3 手を繋いで歩きませんか?





時刻は8時30分。劉、氷室、紫原の3人は、共に寮の玄関を出た。

これなら15分前には体育館に着くだろう。部活前から走る事態は避けられそうだ。

「おっと」

「っ・・あっぶねーだろーがよぉっ!!!!」

寮を出て最初の角を曲がったところで、先を行く紫原が男とぶつかりそうになった。男は少しだけ年上だろうか。成人しているかどうか、といったところで、いかにもヤンキーでガラの悪そうな風貌であった。男の隣りには、髪を茶色く染め、派手な化粧をした制服姿の女子高生が男と手を繋いで立っている。

ぶつかったわけでも、紫原に特に非があったわけでもないのだが、男は息巻いて突っかかろうとした。が、紫原の巨体を見上げると、「ちっ」と大きな舌打ちをしてから道路に唾を吐いて、そのまま彼女の手を引いて通り過ぎた。

「巨人かよ・・」

すれ違いざま、そんな呟きが聞こえた。紫原の眉が歪み、背後にいた劉のこめかみも、ピクリと動く。氷室も不快感に、顔を顰めた。

「聞こえてんだけど?」

紫原は振り返り、一歩二歩と歩を進めた。急いで追ったわけではないが、大きな歩幅はたった二歩で二人に追い付く。男は驚いて振り返ったが、すでに真後ろに立っていた紫原を見上げてさらに驚き慄いて、足がよろけてしまった。両手が空いていればバランスもとれたのだろうが、手を繋いでいたせいで片手しか空いておらず、男は体を支えきれずに地面に膝を突いた。繋いでいた手をいきなり引かれた少女は、気の毒なことにその場に崩れ落ち、しりもちをついてしまった。少女は彼氏である男に向かって痛いとかヒドイとか文句を言いながら、繋がれていた手を激しく振り解く。

その情けない格好を嘲笑って眺めていても良かったのだが、学校や部のイメージを損なう行動は慎むよう日頃から厳しく指導されている。あくまでもスポーツマンらしく。3人は申し合わせたかのような行動に出た。

「後輩がすまない」

まずは劉がひと言詫びて、男の右の脇に手を入れた。

「ごめんね〜」

劉に促され、紫原も素直に謝りながら、男の左脇に手を入れた。

劉と紫原で男の両脇を抱え、そのままひょいと持ち上げると、身長170センチあるかどうかの男の足は呆気なく宙に浮いた。

その間に氷室は、しりもちをついてしまった少女に向けて、やさしく手を差し伸べる。

「ごめんね。大丈夫だった?」

申し訳なさそうに表情を歪める氷室を見上げ、少女は暫し声を失った。こんなイケメン、テレビや雑誌の中にしか存在しないと思っていた。差し伸べられた手を取る前に、少女はスカートが捲れ上がっていることに気付き、慌てて直した。スカートの下にはスウェットを穿いていたので何を見られたわけでもないのだが、少女の頬は赤く染まった。

差し伸べられた氷室の手にそっと手を重ねると、氷室はそれをギュッと握った。少女の胸がトクンと高鳴る。強く握った手でやさしく手を引かれ、少女はゆっくりと立ち上がった。立ち上がってみて初めて気付く。少女は氷室の背の高さに驚き、その綺麗な顔をうっとりと見上げた。

「痛いところとか、ない?」

「あ、うん、平気」

「よかった」

氷室が安心したように微笑みかけたところで、「オイ」という男の声がした。「行くぞ」と言いながら少女の手を取ろうと指先が触れると、少女はサッと手を避けた。やがて二人は手を繋ぐことなく、氷室たちが向かう反対方向へと去って行った。

「ちょっと気の毒だったかな」

3人は、再び学校への道のりを急ぐ。

「手なんか繋いでるからアル。リア充爆発しろアル」

「スカートの下にスウェットとか意味わかんねーし。パンツぐらい見せろ、っつーの」

「スウェットなくてもJKフツーは紺パン穿いてるネ。紺パンは悪アル」

「なんで劉ちんそんなこと知ってんの?」

「日本の常識アルよ。なぁ氷室?」

「っていうかさ・・あの子じゃオレ、きっと下着脱がれても勃たないな」

「 「・・・・・・」 」

唐突な発言に、劉と紫原は呆れた顔で氷室を見た。

「出た〜〜、下衆ちん」

「下衆いアルな」

「何だよ、自分の好みくらい主張したっていいだろ?」

「腹立たしいのは氷室のこういう部分を学校の女子たちが誰も気付いてないってことアルな」

「食堂のおばちゃんも含めてね〜」

「オレが悪いみたいな言い方だな」

「大体さっきのアレ、オマエわかってやってたダロ」

「・・え?」

どれ?などと惚けた声を返しながら、氷室は肩を竦めて笑う。

顔が良くて、運動神経が良くて、アメリカ帰りで英語がペラペラで、勉強も苦手科目を除けばそこそこ出来て、誰にでも(とりあえず)優しくて、とにかく女にモテるのだけれど。その実、案外抜けてて、驚くほど大雑把で、男友だちとはフツーにバカやって・・と聖人君子然としていないところが、女にモテても同性から妬まれない所以なのだろう。
氷室がそういうヤツだから仲良くできたし、そういうヤツだから、氷室のことが好きなのだ。

「・・・?」

好き?・・と、声には出さず、劉は心の中で呟いた。好きの意味を考えるより先に、氷室の頬にキスをした自分を思い出した。劉は横目で氷室を見て、すぐにまた視線を戻す。冗談で済ませたが、あの行為を氷室はどう感じたのだろう。朝食のときもその後も、あの一件についてはお互い触れていないので、氷室が何を思ったのか知る由もない。

氷室に対する好意が少しおかしな方に向かっていることは、劉自身薄々気付いている。気付かない振りをして友情としての好意を向けようと思っても、心の奥にある違った好意が頭を擡げてくる。だから最近、それを抑えるのが少し苦しいときがある。それでも抑えなくてはならないのだろう。抑えられなくなったとき、きっと、友情も崩壊する。

「てゆーかさぁ〜」

紫原の間延びした声がして、劉は思考を止めた。

「オレとか劉ちんて、しょーらい彼女できても手繋ぐの大変じゃね?」

さっきのカップルや町で見かけるカップルの姿を思い浮かべ、紫原は純粋な思いを口にした。

「アツシ・・べつに将来じゃなく今だっていいんだよ?ウチの部恋愛禁止じゃないんだし」

「うーーん、でも今はそんなんいらねーってゆーか、めんどい」

「そうなんだ?」

お菓子とご飯とバスケ以外興味を示さないのかと思っていたら、そういうわけでもなさそうで、けれど今はまだ、お菓子(と、もしかしたらバスケ)が勝る・・と言ったところだろうか。氷室はそんな後輩を微笑ましく見上げる。
やけに温かな氷室の視線が何だかむず痒くて、紫原はそれから逃れるように劉の方を見た。

「・・ん?・・あ・・そういえば!!」

劉の顔を見た紫原が、何かに気付いた。

「・・なにアル?」

「劉ちん、彼女いたじゃん!」

「!!??」

「えぇっ!?」

紫原の発言に、劉は声も出せずに細い目を見開き、氷室は驚きの声を上げた。

「な、なんの事、アルか?」

「うん、思い出した・・オレがバスケ部入った頃にね、同じ学年のやつらと寮に帰るとき、前に手ぇ繋いだカップルがいて〜」

「うんうん?」

「アツシもうイイ、言うな」

「アツシ、それで?」

「それで〜、男の方がすげーデカかったからバスケ部じゃね?って言ってたら、アレは1コ上の留学生の先輩だよ、って誰かが教えてくれたんだった」

「そ、それ、ワタシじゃないアル」

「はぁ?何言ってんの、ウチの部で1コ上の留学生なんて劉ちんしかいねーじゃん」

「往生際が悪いぞ、劉」

「・・・っ」

「!!ってぇーーっ!!!」

紫原の尻に、劉の蹴りが入った。もちろん本気ではないが、それでもかなりの衝撃だろう。劉の顔は真っ赤に染まり、火照った頬と、耳まで熱い。どうして今なんだ。どうして氷室がいるときなんだ。ちらと氷室を見ると、ニコニコと微笑んでいる。彼女がいたことはべつに知られても構わない。恥ずべきは、その後だ。

「で、誰なんだい?いま何組の子?」

「ってか劉ちん、いつの間に別れたの?」

今の劉に彼女がいないことは明らかだ。昨夏に氷室が編入したときにも彼女がいる様子はなかった。

「もう、いないアル」

「・・え?」

「死んじゃった・・の?」

「阿呆、勝手に殺すな」

「え?だって・・」

「もう卒業していないアル」

「?」

「ひゃ〜〜、年上だったの?劉ちんヤルじゃん〜」

「それは意外だな」

「もういいダロ、部活に遅れるアル」


劉は少し歩を速めて先を歩き始めたが、氷室と紫原にしてみれば、ここで終わらせるには惜しい話題だ。

美人だった?可愛かった?性格は?チューくらいした?ってか、エッチしたの?

そんな矢継ぎ早の質問に、いよいよ劉の眉間に皺が寄り始めた。氷室はマズイと悟り紫原を止めようとしたが、時はすでに遅かったようだ。
劉は眉間に皺を寄せたまま、勢いよく振り返った。

「カワイイより美人系性格は世話焼きな姉さんタイプチューぐらいは当然したけど寮だし毎日部活だしエッチする暇もなく1か月で別れ彼女はその後ハンド部主将とヨロシクやってラブラブバカップルと祝福されながらこないだ卒業したアル!!」

そこまで一気に言い切ると、劉は少し息を切らせながらこれで満足か?と氷室たちを睨みつけた。

「えっと・・なんか、ごめん・・」

「ごめん〜〜」

「もう・・いいアルよ。あんまりイイ思い出じゃないけど、悪い思い出でもナイからな」

険しい表情を解き、劉は仕方なさそうに肩を竦めた。

「じゃあさ劉ちん、あの時オレ、すげー貴重な場面に遭遇したってこと?」

「超貴重、写メってたら金取れるレベルアル」

「そ、それはどうだろう?」

苦笑する氷室に向けて、冗談アル、と劉も笑った。

「ねぇ、劉ちん?」

劉が笑ったのを確認して、紫原はめずらしく控え目に声をかけた。

「ン?」

「も1コだけ聞いていい?」

「内容にもよるナ」

「オレ、あのとき劉ちんがデカかったのしか覚えてないんだけど・・先輩って、ちっちゃかった?ちゃんと手繋げた?」

そういえば、元を辿れば2メートル超えの自分たちが女の子と手を繋ぐのは大変じゃないか、という話をしていたところだった。もしかして紫原は、そんなことを本気で心配しているのだろうか。劉は思わず愛想を崩した。

「女子の中では背高かったけど・・170はナイ言ってたアル。大丈夫アツシ、フツーに手は繋げるヨ。ついでに彼女細かったけど、ギュって抱きしめても潰れることナイから安心するアル」

「そ、そこまで聞いてねーし。ってか、なに今さら惚気てんの?」

「オマエのために言ってやったのに何だソレ、生意気アル!!」

何かと言い合いをしながら歩く二人の後をついて歩きながら、氷室は劉の後ろ姿を見つめた。

劉の手が大切な誰かの手を握り、キスをして、抱きしめる。
驚くようなことじゃない。自分にだってそれくらいの経験はある。
驚いているのは、劉の彼女であった先輩が羨ましいと思ってしまったこの思考だ。
朝の頬へのキスから何かがおかしい。というよりも、気付かない振りをしていたものが溢れ出してきてしまったような。


全部、劉のせいだ。


繋がれることのない手を、氷室は強く握りしめた。







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