4 真昼に揺れる、みじかい告白




「氷室、劉、ちょっといいか」

午前の練習が終わり、昼食休憩に入ろうかというところで、氷室と劉は顧問の荒木雅子に呼ばれた。練習中以外に荒木から名指しで呼ばれると、大抵の部員は自分が何かしただろうかと慄くものだが、主将の氷室と副主将の劉にとってはよくあることだ。はい、と返事をした二人は荒木の元へと急いだ。

荒木の用件は午後の部活のことで、これれから自分は所用で出掛けなければならないので午後練の指導は二人に頼む、というものだった。手渡された紙にはいつもの練習メニューに加え、今日特に意識して行う点などが書かれている。氷室は「わかりました」と答え、それを受け取った。

一礼をして荒木を見送った頃には、すでに手や顔を洗った部員たちが続々と戻ってきていた。劉と氷室もバッグの中からスポーツタオルを取り出して、手洗い場へと向かった。

男子トイレと女子トイレのドアの間にある手洗い場には、蛇口が5つ並んでいる。劉が端の水道で手を洗い、氷室もその隣りで手を洗う。常備してあったポンプ式のハンドソープを使って洗っていると、女子トイレから二人の女子生徒が出てきた。隣りのアリーナでやはり部活動をしていた女子バレー部の部員のようだ。彼女たちは一旦歩き始めたのだが、こちらの存在に気付いたのだろう。あ、ほら、とか、氷室先輩だ、とかいう潜めた声が僅かに聞こえたかと思うと、二人はなぜだか手洗い場に戻ってきて、手を洗い始めた。

老若問わず女にモテまくる氷室と一緒にいる事の多い劉にとって、こんなことは日常茶飯事だ。女子たちはチラチラとこちらの様子を窺っている。彼女たちの視線をおそらくは氷室も感じているだろうが、氷室自身もまたそんなことには慣れたもので、視線に少しも気付かない振りをしている。劉は小さなため息を吐くと、首にかけていたスポーツタオルを足の間に挟んでさっさと顔も洗った。この時期の水はかなり冷たく感じるが、汗にまみれた顔をタオルで拭ううだけよりはずっと気持ちが良い。スッキリとした顔をタオルで拭きながらふと隣りを見ると、氷室も顔を洗い始めていたのだが―――。

フェイスタオルよりもかなりサイズの大きいスポーツタオルを首にかけたまま体を屈めていたため、氷室のタオルには蛇口から流れる水がかかってしまった。かかった水の重みでタオルはスルっと氷室の首から洗い場に落ちかけた。またか、と呟いた劉が咄嗟に反対の端っこを掴んだが、氷室のスポーツタオルは半分ほどが水に浸かってしまった。氷室はといえば、ヤバ・・と言ったきり、両の手を顔を洗う形にしたまま下を向いている。そんな氷室を見た女子二人は、カワイイ、とかなんとか小声で囁き合っている。

「劉」と名を呼ぶ氷室の声がした。蛇口からはザーザーと水が流れたままだ。劉は仕方なく、水道の蛇口を閉めた。

「ほんっとにどうしようもないアルな」

こっち向け、と言いながら劉は氷室の肩に手を掛けてグイとその体を引き起こした。氷室の頬や顎からポタポタと垂れる滴を劉は自分の首にかけたタオルの端で拭い、さらに顔面に残っている水滴を少し乱暴に拭いてやる。途端、女子たちから「きゃぁ」という悲鳴のような声が漏れた。悲鳴といっても恐怖ではなく、黄色い声の方だ。声に反応した劉が無言で二人を見ると、女子たちはすみません!すみません!と頭を下げながら、脱兎の如く駆けて行ってしまった。劉が氷室の顔からタオルを退けたときには、二人の姿は第2アリーナの中へと消えていた。

「劉・・」

「ン?」

「世話になっておいてアレだけど・・今の何なんだよ」

「今のって?」

「いつもみたいにタオル貸してくれれば済むことじゃないか」

「ああ・・ちょっと、面白そうだと思ったアル」

「面白い?」

「女子は男同士のああいうの好きアルな」

「・・オイ」

歪められた氷室の表情には気付かない振りをして、劉は氷室のタオルの濡れた部分をギュッと絞った。ホレ、と手渡すと、氷室はそれを奪うようにして受け取った。何が面白いものか。今頃女子バレー部の間では、たった今起こった出来事の一部始終が語られているに違いない。自分の言動が度々女子の話題に上がるということを氷室は自覚している。また、その後は往々にして誇張された噂が先行することが多いことも知っている。

「何で今日に限ってああいうことするんだよ」

「だったらワタシの手を退ければよかったアルよ」

「そうしたらそうしたで、オレが劉を嫌がってると思われるかもしれないぞ。女って想像力豊かなんだから」

「お?そのシチュもよかったかもしれないアルな」

「劉っ!!」

氷室は少し声を荒げて劉を見上げた。

「なぜそんなに怒るアルか?」

「怒ってるわけじゃないけど・・ヘンな噂立てられたら劉だってイヤだろう?」

「ヘンなって?」

「・・・ホモ、とか」

「・・っ・・あっはははは!!」

劉は声を上げて笑い出した。

かと思うと、ずい、と氷室の目の前に顔を近付けて、

「ワタシ、氷室が相手だったらいいアルよ」

などと小さく囁きながら、にやりと笑ってみせるのだ。

急に顔が近付いたことにも、劉の科白にもドキリとして、氷室は言葉を返すことができなかった。今朝の突然の頬へのキスが脳裏を過ぎる。そんなことあるわけないが、もしもこのまま口付けられたらどうしよう、と思うほどに劉の顔が間近にある。一度は視線を合わせてみたが平常心を保てそうになく、数秒と持たずに氷室は一歩退いて劉から離れた。返答のない氷室をどう思ったのか、劉は仕方なく体を起こし、少し面白くなさそうな表情で息を吐いた。

「反応なしか。つまらないアル」

肩を竦めた劉の様子は、先の言葉がただの冗談であることを裏付けた。それはわかっていたことなのに、氷室の胸には悔しいような、悲しいような、何だかよくわからない感情が込み上げる。

「冗談ならやめてくれ」

そう言って氷室は振り返り、劉に背を向けて歩き出した。

―――つもりだったが、歩き出すよりも早く劉に手首を掴まれた。掴まれた手首を強引に引かれ、氷室は再び劉と向かい合う。
見下ろしてくる目が、ひどく真剣だった。暫く氷室を睨むように見下ろしていたが、掴む手に少し力が入るのと同時に、劉はゆっくりと口を開いた。

「本気だったらいいのか?」

いつもより少しトーンの低い声と、鋭い眼差し。これはきっと、冗談ではない。
刺すような視線が痛い。ドクンドクンと大きく脈打つ心臓の音が耳の奥で煩く響く。「いいよ」と口走ってしまいたくなる気持ちを今、必死で抑え込んでいる。

だって劉は、同級生で、部活の仲間で、仲の良い友人で、

オレと同じ・・男だ―――。


「あり得ないだろ」

氷室は掴まれていない方の手で劉の手を引き剥がすようにして退けると、今度こそ背を向けて歩き出した。
掴まれた手首には、薄っすらと劉の指の痕が付いていた。




残された劉は立ち尽くし、遠ざかる氷室の後ろ姿を目で追った。
氷室が言った「あり得ない」という言葉には、幾通りかの意味が考えられた。氷室にとっては何が「あり得ない」のか。それは、劉にはわからない。

「日本語、めんどくせーアル・・」

本気で言ったはずの短い告白は、曖昧な答えしか残さずに、二人の胸を燻らせた。






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