないしー」

「ってかお金取るんだ?」

「ね、じゃあ英語は?英語で言ってみてよ」

「は?英語なら・・ワタシより得意のがそこにいるダロ」

劉はすぐ近くでクラスメイトと談笑している帰国子女を顎で指した。

「・・え?」

「ちょ・・待って!!」

「やだ・・まさか・・っ!?」

女子たちが突然騒ぎ始めた。ちょっと待て、呼ぶな、無理無理無理、死んじゃう、等々の大騒ぎをスルーするかの如く、劉は呆気なくその名を呼んだ。

「氷室!」

劉の声に、氷室が「ん?」と視線をこちらに向けた。女子たち3人は一様に、何でもない!何でもないから!と氷室に手のひらを向けてひらひらと振ったが、氷室はそれらを気にすることなく劉の元へとやって来た。

「何だい?劉」

「コイツらが、氷室に英語で”愛してる”言って欲しいって」

「えっ!?」

氷室は明らかに驚いた表情で、女子たちの顔を見た。

「言ってない!言ってない!」

「適当なこと言わないでよリュウ!!!」

「ゴメン氷室くん、ホントに何でもないから!!」

「言ったネたった今、中国語じゃわかんねーから英語で言えって」

「リュウに言ったんじゃん!!氷室くんにそんなこと言わせるわけないでしょ!!」

「ナンだこの扱いの差!氷室〜〜、女子がイジメるアルよ〜〜」

「ハハハ・・」

イジメられてるというよりも、じゃれ合っているようにしか見えない。
氷室は複雑な心境のままに苦笑する。

「劉は言ったのかい?中国語で」

「言え言うから言ってやったらコイツ、何も響かねーって」

「ふぅん、そうなんだ・・で?オレは誰に言えばいいのかな?」

「「「 ・・・え!?」」」

「意外と乗るアルな・・氷室」

「「「 えええぇぇぇーっ!!!??? 」」」

甲高い声に続き、ダメダメダメ、ウチら殺される、たぶん100人くらいから体育館裏に呼ばれる、といった他の女子からの妬みを恐れる言葉が次々に飛び出した。劉は、ホントは言って欲しいクセに・・と呆れ顔で肩を竦め、氷室は騒ぎの止まらない女子たちを前に、もはや苦笑するしかない。

「じゃあ、こうしよう」

氷室が唐突に騒ぎに口を挟んだ。
女子たちの声がピタリと止み、視線は氷室に向けられる。

「女子に言うのが問題なら男子に言うよ」

「・・・は?」

「「「 え? 」」」

氷室は少し身を屈め、椅子に座っている劉の顔を覗き込んで、その目を見つめた。

Liu, I love you so

―――瞬間、その場がシン・・と静まり返った。

女子たちの頬が一斉に赤く染まる。自分が言われたわけでもないのに、何だかすごくドキドキしている。今のは夢だったんじゃないかと思うような、一瞬の出来事だった。学校一の美形男子による英語での愛の告白は、ご丁寧にも同性である男子の名まで囁いたのだ。

何も言葉が出なかった。心臓がバクバクと大きく脈を打つ。口を半開きにしたまま呆然とする劉の顔も、次第に赤く染まっていく。

「ちょ、ちょっと、リュウが赤面してどーすんのよ・・」

劉の様子に気付いた女子の一人が、やっと言葉を発した。

「ハ・・イケメンの破壊力、パネェアル・・・」

冗談を言ってみたが、顔の火照りも胸の鼓動も治まりそうにない。

劉はちらと氷室を見上げた。

「何だよ劉、照れるなよ」

「照れてねーアル」

「ちょっとはドキっとしたか?」

「しねーヨ!!!」

したり顔で微笑む氷室とどう見ても照れている劉を目の前にして、女子たちの胸はなぜだかより一層高鳴った。ちょっと二人ヤバいんじゃないの〜?とまた騒ぎが始まりそうなところで、休み時間終了のチャイムが鳴った。
氷室は自分の席に戻り際、劉を振り返ってふと微笑む。

「バカヤロウ・・」

教科書とノートを机の上に出しながら、小さな声で呟いた。

もう、我慢できないアル――。

授業が始まってからもしばらくの間、劉の胸の鼓動は高鳴り続けた。







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