| はじめての
LOVE ホテル3
-3センチヒール-
アパートを出てから車の止めてあるコインパーキングに行くまでの間に、火神は重大なことに気が付いた。 「タツヤ・・っ」 少し慌てて後ろから恋人の肩に手を掛ける。 幸いなことに夜の住宅街には人通りもなく、それでも火神はその男名を小声で呼んだ。 「ん?」 振り返って小首を傾げるその姿は、女装しているとわかっていても綺麗だ、と思う。どうした?と聞いてくるのが男の声であることに違和感を覚えるほどだ。 けれど―――。 「その歩き方・・何とかなんねーのか?」 「歩き方?」 パンプスのヒールが3センチ程とそう高くはないのは、黄瀬の配慮であろう。ところがそんな配慮も虚しく、氷室の歩き方は、見事なまでに男らしかった。 「コンビニ寄るなら多少は何とかしねーと・・」 「あー、そうか・・・」 そんなことまるで考えていなかった、という風に呟いて、氷室は自分の足元を見下ろした。何とかと言われても、どうすればいいのかわからない。視線の先に、街灯に照らされた道路の白線が浮かび上がっているのが見えた。ちょうどいい、と氷室は線の上を歩き始めた。けれど両腕を伸ばしてバランスを取るその姿は、後ろから見ているとまるで平均台の上を歩いているかのようだ。火神がくっくっと笑いを堪えていると、それがバレたのか、何だよオレいま真剣なんだぞ、という拗ねたような声が数歩先から聞こえた。 「ぅわ・・っ」 慣れない歩き方をしていた所為か、たった3センチのヒールに足を取られて氷室がバランスを崩す。火神は咄嗟に氷室の脇に手を入れて腕を抱え上げ、氷室も火神の腕に縋ったおかげで、事なきを得た。 「あぶねーな」 「うん、ビックリした」 がっしりと支えてくれた腕にしがみ付いたまま、氷室が火神を見上げる。火神も視線を返すように氷室を見下ろしたのだが、何だか今まで体験したことのないような感覚に、二人は無言で互いを見つめた。ほんの数秒の出来事に胸がざわめく。それが何であるのか先に気付いたのは、果たしてどちらだろうか。 男同士である自分たちが互いに触れることができるのはいつでも密室で、人目を忍ばなければならなかった。外でこんな風に、まるで恋人同士のように相手に触れたのはおそらく初めてで、何だか妙に照れ臭い。氷室は火神の腕に縋っていた手を下ろし、その手でそっと火神の手を握った。驚いて氷室を見下ろすと、彼は深く俯いている。拒絶されることを恐れているのだろうか。火神は握られた氷室の手に、やさしく指を絡めた。堂々の、恋人繋ぎだ。 「こうすりゃ、転ばないだろ?」 「・・・・うん、安心だ」 意識して狭めた氷室の歩幅に火神が合わせて歩く。正面から、こちらに向かって自転車が走って来た。50〜60代の男だ。自転車のわりにゆっくりと近付いてきた男はすれ違う手前で二人の顔をちらと見たが、特に気に留める様子も振り返ることもなく、そのまま走り去って行った。 「タイガ・・・」 「・・・ん?」 「すごいんだけど」 「な、なにが?」 「手汗・・・」 「!!」 やけに湿り気の多い手のひらの感触に、今度は氷室が笑いを堪える番だった。くつくつと肩を揺らし、繋いでいない方の手で口元を押さえている。 「あっ、いや、ワリ・・っ、なんかキンチョーした、っつーか・・っ」 パッと手を離し、カーゴパンツの太腿のあたりで汗ばんだ手を拭っていると、氷室にその手を掴まれた。 「繋いでてくれないとオレ、転んじゃうだろ?」 「・・・・・」 悪戯っぽく見上げてくる表情はからかっている様に見えたが、その実、照れ隠しだったりすることもある。そんなとき火神は、あえてその真意を知ろうとはしない。 かつて、付き合うよりももっとずっと子供だった頃には、自分よりも大人びていて本心の見えないところが歯痒くて、執拗に問い詰めて、怒らせたことも傷付けたこともあったのだけれど。 今はもう、そんなことはしない。彼が彼の意思でここにいてくれるのならば、それだけでいいのだから。 火神はもう一度氷室の手を握り、さっきよりも強く、指を絡めた。
-convenience store-
『目的地 100メートル先 左です』
片側二車線の幹線道路。時折り、国道のナンバーが表示された青い標識が立っている。午後7時を過ぎた今も交通量は多く、トラックの姿が特に目立つ。右車線を走っていた火神は「やべぇ・・」と呟きながら左にウインカーを上げ、車線を変更した。少し強引に入れてもらったので、減速してくれた後続車に向けてハザードランプを短く点灯する。 『目的地 50メートル先 左です』 すぐにまた左にウインカーを上げて左折をすれば、煌々と明かりを放つコンビニの駐車場に辿り着いた。『目的地に 到着しました』という声を最後に、女の声をした機械音は途絶えた。 「結構走ったなー」 「悪いな、いつも乗せてもらって」 「運転嫌いじゃないからいいって。でも・・帰りはタツヤが運転するか?」 「こんな高そうな車、傷付けたら大変だ」 「仕事で車乗ってんだろ?」 「社用車なんて安い大衆車だし。そういえばこの前先輩助手席に乗せて出たら、ビビられちゃってさ」 「へ、へぇ・・・・」 氷室の運転する車に乗ったことはないが、彼の性格からしても、確かに安全運転ではないような気がする。 「オレの運転はすごいぞ?」 そう言って笑いながら助手席のドアを開き、氷室は車から降りた。 トラックも止められる広い駐車場を持つコンビニは、夜にも拘わらずそれなりに客がいた。 氷室のカゴにはミートドリアと手巻き寿司とおにぎりとキャンディチーズとチョコレート。飲み物は、ジンジャエールとドライビールと、瓶の日本酒なんていうのも入っている。一方の火神のカゴには、弁当二つとカップラーメンと調理パンに菓子パンが多数。飲み物は、アルコール度数のそう高くない缶チューハイ2本と、1リットル牛乳が1本だ。 「(そろそろ行く?)」 氷室が周りを少し見回してから、声を潜めて尋ねてきた。明るい店内に、長身のカップルは嫌でも目立つ。時折り周囲から視線を向けられていることに気付いてはいた。何度もちらちらとこちらを窺う客もいる。男とバレている感じはしないが、どっちだろう?と若干疑っているのかもしれない。声を出したら終わりだと思い、氷室は極力会話を控えていた。 「そうだな」 「(視線も気になるし・・)」 「え、そうか?自意識過剰なんじゃないのか?」 「・・・・・・」 火神の何気ない言葉に氷室は眉を顰め、ぷいと顔を背けて歩き出そうとした。 「あ、ちょ・・おい、タツ―――」 「!!」 「―――っ!(・・ってぇ・・っっ!!)」 名を呼びかけた火神の脛に氷室がパンプスのつま先で蹴りを入れる。ここで大声で”タツヤ”なんて呼ぼうものなら好奇の目に晒されるのは確実だ。火神も自分の非に気付き、ワリィ・・と詫びたが、向う脛を一蹴はあんまりではないだろうか。そんな嘆きを気にする素振りも見せず、脛を擦りながら見上げる火神をツンと見下ろして、氷室はさっさとレジへと向かった。
先に並んだ氷室が隣りのレジで会計をしている。財布が男物なのを気にしたのかポケットから剥き出しの一万円札を出して払ったようだが、それもなかなかどうして男らしく見えて、火神は思わず苦笑した。 火神はまだ、大学4年だ。バスケ漬けの日々のためアルバイトもしておらず、すべてを父親から援助してもらっている。だからときどき氷室が奢ってくれることもあるのだが、親だけでなく恋人からも援助してもらってばかりでは情けない。火神は今、国内のいくつかのプロバスケットボールチームから声がかかっている。まだどこにするか決めてはいないが、早く親に恩返しがしたいのと同時に早く氷室と同等の生活力を得たいと、今はその時を待っているところだ。 「お会計、2,854円になります」 「・・あ、はい」 (コンビニで3,000円かよ・・スーパーにしとけばよかったな・・・) 生活力のない大学生の心の中での呟きは、心の底から本音であった。
「この格好で”タツヤ”はないだろう?」 コンビニ袋は後部座席に乗せた。 助手席に乗り込んだ氷室はシートベルトを閉めながら、火神に向けて呆れた風に肩を竦めた。 「だから謝っただろ?ってか、じゃあ”タツ子”とでも呼べばよかったのか?」 「”子”を付ければいいってもんじゃないよ。せめて”タツ美”とかさ」 「・・・・あんま、変わんなくねーか?」 「・・・・そうだな」 ぷっと、どちらからともなく笑いが洩れたかと思うとそれは次第に大きくなって、車内には二人の笑い声が響いた。 「ここからはナビないから、頼むな」 「そうだった・・ちょっと待って」 氷室がスマホで地図を探す。 「OK、いいぞ」 「よし、行くか」 ラブホテルまで、あと少し。
-Air Base-
再び国道を走り始めてから暫くして、二人は街の風景が今までとどこか違うことに気付いていた。 「なんか、雰囲気違うな」 「うん、懐かしいっていうか」 「米軍基地があるって黄瀬が言ってた」 「ああ、これか・・」 氷室はスマホの地図にもそれを見つけ、頷いた。 「でもロスとは全然違うな」 「うん、確かに」 右手に続いていた塀が途切れて、フェンスに変わった。フェンスの向こうには学校のような大きな建物や、広いグラウンド、平屋建てのマーケットやレストランのような店が見えた。それらを行き来するための専用の道路も整備されていて、車も走っている。とにかくだだっ広くどこか大雑把に映るその風景は、フェンスの向こう側に日本ではない異国の町が存在しているかのように思えた。信号ごとに基地のゲートがあり、レンガ作りの入口に”〇〇 Air Base"という文字が見える。門前には兵が立ち、一般車・一般人は許可がなければおそらく入れないだろう。 「ロスとは全然違うけど、なんか・・思い出しちゃったな」 「何を?」 「タイガに出会った頃とか、一緒に歩いた街並みとか」 「・・・・ってか今そんな、ガキの頃のこと思い出さないでくれよ」 「ダメかい?」 「ダメっつーか・・あー、これから、ラブホ行くってのに」 出会ってから十数年。 「ハハッ、ゴメン・・まったくだな」 「いや、いいけどさ」 ちらと横目で見た氷室の笑顔がいつも以上に綺麗に見えて、ドキリとさせられる。女の格好をしているからとかそういうことではなく。この笑顔が乱れる様が頭を過ぎり、火神の体がぞくりと疼く。 「”第12ゲート前”・・ああ、アレじゃないか?」 氷室が指差した左前方に、周囲の景色から明らかに浮いた外観の一際高い建物が見えてきた。 「どう見てもアレだな」 「次の信号左に入って、うーん・・100メートルくらいかな?」 「OK」
緊張の一瞬がやってきた。 「驚いたなタイガ・・いっぱいじゃないか」 「マジかよ」 「あ、そこ空いてる」 ゆっくりと進み、建物の反対側あたりにようやく空きスペースを見つけ、火神はバックで車を駐車スペースへと入れた。とりあえず辿り着いたことに安堵したのか、火神がふぅ、と息を吐く。 二人は車から降り、各々コンビニの袋を手に提げて、止めた車の奥―――ホテルの入口へと向かった。 |