my best of love







「福井ー」

「ん?」

クラスメイトの声に、振り返った。

「でっかい後輩来てんぞ」

そんな級友の声よりも早く、教室の後ろのドアにその姿を見止めた福井は、ハァ、と小さく息を洩らす。

でっかい後輩と言われた後輩は本当にでっかくて、ドアの向こうに直立している彼の姿は首から下しか見えなかった。全国レベルのバスケ部に所属する福井には他にもでっかい後輩はいたりもするが、上級生の教室までわざわざやって来る後輩など一人しかいない。そもそも、ついさっきバスケ部の朝練を終えて「お疲れ」と挨拶を交わしたばかりではないのか? しかも今日は一学期の終了式で、通知表をもらってHRが終わったらお昼を食べてまたすぐに午後の練習で会うのだから、何も今ここまで来なくても良いのではないだろうか。そう思ってはみたものの、日頃の彼の自分への行動を思い返せば致し方ないのかな、とも思う。福井は小さなため息を吐いて席を立ち、教室の後ろのドアへと向かった。

「どうしたぁ? 劉」

劉、と呼んだでっかい後輩は態度もデカくて、両手をポケットに突っ込んで、福井が来るのを待っていた。その二〇三センチの長身の先を福井は高く見上げる。

「福井、今日の夜に花火大会行くアルよ」

「……ハァ?」

先輩を平気で呼び捨てにするこの後輩の言動は割といつも唐突で、福井は片眉を顰めて無愛想な声を返した。

「花火大会行くって、誰が」

「福井が」

「誰と」

「ワタシと」

「何で」

「クラスの友達が行く言ってた」

「んじゃあそいつと行けばいいだろ」

「ソイツ、彼女と行くアル。ワタシ、彼女いない、福井も彼女いない、ホラ、ちょうどいいアルね?」

「…………」

ね? と小首を傾げる仕草は大きな図体に少しも似合っていなくて、けれどそんなところが少しだけ可愛いと思ってしまうから、我ながら困ったものだ。けれど。

「ね? じゃねーよ。何で野郎二人で花火見に行くんだよ」

「……ヤロウ?」

劉は疑問に首を傾げる。

「あー、男二人で、ってこと」

「ヘェ〜、そう言うアルか」

劉はすぐさまポケットからスマートフォンを取り出すと操作をし始めた。とりあえず〈やろう〉と打ち込んで出て来た変換された文字を福井に見せて「どれ?」と尋ねる。出て来た文字の中には〈殺ろう〉なんていうのもあって、日頃からつい面白がってこの中国人留学生の後輩には嘘を教えたりもするのだが、からかうにはあまりにも物騒な言葉だ。福井は「これ」と言いながら、正しく〈野郎〉の文字を指差した。

「ナルホドまたひとつ、勉強になったアル。ありがとアル!」

そう言って切れ長の細い目をますます細めて、劉は嬉しそうに笑った。さっきまでのふてぶてしい態度とのギャップが激しい所為か、廊下でお喋りをしていた福井のクラスメイトの女子達から「可愛い〜」という声が上がる。どこが? と福井は顔を顰めたが、当の劉は少し照れ臭そうな表情で、先輩女子達に向かって「謝謝」などと応え小さく頭を下げたものだから、女子達の声は、「キャー?」という歓喜の悲鳴に変わった。こいつ絶対分かってやってやがると思ったが敢えて言わずに福井が小さく肩を竦めたとき、HR開始のチャイムが鳴り始めた。

「ヤバ! それじゃネ、福井!」

「えっ? あ、おい! オレ行くなんて言って――」

「約束アル!」

上の階まで戻らなければならない劉は、そう言い残すと慌てて振り返り、廊下を駆けて行った。








劉はいつでも福井のそばにいるわけではない。同じ寮に住んでいても、食事や登校はお互いに同級生と行動を共にすることが多い。午後練習が行われる体育館で朝振りに劉を見掛けたが、朝の約束は冗談だったのでは? と思うほどにそわそわした様子もなく、いつも以上に真剣に練習に取り組んでいる。

もしも劉が少しでも浮付いていたのだとしたら、頭……は高くて届かないので背中か尻のひとつでも引っ叩いてやるつもりだったが、どうやらその心配はなさそうだ。福井はフッと笑みを零す。

理由は明白だ。

福井と劉が所属する陽泉高校男子バスケットボール部は、来週末から開催される全国高等学校総合体育大会(通称インターハイ)に、出場する。

「おい劉! 遅れてんぞ!!」

一定の間隔を空けてペアでパスをしながら走っている劉に向けて、福井がコートの外から激を飛ばす。ランニングパスは、息を合わせて同じスピードで走ってパスを出さないと、ボールを受け損ねたり足が止まったりしてしまう。劉の足は一般の男子高校生よりは速いのだが、この全国レベルのバスケ部の中では、およそ俊足とは言い難い。

「うっせーアル!」

必死の形相でそう一言怒鳴って返した劉は、苦しさに顔を顰めながら、コートの向こうへと走り抜けて行った。







「早く! 早く着替えるアルよ、福井」

「あ?」

部活を終え、部室でTシャツの下の汗をタオルで拭いている福井の元にやってきた劉は、すでに制服に着替えていた。ちょっと待て、たった今、今日の部活の終わりの挨拶をして皆でぞろぞろと部室にやってきたばかりではないか? 光の速さで着替え終えている劉を福井は唖然として見上げた。

「お前アレ、本気だったの?」

「えっ?」

劉は細い目を大きく見開く。

「福井は、本気じゃないと……思ってたか?」

大きな肩を小さく竦めて、シュン、と寂しげに福井を見下ろす劉の表情は、朝の女子達に見せた確信犯的なそれではなかった。知っている。この後輩は、クソ生意気なくせに時としてひどく繊細で、臆病だ。そしてそれは主に、自分に対してのみ見せる表情であることも、福井はとっくに気付いていた。「ハッ……」と仕方なさげに息を吐き、福井は再度劉を見上げる。

「しょーがねぇな、すぐ着替えるから待ってろ」

「わかったアル!」

打って変わった現金な笑顔に、いやこれも実は確信犯か? と思わなくもなかったが、それならそれでも、もう良いような気がしていた。出会ってから一年と少し、中国からたった一人でやってきた背ばかり大きな留学生の後輩を福井は何かと世話してやってきた。部活ではもちろん厳しく指導するが、そこを離れれば何だかんだで情が湧いて、結局のところ福井は、劉に甘い。

「何だか嬉しそうだね、劉」

近くで着替えをしていた氷室が劉に尋ねた。劉と同学年の氷室は、一学期にアメリカから編入してきた帰国子女だ。

「これから福井と花火大会デート?アル」

「Wow! それは素敵だね」

!!」

「……イテッ!」

「ふざけたこと言ってんじゃねーぞ劉! 氷室が本気にすんだろが」

劉の尻に福井の蹴りが入った。本気ではないとはいえ、冗談でもなさそうで、尻にそれなりの痛みが走る。

「大丈夫ですよ、福井さん」

「は? 何が」

「オレ、男同士とかそういうのに偏見ありませんから」

「ハァァ!?

福井の素っ頓狂な声とは裏腹に、氷室は穏やかに微笑む。

「お前もそのアメリカンな脳みそ何とかしろー!!

福井の怒声は、部室中に響き渡った。






花火大会といっても決して大きな大会ではなかった。土・日曜日に開催される地元の祭りの一日目の最後に二千発ほどが打ち上げられる小規模なものだ。時間も三十分間と短いが、公園の運動広場を閉鎖して打ち上げられるため比較的間近で見ることが出来るので、人出はそれなりに多い。劉と福井は、町でいちばん大きな公園へと急ぐ。

「お前、氷室に何も言ってないだろうな」

部室でのやり取りを思い出した福井は、疑心を抱いた眼差しで、劉を見上げながら尋ねた。

「言ってねーアル」

福井を見ることなく、劉は素っ気なく答える。

「言えるわけ、ねーアル」

どこか寂しげに聞こえるその声に。福井は、「なら、いいけど」と答えるしかなかった。

辿り着いた公園では、花火の前の最後の催しである盆踊りが行われていた。踊りの中心に建つ櫓と、そこから周囲に広がる提灯と、屋台の灯りが暗い夜道を歩いて来た二人の目に眩しく映る。盆踊りを見るのが初めてだと言った劉に福井は「見よう見真似で踊って来いよ」と輪の中に入ることを勧めたが、さすがに二〇三センチの長身で輪に入り、知りもしない日本の踊りに挑戦する度胸はない。「ブレイクダンスなら踊るのにナ」と言って、劉は悪戯っぽく笑った。

部活で散々体を動かして腹が減って仕方のない二人は、屋台の焼きそばとたこ焼きとアメリカンドックでとりあえず空腹を満たした。今は、あんず飴を食べている。丸い最中の皮の上に乗った透明の飴の中心に、オレンジ色が透き通って見えている。ひどく甘い水飴の所為か、ようやく口にしたあんずは予想以上に酸っぱく思えた。

やがて盆踊りの最後の一曲が終わった。終了のアナウンスに続いて、花火大会の開始のアナウンスが流れる。本日はお天気も良く、きっと花火も夜空に映えることでしょう。そんな言葉の後に長い沈黙があり、周囲の祭り客の間にも、どこか静けさが広がる。

と、沈黙の最中、ポーン、という空気音がした。その方向すなわち運動広場の方角を見やると、ひゅるひゅるひゅるとひとすじの光が空に向かって立ち上って行く。

光の筋は高く上がった空の上で、一瞬にして大きな、丸い光を放った。そしてそれとほとんど同時に、ドン! と地鳴りが腹に響くほどの大きな音が鳴る。祭り客たちは、我に返ったように歓声を上げて、最初の一発に大きな拍手を送った。

二発目、三発目と大きめの花火が上がり、少しの間を置いて、今度は立て続けに色とりどりの花火が夜空を彩る。

「綺麗アルな……」

と、劉は静かに呟いた。あれだけ楽しみにしていたのだからもっとはしゃぐかと思っていたが、それきり黙って夜空を見上げるさまは、福井にとって予想外であった。

「中国のと何か違うのか?」

福井は空を見上げたまま、劉に尋ねた。中国に花火大会という催しがあるのかどうかすら分からなかったが、何となく。

「日本の花火は、静かアルね」

「静か? こんだけデカい音なのにか?」

「静かで、とても綺麗アル。故郷の花火大会、夏じゃなく春節の時にやるネ。一カ所じゃなくて街中の空のあちこちで上がるし、下では爆竹バンバン鳴ってすげー煩いアル。あまり、綺麗じゃナイ」

「へぇ〜」

「でもコレは、静かで、綺麗で、だからちょっと、なんかよく分かんないケド、少し、寂しい気がするアル」

劉の言いたいことは、分かるような気がした。けれどそれを中国人の彼に伝えることは、難しい。

「それはな、劉」

「ウン?」

「日本の花火には情緒があって、お前がそれを感じれてるってことだな」

「ジョーチョ?」

「風情、とも言うかな。寂しいと思うのは、うーん……ずっと見ていたいような? 終わって欲しくないよう―――っ?」

突然、腕を掴まれた。何事かと隣を見上げると、「それアル」と言って、劉が福井を見下ろしてきた。どこか、悲しい目をして。

「終わったら寂しいアル。ずっと……福井、ワタシずっと、福井と見ていたい、アル」

「…………」

何も答えられなかった。なぜなら、ずっと、は無いから。

これまで色んな日本の言葉を教えてきた。国語が得意だから少しも苦ではなかったし、むしろ楽しくもあった。だけど、言葉は教えられても、感情という形の無いものは教えてやることができない。半袖のワイシャツの下の二の腕辺りを掴んでいた劉の手が、するすると福井の肌を伝う。大きな手は、手首まで降りたところで止まった。何も言えずに劉を見上げたままの福井に、劉は少しだけ顔を近付けた。

「ホントは手、繋ぎたいケド、ここじゃダメアルね」

答えを求めないのは、劉の気遣いなのだろう。誰が悪いわけでもないのだけれど、少しの罪悪感に、胸の奥を掴まれるような痛みが生じる。

「ちゃんと、最後まで見ておけよ」

劉の手を振り解くことなく、手首を掴まれたままの福井は再び夜空を見上げた。

「ン」

と答えて、劉も鮮やかに彩られる夜空を見上げた。







next

 

 

novel

top