| 氷室主将と紫原副主将と劉部長
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HRが終わり、帰りの挨拶とほとんど同時に彼らは各々の教室を飛び出す。まだあどけなさの残る彼らは高校1年生。つい先月まで中学生だった少年たちだ。 体育館の入口のドアを開けるとまずは下足を脱ぐ玄関があり、そこを上がると広めのエントランスが広がる。エントランスの奥に向かって通路があり、その通路を挟んで左側には第1アリーナ、右側には第2アリーナ、さらにエントランス脇の階段を上がった2階には、武道場と体育教官室がある。 程なくして、少し大人びた顔つき体つきの少年たちがやって来た。脱いで手にした上履や下足をシートに並べ、やはりアリーナの入口で一礼をして足を踏み入れると、先に来ていた少年たちの背筋が一斉に伸び、続いて一礼とともに、「こんにちは!!」という大きな声が響いた。頭を下げられた先輩たちは、軽く「ちぃーす」または「ちゎーす」と声を返す。 やがて第1アリーナの半分で、男子バスケ部員たちはウォーミングアップを始めた。もう半分は男子バレー部が使用しているが、あちらもあちらで内容は違えど部員たちが動き始めている。それは、いつもの淡々とした光景だ。
午後4時を告げるチャイムが鳴ったところで、3年生の劉偉の指示により、マネージャーの笛の音が鳴り響いた。集合の合図だ。全員が手を止め、劉の前に集まってくる。劉の隣りには、同じく3年の氷室辰也と、2年の紫原敦が立っている。劉は、集まった部員たちをその場に座らせた。 「あー、今日までに提出された入部届は監督がすべて受理したので、今ここにいる1年生は全員正式にバスケ部員となった。ということで、とりあえず全員の自己紹介と、今年度の部活動計画等を話していきたいと思う」 体育座りをしている部員たちを2メートル超の高さから見下ろして、劉は言った。同じく2メートル超の紫原が隣りの氷室を肘で突付き、「劉ちん緊張してる?語尾違うし」とそっと耳打ちすると、氷室は紫原に向けて「シ・・」と人差し指を顔の前に立てた。それに気付いた劉が「アツシうるせーアル」といつもの口調で言って紫原を横目で睨むと、氷室が今度は劉の方を向いて、その背中をポンポンとやさしく叩く。劉は再び部員たちを見た。 新1年生の中には、スポーツ推薦で遠方からやって来て寮に入り、春休み中からすでに練習に参加している者もいる。けれど、それ以外の1年生も含めその教育は新2年生にすべて任されていたので、1年生と3年生との接点はこれまでほとんど無いに等しい。新入部員たちは、最上級生の人となりを見極めるため、その声に真剣に耳を傾けた。 「ワタシは部長の劉偉。3年だ。ポジションはフォワード。中国人だが日本語はわかるので、1年もフツーに話して大丈夫。ヨロシク」 と、そこまで言うと劉は、「次」と横に立つ氷室を見下ろした。氷室が「え?それだけ?抱負とかないの?」と劉を見上げると、「じゃあ氷室が言うアル」という素っ気ない答えが返ってきた。氷室は苦笑しながら、前を向く。 「主将の氷室辰也、3年です。ポジションはシューティングガード。昨年の雪辱を晴らすべく、今年ももちろん全国優勝を狙っていきます。主将として何ができるかはまだ模索中ですが、最善を尽くすので、ついてきてください。よろしくお願いします」 ぺこりと頭を下げたその穏やかそうな人柄に、1年生は少し安堵の色を浮かべた。 「この微笑みに騙されると後々ひでー目に合うから気を付けた方がいい」 と、劉が氷室を指差しながら言った。 「知ってまーす!気を付けてまーす!」 と叫ぶと、3年生からドッと笑いが起こった。 「みんなひどいな・・否定はしないけど」 氷室は不満げに表情を歪めたが、その顔でさえ両脇に立つ劉と紫原に比べればずっとやさしげで、「否定はしない」という本人の言葉もどこまで本気にすればいいのかわからないほどだ。けれど1年生たちは、周りの2年生たちの目が笑っていないことに気付いた。背筋に、或いは両腕にうすら寒さを感じる。前に立つ氷室の顔は変わらず穏やかであったが、その裏に隠された部分はできれば知らずにいたい、と少年たちは願った。 「次、アツシの番だよ」 氷室がにっこりと笑って紫原を見上げる。 紫原は気だるげに、首を左右に曲げてコキコキと鳴らしてから、部員たちを見下ろした。身長2メートル8センチ。その姿は圧巻だ。彼の顔を見るには、首が痛くなるほど上を見上げなければならなかった。 「紫原敦、2年、ポジションはセンター。んー、あ、副主将?なのでよろしく〜」 のんびりとした口調で紫原は早々に挨拶を終えたが、劉のときと同様に、氷室が待ったをかけた。 「それだけかい?」 「えー、だって何言えばいいの?」 「今年の目標とか副主将としての抱負とか1年生への挨拶とか?」 「んー、じゃあ、とりあえず1年は・・言うこと聞かなかったらひねりつぶすね」 言いながら紫原は、人一倍、いや2倍もありそうな大きな手のひらを前に座る部員たちに向けて突き出した。1年生の体が一様に縮こまるのがわかる。 「こらアツシ!脅かして――」 どうする、と氷室が言うよりも早く、バシッ!という音とともに、紫原の尻に激痛が走った。 「!!!ってぇーーっ!!・・いって・・ぇ・・なぁ、もう!何なの劉ちん!!」 「ケツならいくら叩いてもバスケに支障ないアル」 「マジいてーし!」 「ワタシの手もいてーよ」 「これ絶対ケツに手形ついたしー」 「じゃあ今度1年威嚇したらそのケツの手形みんなに晒すの刑な」 「まぁまぁまぁ、それくらいにしよう?オレが挨拶強要したのも悪かったよ、ゴメンな、アツシ」 「もうっ!室ちんはまたすぐそうやって自分が悪かったって言う!”アガペー”かっ!!」 「いやいやアツシ、オレはそこまでできた人間じゃないよ」 「氷室、そこでそんなボケはいらないアル!」
・・・まるで漫才だ。 2メートル超二人と、180センチ超の、トリオ漫才。 部員たちは、1年生も含め肩を震わせて笑いを堪えている。3年生の一人がまた、手を挙げた。 「部長〜、オレたちもそろそろ自己紹介していいっスかー?」 3人はハッとして前に向き直ったが、威厳もなにもあったものではない。 それでも、ひとたびバスケのコートに入れば3人とも人が変わる。頼もしく、そして部員たちが心から憧れる存在だ。だから彼らが部を引っ張ることになったときにも、異を唱える者はいなかった。それはたとえこんな低レベルなやり取りを見せられたとしても、変わることはない。 「す、すまないアル、じゃあ、3年から」 「へーい」
3年生から順に、自己紹介が始まった。
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主将 氷室辰也 3年 副主将 紫原敦 2年 部長 劉偉 3年
この体制が決定したのはおよそ4か月前。前年のウィンターカップが終わり、年内最後の部活動の日、大晦日のことだった。 その日3人は、部活が始まる1時間前に、男子バスケットボール部顧問兼監督である荒木雅子の元に集まるよう言い渡されていた。 「失礼します」 3人が一礼をしてから中に入ると、監督の荒木が「ご苦労」と言って手を上げた。室内には荒木の他にも体育教師が二人ほどいて、「お前ら何しでかしたんだ〜?」と言って笑っている。クラスメイトたちからは「よくあんなとこ平気で入れるな」と体育教官室をさして言われることがあったが、来いと言われれば行くしかないし、さすがにもう慣れた。それでもやはり、ここは職員室とはどこか一線を画した雰囲気がある。今ここにいる二人の教師は男子バレー部と剣道部の顧問だ。他の運動部の顧問とあれば、バスケ部員として絶対に失礼があってはならない。3人・・かどうかは疑問だが、少なくとも氷室と劉は緊張した面持ちで室内に足を踏み入れた。 「ああ、悪いが一人ずつ面談したいので劉と紫原は外で待っててくれ」 「え?」と、氷室も劉も思わず聞き返してしまった。 「え〜〜、廊下超寒いじゃんー、このカッコじゃ凍えるし〜」 空気を読まない紫原の発言に、劉がその腹を肘で小突く。バレー部顧問の男性教師は「紫原は相変わらずだなぁ」と言って笑ったが、しかし荒木は容赦がなかった。 「廊下でストレッチでもしてればあったまるだろ」 「「・・・・・」」 仕方なく、劉と紫原は氷室を残し、体育教官室の外に出た。
寒い―――。 「信じらんない、マジさみーし」 「凍えるアルな」 「アリーナの暖房入れちゃえばよくね?どーせ部活すんだし」 「30分前までは入れちゃいけないアル」 「はぁ〜、じゃあどーすんの?ストレッチする?」 「震えて待ってるよりはいいアルな」 二人は、日頃部活前に行っているストレッチを始めた。まずは上半身の手首や腕、首や背中から動かし始める。立って待っているよりもマシだがやっぱり寒い。 「やっぱ寒いしー」 「廊下ダッシュしたらきっと怒られるアルな・・」 「おんぶダッシュは?」 「そんなことしたら部活始まる前にバテるアル」 「歩けばいーじゃん。それにきっと人肌であったかいよ」 ほら、と言いながら、紫原は劉の背後から腕を回して覆い被さった。ところが劉よりも5センチ背の高い紫原が足を地につけたままその体勢をとると、劉を後ろから抱きしめているようにしか思えない。確かに背中に温もりは感じるが、劉はその心地悪さに、肩から前に回された紫原の腕を振り解いた。 「えー、ダメ?」 「違うアル」 先輩が先アル、と言うや否や、劉はくるりと紫原の後ろに回り、その広い背中によいしょと飛び乗った。紫原は慌てて手を後ろに回し、劉の足を抱える。 「うわ〜、ずりーし。べつにいいけど」 「ホレ、早く歩くアル」 劉が進行方向に向けて指を差す。 2メートル8センチは、2メートル3センチをおんぶして、冷えきった廊下を歩き始めた。
一方、体育教官室では荒木と氷室との二者面談が行われていた。
「なぜ呼ばれたかはわかるな」 「はい」 「氷室には岡村の後、次の主将を務めてもらいたい。引き受けてくれるか?」 「そのつもりで来ました。ありがたくやらせてもらいます」 「よかった・・まずは第一関門クリアだな」 「?」 嬉しそうに微笑した荒木の言葉が少し引っ掛かり、氷室は僅かに首を傾げる。 「そしてお前の補佐役となる副主将だが・・」 「劉、ですか?」 ほとんど確信していたが、一応疑問形で言ってみた。 ところが。 「いや、副主将は紫原にやってもらおうと思う」 「え?・・・・・えぇっっ!!??」 言われた瞬間、意味が理解できずに少し間が空き、さらには大きな声を上げてしまった。その衝撃たるや、氷室の声に驚いてこちらを見た教師たちの視線にも気付かないほどだ。 「それは監督、アツシにはちょっと荷が重いのでは・・・」 「まぁ、誰もがそう思うだろうが、考えてもみろ。お前たちの代が卒業したら、次の主将になるのは誰が適任だと思う?」 「・・・アツシ・・です」 「あいつにそれがいきなりできると思うか?」 「思い・・ません」 「だろう?そこでだ、一年の準備期間を設けた。だから氷室、お前には主将を務めつつ、紫原が次期主将になれるよう導いてやって欲しい」 「オレに・・できるでしょうか」 「お前にしかできないから頼むんだ。それにこれは、岡村と福井の案でもあるんだぞ」 「主将たちの?」 「やってくれるか?」
氷室は即答できず、暫し俯いた。 ここ陽泉高校に編入してからまだたった5か月足らずだが、この学校も、この学校のバスケ部も大好きになっていた。ましてや岡村と福井のことは、心から尊敬もしている。自分もあんな風にチームを引っ張っていけるだろうか。いや、彼らの期待に応えるべく、やらなければならないだろう。 「わかりました、やってみます」 顔を上げた氷室が答えると、荒木は「ありがとう」と言って、微笑んだ。 「あの、監督・・劉は・・」 「ああ、劉には部長をやってもらう」 「部長?」 「今年は岡村が兼任していたが、お前には主将の他に紫原の指導も頼んでしまったからな。それとも、両方やってみるか?」 「いえ・・それはさすがに・・」 「難しいか」 「はい」 「じゃあ決まりだ。氷室にはチームを、劉には部をまとめてもらう。困ったときにはお互い助け合ってくれ。あんなに頼もしいパートナーはいないだろう?」 「そうですね」 「留学生ではあるが、劉はお前以上に日本人らしいしな」 アメリカから編入して来た氷室に向けて荒木が悪戯っぽく笑うと、「それはあんまりです監督」と言って、氷室も笑った。 後ろ向きに部屋を出てドアを閉めた氷室が廊下を振り返ると、そこには、100キロ弱の巨体をおんぶして歩く劉の姿があった。 「なに・・してるんだい?」 ちなみに陽泉高校バスケ部の練習メニューにおんぶダッシュは含まれていない。狭い廊下で大男がさらに大男を負ぶって歩く姿に氷室は目を丸くした。 「寒かったからあったまろうと思っ・・も・・ぉ降りろ・・っアツシ」 劉は答えながら、紫原を抱えていた両腕を離した。紫原がどすんと足を下ろす。 「そ、そうなんだ・・次、劉だってさ」 「そう・・か、オイ氷室」 「ん?」 「ウチの練習メニューには絶っ対おんぶダッシュは入れないアルよ」 「え?あ、うん・・」 「コイツの相手、どう考えてもワタシになるアルからな」 「なんだよー、劉ちん片道オレ往復でやってやったじゃんー」 「うんうん、わかったから劉、早く行った方がいいよ」 「わかってるアル」 「え、ちょっと劉ちん行かないでよ」 「うるさいアル」 「オレじゃダメなのかい?アツシ」 「室ちんがオレのことおんぶできるわけないじゃんー!」 紫原の声は無視をして、劉は体育教官室の中へと入って行った。
「そりゃまぁ・・できるわけないよな」 氷室は苦笑しながら紫原を見上げた。暖かい部屋から出てきたので、廊下の寒さが身に染みる。氷室はぶるっと身震いをした。 「まさ子ちん何だって?」 「ん?ああ、主将をやれって」 「まぁそうだろうね」 「気になるか?何言われるか」 「べつに〜。それよりどうする?室ちん。ここマジ寒いよ?」 紫原は廊下に置いていた菓子袋の中からポテトチップスの袋を取り出した。封を開け、「食う?」と言って氷室に差し出すと、氷室は「今はいいや」とそれを断った。少々体を動かした紫原は「腹減ったし」と言いながら、ポテチを頬張り始めた。 「アツシはあったかそうだな」 「オレ、今日はもうウォーミングアップいらないかも」 「オレは話も済んだしなぁ。そろそろ暖房入れてくるかな」 「え、まだ30分前になってないんじゃない?」 「少しくらい早くても平気だろ?」 「・・・・・・・」 「どうした?」 「室ちんて結構テキトーだよね」 「何だよいきなり、失礼だな」 「まぁいいや、いってらっしゃい」 「体冷やすなよ」 「わかってるし」 「教官室入る前に手、拭くんだぞ」 「わかってるし!!」 はは!と笑いながら、氷室は1階へと降りて行った。 口は悪いが案外生真面目で几帳面な劉。 仮に二人が同じような性格だったとしたら、どっちにしてもかなりウザい。 「だからうまくいくのかなぁ」 紫原はぼんやりと、数日前に引退していった主将と副主将を思い浮かべていた。
「失礼シマス」 体育教官室に入るなり、劉のこめかみから汗が流れた。十分に体が温まったところで暖房の効いた部屋に入ったせいで、体の内から一気に汗が噴き出してきたのだ。 「どんなハードなストレッチしてたんだ、劉」 額からも流れ出す劉の汗を見た荒木は、笑いながら席を立ち、後ろにあるロッカーを開けてゴソゴソと何かを探った。だが探し物はなかったようで、今度は机の脇の通勤用と思われるバッグから何かを取り出し、劉に手渡した。 「え?」 劉はきょとんとして、手渡されたハロー●ティの淡いピンクのハンドタオルと荒木の顔を交互に見つめる。 「汗を拭け。そんな暑苦しい顔されたら真面目な話もできないだろ」 「いや、でもこれ・・」 「似合わないって言いたいんだろう?安心しろ、貰い物だ」 「や、そうじゃなくて・・ワタシ、自分のタオル持って来る」 「時間がもったいないから構わず使え。気になるなら洗って返せばそれでいい」 「ハイ・・じゃあ・・借りるデス」 そういって恐る恐る額の汗を拭ったが、手にしたこともないファンシーなタオルと、それが荒木の私物であるという事実が言い様のない緊張感を生み、劉の汗はさらに噴き出す結果となった。2メートル超と図体はでかいが、中身は年相応の少年なのだなと、荒木は微笑ましげにその顔を見上げた。 「さて本題に入るが」 「ハイ」 「今、氷室には主将を引き受けてもらった」 「ハイ」 「そこで劉には、部長を引き受けてもらいたい」 「・・・・・・?」 ん?と、劉は不思議そうに首を傾げた。なぜなら自分は、副主将を任じられると思っていたからだ。 「ブチョー?」 「部長だ、ぶ・ちょ・う。テニス部部長、水泳部部長、吹奏楽部部長の部長、だ。今年は岡村が両方やっていたが、お前が入学した年には部長と主将がいただろう」 「んー、そういえば・・」 確かにそうだった気がする。 「でもワタシ、よく覚えてない。ブチョーとは、なにするデスか」 「そうだな。まずはバスケをする上で、コート上で選手或いはチームを引っ張っていくのが主将の氷室の役目だ。だがウチは部員が多い。ベンチに入れない部員も大勢いるだろう?」 「ハイ」 「そういう部員たちも含めて、陽泉高校男子バスケ部全体をまとめるのが、部長の役目だ。ここまでわかるか?」 「なぜアゴ・・・岡村センパイはどっちもやって氷室は主将だけデスか?」 「うーん・・それはまぁ、両方こなすというのはものすごく大変だということだ。責任感、信頼感、忍耐力、統率力、包容力、すべてが備わっていないと、任せた本人が潰れかねないからな」 「あー、氷室は少し無理ネ。ちょっと我慢が足りないし、たまにネガティブになってウザいし、きっと潰れる」 あははは、と荒木は声を上げて笑った。思ってはいたがあえて言わずにいたことを劉に言われてしまったからだ。 「よく見てるな劉、だからお前に頼むんだ」 「どゆこと?」 「お前の言うとおり、氷室に両方を任せるのは少し荷が重すぎる。そしてその氷室の足りない部分を補えるのは劉、お前しかいないと思うんだ」 「ワタシしか?・・なぜ?」 「私以上にお前たちと時間を共有してきた岡村と福井が、そう言っていたからな」 「岡村と・・福井が?」 「私は当初、順当な線で劉には副主将を頼むつもりでいた。だがそうすると部のまとめ役がいなくなる。そこであの二人が助言をしてくれたんだ。劉の方がしっかり者ですよ、ってな」 「・・・・・・」 1年の頃、どこか萎縮していた自分に声をかけてくれた二人の声が思い出される。 「・・やってもいいアル」 手にしたハンドタオルを強く握りしめ、少し俯いたまま、劉は答えた。 「本当か?」 「岡村が一人でやってたことをワタシと氷室でやればいいネ?」 「そのとおりだ。そうか、引き受けてくれるか」 「あ、でも、ワタシがするはずだった副主将は誰がするか?」 「ああ、それは紫原に頼もうと思っている」 「アツ・・え?・・・・・えぇっっ!!??」 劉の声に、ぷっ、と荒木が吹き出した。 「氷室とまったく同じ反応だな」 「や、だって、アツシにできるか?!」 「どの道お前たちがいなくなったらアイツが主将になる線が濃厚だ。できるか、じゃなく、できるようになってもらう。氷室には紫原の指導も頼んだからな、劉もフォローしてやってくれ」 「ハァ・・まぁ、いいケド・・」 「何でもいいが劉、いつの間にか敬語がまったく無くなったな」 「?・・・!!??あっ!!!・・すっ、すみませんデス!!」 「今のは劉、”デス”は付けなくていい」 「っと・・スミマセン?」 「うん、そうだ」 再び噴き出した額の汗を劉は荒木のハンドタオルで拭う。 「さすがにそれは洗って返せよ」と荒木が笑うと、劉も「ハイ」と頷き、照れくさそうに笑った。
「失礼シマシタ」 廊下に出ると、その寒さに汗が一気に冷えていくのがわかる。 「劉ちーん、終わったの〜?」 少し遠くからポテトチップスの袋を抱えた紫原が声をかけてきた。菓子を食べながら、足早に廊下を歩いて来る。 「さっ、寒いアル。アツシ、体冷えてないアルか?」 「うん、競歩みたいに歩いてたから平気」 「元気アルな・・・」 「まさ子ちん何だって?」 「内緒だ。ワタシの話はいいから早く行くアルよ」 「何だよケチー」 「ホレ、菓子しまって、さっさと手ぇ洗ってくるアル」 劉は紫原の手から、ポテトチップスの袋を取り上げた。 「劉ちんまで室ちんと同じこと言うし」 「言われるようなことしてるからアルよ」 「ちぇ・・」 紫原は廊下の突き当たりにあるトイレに小走りで行って入り、すぐにまた劉の元へと戻ってきた。 「劉ちんなんか拭くもんない?」 濡れた手をぶらぶらと振りながら、紫原は劉に尋ねた。 「持ってねーアル」 「えー、その可愛いタオルなに?」 タオルの存在に気付かれた劉は、そそくさとそれをポケットに突っ込む。 「これはダメアル」 「なんで?」 「ワタシの汗でぐちょぐちょアル」 「んー、それはヤだな・・」 仕方なく、紫原は自分のトレーナーで手を拭った。 「室ちんは下で先に練習してると思うよ」 「じゃあワタシも行ってるアル」 「うん、じゃあ後でね」 「アツシ」 「ん?」 「カントクに”ちん”付けるなヨ」 「んー・・そこはちょっと譲れないかな〜」 「そのこだわりわかんねーアル」 「そんなの劉ちんの”アル”と同じアル」 「・・・!!」 眉を顰め、細い目を一層細めながら、劉はポケットからハンドタオルを取り出して広げ、紫原の顔に押し付けた。湿った感触が紫原の顔面を覆う。紫原は劉の手を思い切り振り払った。 「うっわ!うっわ!何もう劉ちん、サイテー!!」 「さっさと行くアル」 「絶っっ対仕返ししてやるから!」 紫原は劉に向けて、顔全体をくしゃくしゃにしながら「べーっ」と舌を出す。 「あー、ハイハイ、わかったから早く行け」 劉はひらひらと手を振って、体育教官室のドアを叩く紫原を見送った。
「失礼しまーす」 中に入ると、ムッとするような暖房の暖かさが全身を覆った。紫原は思わず「あっつ・・」と呟いた。 「何を騒いでるんだ、お前たちは」 廊下の声が響いたのだろうか。荒木は呆れた風に言いながら、椅子に座ったまま腕組みをして紫原を迎えた。 「だって劉ちんが――」 「だってじゃない、続きは寮に帰ってからいくらでもやってくれ」 「もー、オレが怒られたし」 理由すら聞いてもらえずに、紫原は頬を膨らませた。本当に大きな子供だな、と荒木は口には出さずにその巨体を見上げながら、これから始まる面談に一抹の不安を抱いた。 「早速本題に入るが」 「うん」 「うん、じゃなくて、はい、だ」 「・・・はい」 「さっき、氷室が主将を引き受けてくれた」 「うん」 「だからうん、じゃ・・まぁいい。主将は氷室に決まった。そこで紫原には、副主将をやってもらいたい」 「・・・・・・なんで?」 「驚かないんだな」 「だってオレも呼ばれた時点でなんかあるなーと思ってたもん。で、なんで?」 「コート上で氷室をフォローするにはお前がいちばん適しているからだ」 「劉ちんは?」 「バスケ中の劉は自分のことで手一杯になるからな。お前の方が周りを見る余裕がある」 「あー、それはそうかも」 「そのかわり、バスケを離れると氷室は何かと無頓着になる。その点劉は気が利くし統率力もある。だから劉には部長を引き受けてもらった」 「部長?」 「レギュラー、準レギュラー、それ以外の部員も含めたバスケ部全員をまとめる役だ」 「えーっと、室ちんがコート上のリーダーで、劉ちんが全員のリーダーで?・・オレは?」 「コート上で氷室の手助けをしてやってくれ」 「オレが室ちんを?助けるの?」 「そうだ。岡村も福井も紫原が適任だと言っているし、私もお前以外考えていない」 「岡ちんと福ちんが?」 「見ているやつはちゃんと見ていてくれるものだよ」 「ふーん・・・」 紫原はぽりぽりと頭を掻きながら天井を眺めた。2メートル8センチの身長で上を向かれては、もはやその表情はわからない。荒木は黙って答えを待つ。 「ちょっと考えてからじゃダメ?」 少しの沈黙の後、紫原はそう言って荒木を見下ろした。 もしかしたら話すら聞かずに断られるかもしれないと思っていただけに、十分に脈ありだ。 「年内の部活は今日で終わりだからな、できれば今日決めたかったが・・・いいだろう、年明けまでに答えを出してくれるか?」 「わかった、考えとく・・」
入ってきたときとはまったく違った面持ちで、紫原は体育教官室を後にした。 試合に負けて泣いたあの日から、まだ4日しか経っていない。泣きながら自分を殴った氷室の顔を思い出す。お前には来年があると言って、頭をくしゃくしゃに撫でた岡村の大きな手の感触を思い出す。 「もういないんだもんな〜」 歯痒さの理由はすぐにわかった。3年生である岡村や福井とともに試合ができるのは、あれが最後だったのだ。もっと一緒にやりたかったのかといえば、それを認めたくない自分がいる。認めたくないから、だからこそ、後悔の波が押し寄せる。 あの試合に勝っていれば――。
階段を下りてアリーナの入口まで来ると、中からボールを突く音が聞こえた。紫原は、少し重い扉をゆっくりと開いた。 「あ、アツシ!」 開いた扉に気付いた氷室が、紫原の名を呼んだ。 「・・っ!!」 「よそ見はいけないアルよ、氷室」 「ずるいぞ劉!!」 「こうでもしないと氷室には勝てないアル」 劉はそのままドルブルをして、紫原が入ってきた扉からいちばん近いゴールに向かって勢いよくダンクシュートを決めてみせた。跳ねたボールを氷室が取りに行き、「アツシ!」ともう一度名を呼んで、ボールを紫原に向けて放る。反射的にボールを受け取ったが、紫原はボールを手にしたまま、暫くその場に立ち尽くした。 なぜだろう。 こんなにもいつもの光景だというのに。 鼻の奥に、ツンとしたものが、込み上げる。 なぜだかわからないけれど、副主将をやってもいいと思った。 「どうしたアツシ?監督の話は受けたのかい?」 氷室が心配そうな表情で見つめてくる。 「ワタシへの仕返し方法でも考えてるアルか?」 にやりと笑って、劉は両手を構え、ボールが来るのを待っている。 「オレ・・もう一回まさ子ちんのとこ行ってくる」 手にしたボールを劉に向けてパスすると、紫原はくるりと振り返り、二人に背を向けて走り出した。
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マネージャーも含め、1年生まで全員の自己紹介が終わった。 「まだ言ってないやついないネー?じゃあ次に・・」 劉が合図をすると、マネージャーたちが束にして持っていた冊子を配り始めた。 「ここには陽泉高校男子バスケ部のいろんな決まり事と、今年度の活動スケジュールが書いてある。一応ひと通り氷室が読み上げるから、特に1年はよく聞くように」 「・・え?オレ!?」 氷室は驚いて劉を見上げ、ムリムリ、と手を横に振る。 「漢字苦手なの知ってるだろ。オレが読んだら終わらなくなっちゃうよ」 「ワタシも・・読むのは苦手アル」 劉と氷室は、ちらりと紫原を見上げた。 「何だよもー、しょーがないなぁ。何?これ1から読めばいいの?」 横に立つ二人がコクコクと頷くと、紫原は開いた冊子を読み上げ始めた。 それは、普段の紫原ののんびりとした口調よりもずっと早いペースで読み上げられた。氷室も劉も、少し驚いてその様を見つめる。 まだまだお互いに知らないことはたくさんあるけれど、これからの厳しい練習の中で、或いは部活を離れた生活の中で、追々知っていけばいい。
201XX年 陽泉高校男子バスケットボール部、始動――。
end
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