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「ちょ、見て見て!氷室君てばカワイイ〜!!」
「やだもう何アレ萌え袖じゃんー!超萌え袖!ヤバくない!?」
「無理無理ヤバい、可愛くて死ぬ!」

体育の授業は男子・女子ともに持久走で、準備体操は男女合同で行うことになっていた。整列のために集まりつつある生徒たちの間から、まったく潜める気のない女子生徒たちの声が集団の中に甲高く響く。
噂の主である氷室のいでたちは、確かにいつもの体育の時間とは異なっていた。2メートルを超える身長の劉に借りたジャージはあまりにも大きくて、183センチの氷室が着ても裾は容易に尻まわりを隠した。袖口は幾重にか折り返してはあったが、それでも氷室の手の指先がほんの少し覗く程度で、いわゆる萌え袖と言われる状態になっている。「あれ誰の?」「リュウじゃん?」という声とともに最後列に並ぶ劉を探し当てると、視線の先では半袖体育着にジャージの長ズボンという寒々しい格好をした劉が、震えて両腕を擦っていた。「何あれウケる〜」と笑う女子生徒の声が劉の元まで届かなかったのは幸いである。やがて体育教師の指導によって、体育の授業が始まった。

持久走の距離は、およそではあるが男子が5km。女子が2km。学校のグラウンドと、隣接した野球部グラウンドやテニスコートを周回するコースだ。体育は2クラス合同だが男女合わせても80人程度なので、男子の後ろに女子が並び、一斉にスタートをした。単なる体育の授業であり競争などではないのだが、運動部の健脚自慢たちは男女に違い無く我先にと集団から飛び出して行く。決して走ることが好きとは言い難い劉はそれでも常人以上の大きなストライドを生かし、男子生徒のうち真ん中より少し速いくらいの位置で、半袖の上半身が温まる程度のペースを保って走り続けた。

「遅いぞ、劉!」

ポンと背中を叩かれたと思った瞬間、風のような速さで氷室が横を駆け抜けて行った。もうすでに何人か同様のスピードで劉を抜いて行ったので、氷室の順位はおそらく4〜5番だ。あの男特有の負けん気の強さでラストスパートをかければ、さらに順位は上がるだろう。だからといって焦ることもなく、時折肩や首を回しながら、劉はマイペースのままにゴールを目指した。


劉がようやくゴールした頃、氷室は上位を競ったであろう男子生徒数人と談笑をしていた。ほとんどの生徒がジャージの上下、そうでなくとも上だけはジャージを着ていたが、今氷室と会話をしている男子たちは真剣に走る気満々だったのだろう、皆が皆、半袖体育着にハーフパンツ姿である。そんな中、氷室だけが長袖のジャージ姿で、しかも劉に借りた大き過ぎるそれは、何だか氷室を実際の体格よりも華奢に映して見せた。たった2kmほど走って劉よりも早く走り終えた一部の女子たちは、相変わらず氷室の萌え袖姿に湧いている。確かに、すっぽりと尻を隠すジャージの上着とか、幾重にも折り返したはずの袖の先から少しだけ見える指先は、少し可愛らしいかもしれない―――とふと思ってから、オイオイ氷室は男だ可愛いわけないだろう?と劉は慌てて自問する。未だ乱れる呼吸をゆっくりと整えながら女子と同様に氷室を眺めていたら、劉の視線に気付いた氷室が笑顔で手を上げてきた。大きく上げた腕の先からぶかぶかの袖がずるりと落ちて、二の腕が露わになる。半袖を着ていれば――いや、バスケのユニフォーム姿にでもなればそんなものはいくらでも見放題なはずなのに、思いもよらぬチラリズムに一部の女子は色めき立った。それを面白がったのか、談笑していた男子の一人が折り返した袖口からずっぽりと手を入れて、その手はさらに氷室の体を触ったのか、氷室は驚きの声を上げた後、体を捩ってケラケラと笑い始めた。どうやら劉のジャージの中で、氷室の体はくすぐられているらしい。
面白くない、と思った。何が不快なのかはわからない。色めき立った女の声か、氷室に直に触れる男の手か。何故だかわからないがとにかく苛立ちが募り、劉はズンズンと氷室に歩み寄ると、彼らの輪に割り込んだ。彼らは単純に、劉も輪の中に交じりに来たのだろうと笑いながらその顔を高く見上げたが、ひどく仏頂面の劉の表情に、皆一様に口を噤んだ。

「どうしたんだ?劉」

くすぐられて笑いっぱなしで苦しくて、氷室の目尻には薄っすらと涙さえ浮かんでいる。とにかく、面白くなかった。

「いい加減さみーアル」
「ん?」
「バンザイするアル」
「え?何で?」
「いーから!!」

時に強い口調でものを言うのは中国人である劉の癖だと理解はしていても、劉とて何でもない時に声を荒げることはない。氷室は仕方なさそうに軽く肩を竦めてから、言われたとおりに両腕を上げて万歳をした。
乱暴に裾を掴んだ劉はジャージを一気に捲り上げたが、それは万歳をした格好の氷室の首の辺りでいったん止まってしまった。腹筋と、胸筋と、薄めの腋毛が露わになると、何処からか「キャー!」という悲鳴が聞こえてきた。素肌を晒した氷室の姿に気付いた女子の声だ。ファスナーを閉めたままであることに気付いた劉は「チッ」と小さく舌を打ったが、さらにそのまま強引にジャージを上に引っ張り続け、やがてそれは勢いよく氷室の顔と体からスポッと抜けた。脱いだ際に乱れた髪を直すこともせず、上半身裸の氷室は「さむっ!」と声を上げて自身の体を抱きしめる。

「もう返すアル」
「えっ!?授業まだ終わってないだろ」
「なんかムカつくアル」
「何がだよ劉、意味がわからないよ」
「ワタシもわからねーヨ」
「は???」

そんな問答をしている間にも、悲鳴に似た黄色い声は上がり続けている。「じゃあいいよ」と不満げな声を返して氷室は上半身裸のまま劉の元から離れて行ってしまった。氷室と談笑していた男子のうちの一人が「オレがあっためてやるよ!」とふざけ半分に氷室を後ろから羽交い絞めにすると、もう一人が「じゃあオレも!」と悪乗りをして正面から氷室を抱きしめる。氷室は同級生男子によって、サンドイッチ状態となった。
さらに高まる女子たちの黄色い声も、「やめろよ」と言いながらも怒ってはいない氷室の声も、ひどく耳障りで、不快で、どうしようもなくイライラする。劉は再び氷室の元へと近付いた。

「劉?」

こっちの気持ちなんてまるでわかっていない風なのが無性に腹立たしい。劉は苦虫を噛み潰したような顔をして、丸めたジャージを氷室めがけて思い切り投げ付けた。

「……ぃてっ……」

氷室も、ふざけ合っていた男子二人も何が起こったのか理解できず、きょとんとして劉を見上げる。けれど劉が言葉を発することはなく、不機嫌そうに無言でその場を去って行った。

「氷室お前、劉になんかしたの?」
「してない……と思う、たぶん」
「本気で寒かったんじゃね?元凶は体育着忘れた氷室だろ?」
「まぁ、うん……」

とりあえず着ろよと促されて氷室が再び劉のジャージに袖を通すと、またしても「可愛い〜」という声が上がった。
脱いでも着ても上がる甲高い声をまるで他人事のように聞き流し、氷室は遠ざかる劉の後ろ姿を目で追い続けた。





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