はじめての LOVE ホテル2





火神の自宅から氷室のアパートまでは車でおよそ時間。アパート近くまで辿り着くと、火神はいつものようにコインパーキングに車を止めて、いったん氷室の元を訪れた。

「で黄瀬君から借りた服って

お茶を出すでもなく、氷室は早々に火神に尋ねた。
火神が黄瀬から渡された紙袋の中身は、ひと言で言えば女装グッズだった。車を降りてから人に会わずにホテルの部屋まで行けるとはいえ、入口のカメラには姿が写る。男女と思わせるのも面白い、というのが黄瀬の(或いは青峰の)楽しみ方でもあるのかもしれないが、人によってはその方が遥かに恥ずかしいとも言える。ただ、「べつに着なくてもいいけど、氷室さんなら全絶対イケると思うんスよね〜」という人気現役モデルのお墨付きをいただいてしまっては、火神としても興味が湧かざるを得ない。それでも一応本人の意向を確かめておこうと連絡をしたところ、「オレならイケるって(←ここ重要)面白そうじゃないか、持って来いよ」とあっさりとOKが出てしまった。

そうだった。この氷室辰也という男は、己にとって未知の物や事に対して過度なまでの興味を抱く。それを考えれば女装など格好の対象だ。火神は「これなんだけど」と言いながら、紙袋の中身をひとつひとつ取り出した。

「思ったより地味だな・・」

「なるべく抵抗ないのを選んだって言ってたけど」

「ふぅん」

氷室がどんなものを想像していたのかは知らないが、部屋の床に並べられたのは、黒髪で内巻きセミロングのウィッグ・黒縁の伊達眼鏡・オレンジ色のタンクトップ・グレーのざっくりとしたタートルネックニット・黒のスキニーデニム・そして黒いエナメルのパンプスだった。

「でな、これの付け方なんだけど・・」

火神はウィッグをぽんと叩いてからスマホを少々いじり、出てきた画面を氷室に見せた。それは、ウィッグの付け方、と題した若い女の子の動画だった。

「えこのまま被れないのか

「さぁオレわかんねーし。黄瀬がこれ見ろって」

と火神が答えているうちにも動画は始まった。

ところが女の子が頭にネットを被せ、地毛を中にしまい込んだところで、氷室は「うーん、もういいや」と言ってそっぽを向いてしまった。

「・・・タツヤ

「街歩くわけじゃないしテキトーでも平気だよ」

「そ、そうか

単純に面倒くさかったんだろうな、と予測はついた。氷室は正直なところあまり器用ではない。例えば一緒に料理を作っても、煩いくらいに首は突っ込んでくるくせに何をやらせても適当で、終いには飽きて人任せになるのがオチだった。まぁ何とかなるだろうと、火神は氷室に気付かれない程度の小さなため息を吐く。

一方の氷室は早速着替えようと服を脱ぎ始めた。が、オレンジ色のタンクトップの形が妙に気になって、それを摘まむようにして持ち上げた。

「なぁ、インナーって・・これでなきゃダメなのかな

・・何でだ

「これはちょっと抵抗があるかな」

「はどれだよ

氷室がタンクトップの襟ぐりを少し裏返すと、そこには何とも色気のないベージュのカップが付いていた。どうやらブラジャーと一体化しているタンクトップのようだ。好奇心旺盛で女装にも乗り気なくせに、変なところで男くさい一面がある。厄介な性格ではあったが、火神はむしろそういった男っぽい部分も含めて氷室のことを好きになったので、今目の前で躊躇している彼が無性に可愛く思えた。

だから

「でも黄瀬は着てるって言ってたぞ(←言ってない)モデルだから何でもOKなんだろうな」

「・・・・・・」

氷室はちらと睨むように火神を見上げると、無言で着ていた自分のタンクトップを勢いよく脱いで、カップ付きのそれをあっさりと被って着て見せた。べつに着たところを見たいわけではなかったが、黄瀬に対抗意識を燃やすかどうか知りたくて少々イタズラを仕掛けてみたら、面白いくらいにまんまと乗って来た。込み上げる可笑しさを火神は必死で堪える。

ブラトップを身に着けた氷室は俯いて、視線の先にある膨らみを見下ろした。中身のないカップを両手で押さえ数回押してみれば、微かな空気音が2人の間に虚しく響く。何が可笑しかったのか、氷室はくっくっと肩を震わせた。カップ付きのタンクトップを男が着ればもっと変態っぽくなるのかと予想していたが氷室はなぜだかその類ではなく、その姿は、火神の目に妙に卑猥に映った。

「タイガ」

「ん

「触ってみるか

「はぁっ??!!

いや、いいよ!!と火神は慌てて氷室に手のひらを向けて拒否したが、逆に手首を掴まれて、その手は氷室の胸へと運ばれた。半ば仕方なく、押し潰さないように恐る恐る手で触れたカップは布質のせいか案外柔らかく、その丸みは今まで体験したことのない感触だ。触れたはいいが押すことも引くこともできない。大いに戸惑っていると、氷室は火神の手を無理矢理胸へと押し付けてきた。

!!!!!

ぱこ、という小さな音と共にカップは潰れ、火神の手のひらは氷室の胸へと押し付けられた。何らかの衝撃に肩をピクリと揺らした氷室がそっと見上げてくる。どこか憂いを帯びた微笑に、火神の体の奥がぞくりと疼いた。

「何か虚しいよな」

決して触れることのないやわらかな肉の感触。

氷室は男である自分を卑下して笑ったようだが、火神の胸中は違っていた。

「オレが・・欲情してあんたを押し倒す前にさっさと着替えてくれ」

触れていた胸から手を離し顔を背けた火神の言葉に、氷室は微かに笑って「OK」と答え、タートルネックのニットを被った。




バスケで鍛えられた太腿が入るかどうか心配だったスキニーデニムは、さすが同様にバスケをしていた黄瀬が穿いているものだけあって、すんなりと足を通すことができた。ウエストもジャストサイズではないが問題はない。ところが・・・。

「なぁ、タイガ」

「ん

「黄瀬君て、スタイルいいよな

「そりゃまぁモデルなんだからいいんじゃないのかオレにはよくわかんねーけど」

「ふぅん・・」

「あ、そーいや今度Wデートしようとか言ってたぞ。たぶん冗談だろうけど」

「そうか・・じゃあその挑戦状、確かに受け取ったと伝えてくれ」

「ああそう・・って、ええぇっ??!!挑戦状???って何だよソレ!!??

床に胡坐をかいて、自分のマンションでは見かけることのないメンズ雑誌をパラパラと捲っていた火神は、勢いよく顔を上げて氷室を見上げた。日頃こんなにも細身のパンツを穿くことのない氷室の姿はとても新鮮に火神の目に映ったが、当の氷室は大そう面白くない顔をしている。

「何がどうすると挑戦状になるんだよ???

「だって・・・長いんだ」

「は何が

「これ・・裾がかーなーりー、長い・・・」

そもそもこういったパンツは少し長めのものを弛ませて穿くのが流行りだと理解はしているが、それにしたって氷室の足には長過ぎる。

「ああ、それな。そうそう、たぶんタツヤには長いだろうから折り返せば可愛いとか何とか言ってたっけか」

「それって・・・」

黄瀬からの善意の伝言は、氷室のプライドの一部を多少なりとも刺激したらしい。

「オレの足が短いって言いたいのか上等じゃないか、黄瀬なんとか君」

「あのなぁ・・・」

何が面白くないのかと思えば驚くほどくだらない理由だった。火神は心底呆れ返って肩を落とす。

「黄瀬って確かタツヤより67センチ身長あるんだぞズボンが長くても当たり前だろ。あと因みに黄瀬”涼太”な」

「だって・・」とまだ何か言いたげな氷室を見上げるでもなく、火神はさっさと氷室の足元に手を伸ばして長すぎるパンツの裾を折り返し始めた。氷室は黙ってされるがままにしている。両足の裾を回ずつ折り返すと、火神は氷室の太腿をパシッと叩いた。

「ホラ、これでいいだろ

くるぶしの少し上で折り返された裾をじっと氷室が見下ろしている。

「ないいんじゃねーの」

本当は”可愛いんじゃねーの”と思ったのだけれど、今まで一度だって言ったことのないひと言を告げるのは、躊躇いがあった。火神は見上げた視線をふと逸らす。
どこかぶっきらぼうで、けれど照れているのがわかる火神の声と表情は、氷室の胸を小さくときめかせる。

「うん・・・」

と、氷室は小さく頷いた。





火神が来る少し前に髭は剃っておいた。眉はいつも整えているし、スキンケアもいつもどおり万全だ。 そこまでが前提の上で黄瀬が火神に持たせたのは、”B.Bクリーム”だった。「素人にメイクはハードル高いから」と言って渡されたそれは、いわゆる下地のいらない手で塗るだけのファンデーションというやつだ。いよいよホテルに入るだけなのにここまでする必要があるのかと疑問に思い始めたが、これに関しては氷室は興味津々のようだ。ローテーブルの上に折り畳みミラーを開き、チューブの裏面の用法のとおりにクリームを顔に塗り始めた。

「うわぁ・・」

「おお、すげーな」

元々髭が薄く剃り跡が目立たない上に、20代前半男性にしては肌もまったく荒れていない。肌色のクリームが氷室の顔の表面に伸びていく。「女みてぇ・・」と火神が思わず呟くと、「残念ながら女にはなれないけどな」と氷室がまた、卑下した様な微笑を向ける。

「そーいう意味じゃねーよ」

火神が氷室の頭をぽんと軽く叩いて髪に唇を寄せると、「わかってる」という小さな声が返って来た。





いい感じの位置にウィッグを被り、鏡を見ながらそれを整える。地毛の長い前髪とウィッグの前髪、肩まであるウィッグの横や後ろ髪とそれより短い地毛もブラシで馴染ませて、紙袋に入っていた黒ピンで数ヵ所留めれば違和感はほとんどなくなった。

「これはどうする

最後に火神が袋から取り出したのは、リップスティックだった。

「口紅・・うーん・・色にもよるかな」

どぎつい紅色はできれば遠慮したい。少しだけ怪訝そうな表情を見せた氷室は火神からそれを受け取った。蓋を取って確かめれば、想像していたのとはまるで違ったやさしい雰囲気のピンクベージュだった。氷室は鏡に向かい、乾燥避けに使っているリップクリームと同じ要領でそれを唇に塗っていく。

「女ってさ・・」

火神がぽつりと呟いた。

「・・ん

「女って、こんなの塗ってたら、相手はキスとかしてもホントの唇の味・・とか感触とか、わかんなくねーのかな

それは素朴な疑問だった。

「タイガはよくアレックスとキスしてたじゃないか」

「あ、あれは向こうから一方的に・・・!!!

「味、したか

「や、だから一方的だっつーの口紅付けてたかもわかんねーし、そもそもアレックス相手にそんなん考えもしねーよ!!!

キス魔のバスケの師を引き合いに出され火神は慌てた声を上げたが、考えもしないという言葉が本心なのは氷室も承知の上だ。

「だったら・・コレが落ちるくらいたくさんキスすればわかるだろ

氷室は火神を見上げ、薄く色づいた自らの唇を指先でなぞって見せる。

(だ・か・ら・・・!!!

「勘弁してくれ・・」と火神は聞こえるか聞こえないか程度の声を洩らした。

目的はラブホに一泊だというのにここで押し倒したくないとさっき言っただろうが、という台詞は声には出さず、「もう、行くぞ」と言って火神は立ち上がった。




顔の輪郭から前部分にシャギーの入った内巻きセミロングの黒髪。大きめな黒縁の伊達眼鏡。グレーのタートルネックのニットは尻が隠れるくらいの長めの丈で、黒のスキニーデニムは裾を折り返してある。そして

最後に玄関に置いたパンプスに足を入れると、それは黄瀬のサイズだからか少しだけ大きかった。けれど脱げてしまうほどではない。氷室は「どうだ」と言って、まだ玄関の手前にいる火神に向けて下ろした両手を広げて見せた。パッと見はまるで女だ。身長は183センチと高めだが、今どき180センチ台の女性などここ日本にだっていくらでもいる。無意識にすれ違えばまずわからないだろうし、意識してまじまじと見なければ疑うこともないだろう完成度だった。

「シャレになんねーな・・」

「ホテル手前でコンビニ寄るんだろうオレも行こうかな」

「マジかノリノリだな」

「ここまでやったんだから勿体無いじゃないか」

「まぁな・・」

と言ったところで、火神は思い出したように手を叩いた。

「そうだ」

「なに

「写メってもいいか

「いいけど・・待ち受けにするのはやめてくれよ

「しねーよ!!

「全力で否定か・・傷付くな・・」

「傷付いてどうすんだよ・・ってか、いや、黄瀬が出来上がったら見せて欲しいって言ってたから」

「黄瀬君にそうか、それならOKだよ。どんなポーズがいいかな

氷室は両手を後ろに回し、足を前後で少し交差させて小首を傾げてみせた。

「ホントにノリノリだな・・」

火神は苦笑しながら23枚スマホで写真を撮った。氷室と二人でいちばん写りの良いものを選んで黄瀬にメールを送ると、分も経たないうちに火神のスマホのランプが点滅した。黄瀬からの通話の着信だった。

「よぉ」

『火神っち!?思ったとおりっスよ氷室さんマジ美人!!あー、悔しいなぁー、オレそっち行ってフルメイクしてあげたいのにぃ〜〜!!!

「お、おう、そうか・・・」

「タツヤ、黄瀬がマジ美人だってよ」と氷室に伝えると、氷室は気を良くしたのか「Wデートは人で女装して行こうか、って伝えて」という声が返ってきた。それは如何なものかと思ったが、黄瀬あたりならむしろ面白がってやるのかもしれない。火神は氷室の言葉を黄瀬に伝えることにした。

「Wデートはタツヤと黄瀬で女装しよう、だって」

『へ・・なんで

しかし返ってきたのは意外な声だった。

「あ、やっぱダメかなんかタツヤが乗り気なんだけど」

『ダメっていうか・・オレ、女装とか無理なんスけど・・・』

「へ・・は?!・・って、ええぇっ!!??

『な、なんでそんなに驚くんスか

「いや、だってお前、こんな女装グッズ持ってるし・・」

『ああ、それね、パンツとメガネはオレのだけど、あとはみんな仕事場で調達してきたヤツっスよ

「じゃ・・なんでタツヤに・・・」

『え、美人だから

「そ、それだけ

『うん、それだけっスよモデル仲間にも結構いるんだけどー、女装って単にイケメンじゃ無理なんスよね。だから言ったじゃないっスか、氷室さんなら絶対イケると思う、って』

「じゃ、じゃあ黄瀬、お前は・・・

『え、オレ!?オレは無理っスよ〜〜。モロ男顔だし、この身長っスよもしやってもすぐバレるって!!!

スマホの向こうで黄瀬がケラケラと笑っている。呆然とする火神には、もはや返す言葉がない。そんな火神の胸中を知る由もない黄瀬は、「それにね・・」と話を続けた。

『それに青峰っち、そーゆーのキライなんスよねー。あの人にお色気作戦は役に立たないんス』

ちょっと拗ねた風な声は、惚気以外のなにものでもなかった。氷室になんと説明すれば良いのだろうか。火神はがっくりと肩を落とす。

「じゃあ、まぁ、とにかく行って来るわ・・・」

『夜は長いっスよ火神っち!!頑張って!!!

何を頑張るのかは言わずもがなだ。
やたら明るい声援を受けて、火神は通話を切った。ふと向けられた視線の先を見ると、まるで女のような恋人が、待たせたにも拘わらず上機嫌でニッコリと微笑んでいる。


言い訳は明日以降に考えよう


火神はそう、心に決めたのだった。






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