| 東京エレジー 1
インターネットによるアクセス情報によれば、予約した格安のホテルは新宿駅徒歩9分であったはずなのに、新宿駅の改札を出てからというもの恐ろしいほどの人並みに塗れ、歩いても歩いてもどこも同じに見える繁華街で見事に道に迷い、お上りさんよろしく印刷してもらったA4サイズの地図を片手に右往左往しながらも何とか目的地に辿り着いたのは、改札を出てから実に1時間後のことであった。 東京の大学を見てみようと、ウインターカップ出場を決めた翌週末の今日、岡村と福井は東京へとやって来た。ひと言で東京と言っても秋田で暮らしている自分たちにとっては近隣県である千葉や埼玉や神奈川も『東京』のうちに入っているので、仮に埼玉の大学を見るのであっても周囲には「東京行ってくる」と言ったであろう。事実岡村が学内の雰囲気が知りたいとオープンキャンパスの参加を希望したうち一つの大学は埼玉県にある。 まずは滞在するホテルを決めようと、今年の春まで東京に住んでいた二学年下の後輩・紫原に滞在先はどこが良いかと尋ねたところ、「ん〜、東京なんだから東京駅でいいんじゃない?」などといういかにも何も考えていない風な答えが返ってきた。 それならばと、かつて東京に住んでいたらしい一学年下の後輩・氷室に同様に尋ねたところ、「東京と言えばやはり浅草ですよ。雷門、浅草寺、THE 東京!って感じですごくすごく良かったです。是非行ってみてください!!」という何の役にも立たない情報だけが入って来た。そうじゃないんだ氷室。オレたちは東京観光をしたいわけじゃない。 と、そこへ氷室と同学年の後輩で中国人留学生の劉が、最近親に金を出してもらって購入したというiPadとやらを見ながら「新宿なら千葉や埼玉行くのも楽アル。どこに行くにも乗り換えも楽アル」という結論をいとも簡単に導き出してくれた。文明の利器を持った中国人の圧勝である。さらに劉は手に入れたばかりのiPadとやらを「コレ持っていけばいいアル」とまで言ってくれたのだが、さすがにそんな高価なものを何百キロも離れた大都会・東京まで持ち出すことは躊躇われたし、何よりいまだガラケー利用者の岡村と福井にそれを使いこなす自信など微塵もない。好意だけは有り難く受け取り、のちに劉にだけこっそりと学食の食券五枚綴りをお礼にと渡したらあっさりとチクられて、結局は紫原と氷室にも食券を渡すハメになった。もちろん、一枚ずつだが。
秋田でのそんな出来事を思い出しながら、フロントで貰ったカードキーを手に5階でエレベーターを降りた時、エレベーターの扉の脇に置かれた自販機が福井の目に映った。それはプリペイドカードの自販機で、バスケの遠征でホテルに滞在した際には絶対に手を出してはならないという決まりがあった。決まりを破ったときのペナルティがどんなものであるのかは、福井の知る限り決まりを破った人間を知らないので謎ではあるが、今回のホテル滞在は、部活ではない。岡村はその存在にも気付いていない様子で、二手に分かれた廊下に表示してある部屋番号を確認している。 「こっちじゃ、福井」 左を指差した岡村に「はいよ」と答え、福井は岡村の後を追った。
部屋のドアを開いて中に入ると、ここに二晩泊まるのかと一瞬息を飲むほどに狭い空間が二人の視界に迫った。特に身長2メートルの岡村が部屋の奥に進むと、部屋の大きさに対する人間の空間密度が高過ぎて、圧迫感すら覚える。 「せっまいなー。お前このベッドで寝られんの?」 「仕方ないわい、高校生の貧乏旅行じゃからのう」 旅行、という言葉に何故だか胸の奥がむず痒くなる。旅行じゃねーだろ、と言おうと思ったのに上手く声が出なかった。自分が思っている以上に、二人きりで二晩を過ごすというこの旅に緊張しているのかもしれない。福井は背負ってきたリュックと少しの着替えが入ったトートバッグを勢いよくベッドの上に放った。
*
ひと息つく暇もなく二人はホテルを出て、とりあえずオープンキャンパスに向かうことにした。今日は同じ大学を見るつもりではあるが希望の学部が違うので、向かうキャンパス自体が違う。見知らぬ都会で一人で行動するのは若干心細いが仕方がない。新宿駅構内で別れ、福井はJR線で東京行きの電車に乗り、岡村は劉が印刷してくれた地図を頼りに私鉄の駅へと向かった。 東京の大学を希望しているからといって、二人が同じ大学に行くとは限らない。東京に存在する大学など山ほどあるし、そもそも進学する目的が違うのだから同じ大学に入学することの方が稀なのかもしれない。仮に同じ大学に通ったとしても、今のように同じ屋根の下で暮らすことなどないのだろうなと思うと胸がチクリと痛んだ。そんなとき福井は、その痛みが何であるのかを考えることを常に放棄してきた。ぼんやりと分かってはいるのだけれど、決定的に答えを出してしまうことが怖かった。車窓からは淀んだ色をした流れのない堀のような川と、川の上には終わりのない横並びのビル群が見える。その中のいくつかは大学のようで、ビルに描かれた大学名は、ほとんどが聞いたことのある名前だった。 二駅目で電車を降り改札を出ると、大勢の大学生らしい若者に混じってオープンキャンパスに来たと見られる親子の姿もちらほらと見かけた。頭の中に叩き込んだ地図を頼りに目的の大学へと向かったが、学校と思しき建物が一向に見えてこない。 道を間違えただろうかと不安になったが、若者や親子は確かにこちらに向かって歩いて来るし、また、同じ方向へ向かっている者もいる。そういえば取り寄せた大学のパンフレットの表紙は大きなビルだったが、広大な敷地の中にそれが建っているものだと思っていた。緑があって、散策できる道があって、そこここにベンチがあって。福井の大学に対するイメージが音を立てて崩れていく。辿り着いたのは、まるで大会社の本社を思わせるような大きなビルだった。ここで毎日授業を受けるのかと思うと息が詰まりそうだ。福井はふと、自校の趣きを思い浮かべる。今はイチョウの黄色がとても綺麗だ。けれどそこから落ちて潰れた銀杏の臭さから女子が騒ぎ立てたり、男子がふざけて拾ってきたいくつかをこっそり友人の制服のポケットに入れてさらに騒ぎが大きくなったりと、それは地面が雪で覆われる前の一大イベントでもある。 「卒業したくねぇな」 声には出さず、心の中で呟いて、福井は巨大な校舎内へと入って行った。
大学の概要や理念、入試に関する説明をひと通り受けた福井は足早に校舎を後にした。模擬授業への参加なども受け付けていたようだが、何となくこの大学は候補から外れたような気がする。それによって岡村と別の大学になってしまったとしても、だ。この人ばかりの街並みから早く抜け出したい。死んでも口には出さないけれど、早く岡村に会いたい。何だやっぱりオレはあいつと一緒にいたくて東京を選んだのか?いや違う。そんな自問自答を繰り返しながら駅に向かう途中、道路の角に控えめな案内標識を見つけた。「ニ/コ/ラ/イ堂」と書かれたあまりにも有名なその大聖堂は、ミッション系の高校に通う福井も知っている。こんなところにあるのかと思ったときには、すでに角を曲がって歩き始めていた。 人も疎らとなった長くて急な坂道を福井は歩いた。バスケをやるために高校を選んだのであって何かの信者というわけではまるでなかったが、やがてその建物が目に入ったとき、謂れのない感動に鳥肌が立った。学校の礼拝堂とはまったく異なるビザンティン様式の建物に目を奪われる。自然と体が動き、気が付けば門を潜り、敷地内に足を踏み入れていた。 敷地内の最奥に大聖堂はあった。案内を見ると一般人でも拝観は可能なようだが、残念なことに拝観終了時間の15時30分を10分ほど過ぎている。福井は緑青色の丸みのあるドーム屋根を見上げた。屋根の天辺には不思議な形をした十字架が立っている。学校の礼拝の時間に祈るが如く手の指を交互に組んで俯き、大聖堂の奥に向かって、祈りを捧げる。 福井はべつにキリスト教を信仰しているわけではない。実家には仏壇があり、もしも自分が死んだらお経を唱えられることだろう。正月には神社に初詣ににも行く。だからたとえばここが神社で、賽銭を投げて手を合わせたのだとしたら、願い事は確実に『ウインターカップ優勝』であったと思う。けれど今の気持ちは何かが違った。ひどく神聖な想いが胸の奥にひっそりと佇む。
神様、どうか―――。
『この想いには蓋をするので、どうか少しでも長くアイツと共にいられますように』
この場の空気が澄み過ぎているのかもしれない。
「どうじゃった?」 「あー、なんか23階建てのビルが校舎だった。オレ高所恐怖症だから無理だわ」 「高所恐怖症?そんなん初耳じゃのう」 「今日からそうなったんだよ」 「何じゃい、そりゃ」 新宿駅で待ち合わせをして、腹が減ったので何か食べようという話になったのだが、新宿ならばそこらじゅうにあるだろうと思っていた全国チェーンのファミレスは結局1軒も見つからず、無難なところで牛丼チェーン店に入った。福井は牛丼の大盛りを。岡村は牛丼の大盛りとカレー皿を頼んだ。 ものの1〜2分で出てきた牛丼を頬張りながら、お互いの今日の成果を報告し合う。成果といっても高校生男子二人が深く語り合うことなどなく(バスケについてならどこまでも深く掘り下げるが)、ごく単純な感想に過ぎない。 「お前はどうだったんだよ」 「おお、なかなか良かったぞ。広くて緑があってな、何よりスポーツ施設が充実しとった」 「へぇ、キャンパスによって違うもんだな」 「わしは明日は埼玉に行く予定じゃ」 「遠いのか?」 「いや、乗り換え1回で30分くらいかのう?」 「げっ、オレのが遠いじゃんかよ。私鉄とモノレールで45分つったかな?なんか山の方らしいぜ」 「東京にも山があるんかい?」 「んだな」 ふと気付けば、喋っているうちに隣の客がいつの間にか入れ替わっていた。さらには席が空くのを待つ客が、店の入り口に数人立っている。 「やべぇ。東京の牛丼屋やべぇ」 「早よう食わんと」 二人は慌てて牛丼を掻き込んで、腹の中に収めた。
*
途中のコンビニで夜食を買って、二人はホテルに戻った。部屋のドアを開けるとその空間はやっぱりあまりにも狭く、都会を歩いた疲れも相俟って、思わずため息が洩れる。まるで寮の部屋に無理やりベッドを2台詰め込んだ様なものだ。窓際に沿って長めの机があり、その上にはテレビがある。椅子も一脚だけあるが、机とベッドの間はあまりにも狭く、福井なら何とか椅子を引いて座れるが、おそらく岡村の体は入らないだろう。福井はその隙間にするりと入り、リモコンを手にしてテレビの電源を入れた。 岡村は黒灰色のざっくりとしたニットカーディガンを脱いで、壁掛けのハンガーラックに掛けている。「ホレ」という声がしたので振り向くと、岡村がハンガーを持って手を差し出していた。福井も羽織っていたグリーンのモッズコートを脱ぎ、「サンキュ」と言いながら岡村に向けてそれを放った。 「東京ってテレビまですげーよな」 「何がじゃ?」 「チャンネルどこ押しても番組やってんだぜ?」 「何を見るか迷わないんかのう?」 「オレは今すでに迷ってる」 座る場所がないのでベッドの上に胡坐をかいて、福井は次々にチャンネルを変えていく。そういうときはN/H/Kじゃ、と言いながら、岡村もベッドの上に乗っかり福井同様に胡坐をかいた。その大きな体がベッドに乗った振動で、福井の体が少しだけ揺れる。岡村の言うとおりにチャンネルを変えるとN/H/Kのニュースは終わりに近付いているようで、「関東・甲信越地方の天気予報です」というアナウンサーの声とともに実に見慣れない地図がテレビ画面に映った。明日の東京はとても良く晴れて、行楽日和になるそうだ。 「観光してるヒマなんかねー、っつの」 福井は眉を歪め、大袈裟に竦めた肩をがっくりと落とす。 「ほんじゃあ無事合格してこっち来たら、二人でゆっくり観光でもしようかのう?」 「・・・・・・・・」 福井はゆっくりと岡村を見上げた。その言葉に他意はないはずだ。或いは友人が疲れているように見えたので気を遣ったのかもしれない。胸の奥がキュッと締め付けられて、苦しくて。 「行くならまずは氷室オススメの浅草だな」 福井はそれでも悪戯っぽく笑って見せた。
天気予報が終わったテレビでは、暮らしのお役立ち情報を特集する主婦向けのような番組が始まっていた。チャンネルを変えてもバラエティ番組のお笑い芸人は知らない奴ばかりだし、アニメはよく知らないし、旅番組の温泉やグルメリポートには興味がないし、これだけチャンネル数はあるというのに見ようと思う番組がない。考えてみればまず、寮の部屋にはテレビが無い。娯楽室に行けば見ることは可能だが、毎日部活で疲れ果てているのでテレビよりも睡眠の方が優先される。 「チャンネルばかり多くても案外見るモンがないのう」 「DVDでも持ってくりゃ―――」 言いかけて、福井は思い出したようにぽんと拳を手のひらに打ち付けると、くるりと振り向きベッドから飛び降りた。 「どうしたんじゃ?」 「ちょっと待ってろ」 「?」 首を傾げる岡村を尻目に福井はリュックから財布を取り出して、一人部屋を出て行った。
部屋に戻ってきた福井は、財布の他に一枚のカードを持っていた。 「何じゃいそのカードは」 「これか?これはなぁ、聞いて驚け遠征先ではご法度の、あの禁断のカードだ!」 「!!!!!!」 岡村は大きく目を見開き、マズイじゃろそれはマズイじゃろ、と両手を左右に揺らして慌てふためいている。今日は部活じゃねーだろと落ち着いた様子で福井はにやりと笑い、さらには「おめーも見るんだよ、ゴリラ」と言って、岡村の手からリモコンを奪った。 「お、お、おい福井」 「何だよ」 「ほ、ほ、ほんとうに見るんか?」 「見るって、何を?」 福井はわざとらしく首を傾げ、口の端を上げる。 「あ、いや、い、一体な、なにを見るんじゃ?」 何を見るのかなど分かっているのだろうが、それを口に出すのが恥ずかしいのだろう。福井は構うことなく、リモコンのボタンを押した。テレビは無音になり、画面には『DVD』『CS放送』『アダルト』の文字が表示されている。リモコンの矢印ボタンを操作してアダルトに合わせ、福井は岡村に見せつける様に決定ボタンを押した。岡村の体が緊張で縮こまるのが分かったが、それにはまだ早い。テレビ画面にはさらに次の表示が現れた。『プリペイドカードを挿入してください』という指示に従い、福井は手にしたプリペイドカードをカード挿入口へと挿し入れる。 と、画面が突然切り替わり、まるでホームビデオのような画質が映し出された。 そのドラマはまだ冒頭のようで、ごく一般家庭的なキッチンでスカートを穿いた女性がシンクの皿や茶碗を洗っている。そこへ学生服を着た男が背後から近付き、いきなり女性を抱きすくめた。女が小さな悲鳴を上げて振り向き、「もう、だめよ、ケンちゃん!」と男を叱ったところで、「ぶはっ」と福井は盛大に吹き出した。 「おいおいどーする、ケンちゃんだってよ!」 「・・・・・・・・」 ケラケラと笑う福井の横で、岡村は相変わらず緊張した面持ちで胡坐をかいている。お前今のは笑うところだぞ、という福井の言葉に岡村はそうか、とだけ答えた。何だよつまんねーゴリラだな、と吐いて、福井は岡村から少し離れた位置に胡坐をかき直す。しばらく見ているうちに、ストーリーも分かってきた。女は男の義姉――つまり、男の兄嫁らしい。両親がいないのか、まだ高校生(らしい)の弟は兄夫婦の家に同居していて、一緒に暮らすうちに兄嫁に欲情するようになった、といういかにもありがちなストーリーだ。 だめよだめよと抵抗する兄嫁をキッチンの床に押し倒し、服を剥ぎ、ブラジャーから乳房を取り出し乳を弄る。顔を近付けしゃぶり付くうちに、女の抵抗は弱くなっていく。この女今イチとか、この男絶対高校生じゃねーだろ、等々口を挟んでいた福井のお喋りも止み、二人は身じろぎさえすることなく、ただ無言で画面を見据えた。スカートを捲られ、手を入れられた下着の中から生々しい音が響く。やがて下着は足先から抜かれ、男はベルトを外しズボンのファスナーを下ろして自身のものを取り出した。岡村が唾を飲み、喉仏が大きく上下するのが見えた。こいつは今、何を考えながらこの陳腐なドラマを見ているのだろう。もしかしたらAV自体、見るのが初めてだったかもしれない。女の股が大きく開かれて、あまり役に立っていないモザイクのかかった局部が露わになる。「こんなこといけないって分かってるけどもう我慢できないんだ」ごめんなさいと謝りながら、男は広げられた女の股の間に自身のものを挿入した。あってもなくても変わらないようなモザイクの下に、出し入れする男性器とそれを受け入れる女性器が画面に大写しになる。岡村はこの誰とも分からない女の股を見ながら今、興奮しているのだろうか。自分だってそうなくせに、それは何だか嫌だなと思う。福井の胸に沸々とした何かが湧き上がる。学校で岡村が女子にモテることはなかったので考えたこともなかったが、こいつだっていつかは彼女ができて、その女とこういうことをするのかもしれない。それは自然の理でごく当たり前のことなのに。 それを、オレにしてくれないだろうか―――。 ビクッと独りでに福井の肩が揺れた。一体オレは何を考えているんだろう。オレは男で、岡村も男だ。このキッチンの床で繋がっている男女のように繋がるはずがない。そんなことは分かっている。けれど。 福井は胡坐をかいたまま、ベッドに手を付いて腰を浮かせ、尻の位置を移動させた。腕と腕が、太腿と太腿が触れた瞬間、岡村の体がびくんと大きく揺れて、驚いた彼はゆっくりと窺うように福井を見下ろした。福井は岡村を見上げることなく正面のテレビ画面を見据えている。どうしたらいいのか分からずに戸惑う岡村の腕に、福井は凭れ掛かった。再び岡村の体は跳ねたが、それを避けることはなく、岡村もまた、テレビ画面へと視線を戻した。岡村の体温が、凭れ掛かった福井の頬に伝わってくる。この状況をこいつはどう理解しただろうかと思いつつ、逞しい腕に頬を寄せ続けていると、もぞもぞと岡村の手が動き、その手は胡坐をかいた足の上に無造作に置かれた福井の手の甲にそっと重ねられた。この男がそんな行動を起こすこと自体が信じられず、ふと顔を上げてみると岡村の顔は正面を凝視したまま真っ赤に染まり、こめかみからは汗が流れている。重ねられた手も汗で湿ってひどくあたたかい。このままこの女みたいに押し倒してもいいんだぜ、と言ったらこいつは何と答えるだろうか。胸の奥が苦しくて、苦しくて、上手く息ができない。テレビ画面では男女が体位を変えて事に及んでいたが、そんなものは少しも頭に入って来なくなっている。今自分の手に重なっている毛だらけの大きな手でこの身に触れて欲しい。そんな願望が脳裏に渦巻く。 不意に、手の甲にあったぬくもりが消えた。岡村が手を離したのだ。何故?と思い離れて行った岡村の手を見れば、その手は胡坐をかいた自身の膝頭をがっしりとを掴み、震えるほどに力が籠っているのが分かった。 何となく、心のどこかで岡村も自分に対して好意を抱いてくれているんじゃないかというのは薄々感じてはいた。だからこういう状況になった今、済し崩し的に何かが起こってもいいとさえ思っていたのだけれど。 その思考が罪だとさえ思えるほどに、この男は純粋なのだ。
「つまんねーな、これ」 よっこらせ、という掛け声とともに福井は腰を上げてベッドから足を下ろした。岡村が、ひどく真剣な眼差しで見つめてくる。 「ただヤってるだけじゃね?画質もなんか古臭いしよ」 トートバッグを探る福井に岡村は「どっか行くんか?」と尋ねた。 「シャワー浴びてくるわ」 そう答えた福井は、机の端に置かれたティッシュケースを持ち上げて、岡村に差し出した。 「なんじゃい?」 「お前、ちんこ勃ってんだろ?抜くんならオレが風呂入ってる間に済ませろよな」 福井の含み笑いに岡村の顔面がボン、と赤く染まる。 「そ、そそっそんなことっ、せんわいっ!!!」 そう強く言い切ったこの男は、本当にそんなことはしないのだと思う。 狭いユニットバスに足を踏み入れ、湯を張ることもせず、福井はシャワーノズルを壁に引っ掛けたまま、熱めのお湯を出した。すでに勃起している自身のものをそっと、手で握る。 重ねられた手が離れたのは何故だろう。 夕刻にあの美しい大聖堂の前で、『この想いには蓋をする』と手を組み祈った誓いを破ってしまったせいだろうか。
「ゴリラには狭すぎるな」
安ホテルの狭いユニットバスに浸かりながら、福井はぽつりと呟いた。 |