| 9 涙は闇に溶かしましょう
氷室のコートのポケットの中で、携帯が鳴った。 「何の用か?」 せっかくイイ感じだったのにブチ壊しやがって、と恨み言のひとつも言いたかったがそれは表には出さず、劉は落ち着いた口調で尋ねた。 「う・・ん、なんか、劉の部屋にDVD置いといたから二人で見ろってさ」 「DVD?何の?」 「書いてない・・けど、必ず二人で見て感想聞かせて、だって」 「ワタシの部屋に置いたのに何で氷室にメールするアルか?」 「ていうか、オレたち一緒にいるの前提なんだな」 劉の顔が、なぜだか熱くなる。その言葉に他意はないはずだ。なぜなら氷室は劉の顔を見るでもなく、俯いて携帯の画面を見ながら紫原への返事を打っている。 意識し過ぎだ―――。劉は頬の火照りを治めようと空を見上げ、大きく息を吐く。 「何のDVD?って聞いたら見てのお楽しみ、だって」 「何だソレ」 「そういえば昨日の夜さ、アツシの学年の奴ら、娯楽室に集まって何か見てたなぁ」 「それか」 「たぶん」 「娯楽室で見てたってことはエロいのじゃないってことアルな・・」 「残念かい?」 「スコシ・・な」 「すごく、だろ?」 「ハハッ・・」 二人は顔を見合わせて笑った。携帯を仕舞った氷室は自分のポケットから出した手をそっと劉のコートのポケットへと忍ばせて来た。驚いた劉の心臓は大きく跳ねたが、平静を装い、少し冷えた氷室の手をやさしく握る。 だから、お互いの顔は見なかった。この田舎道を歩き始めてから初めて出会った対向車のライトに照らされるまで、二人が握った手を離すことはなかった。
「あー、やっと帰って来た〜」 寮へと戻った劉と氷室をロビーで出迎えたのは、紫原だった。 「アツシ・・もしかしてずっと待ってたのかい?」 「まっさかぁ。オレ、これから上映会だし」 「オマエらの学年は毎晩なにしてるアル」 「なんか実家からDVDいっぱい送ってきたってヤツがいて〜、面白いから見てんの」 確かに紫原がロビーにいたのは偶然のようで、後ろにいた同級生を振り返り、先に行ってて、と促した。紫原の友人は先輩である劉と氷室に深く頭を下げると、娯楽室へと続く廊下を歩いて行った。 「で、結局オレたちに見ろっていうのは何のDVDなんだい?」 「だから見てのお楽しみだって〜。感想・・っていうか、二人の反応知りたいから絶対二人で見てね」 「意味深アル。AVじゃねーんダロ?」 「その反応も見てみたいけど〜、残念ながら違うんだな劉ちん」 「もしかしてホラーか!?ホラーならオレ全然大丈夫だぞ!」 氷室の目が、少し輝いたような気がする。 「う〜ん、ホラーでもないんだなー。とにかく見てよ。劉ちんのパソコン、DVD見れたよね?」 「ああ」 「じゃ、そーゆーことで。早くしないと始まっちゃうしー」 「今日は何見るんだ?」 歩き始めた紫原の背中に氷室が声をかける。 「んー?ミュ●ツーの逆襲〜」 紫原は顔だけ横を向いてそう答えると、ひらひらと手を振って行ってしまった。 「・・・ミューツウの逆襲?怪獣映画か?SFアルか?」 「うーん、何だったかなぁ?オレ絶対聞き覚えがあるんだけど・・」 去って行く紫原の後ろ姿を眺めながら、二人は首を捻った。
劉の部屋のパソコンの上に置いてあったのは、怪獣映画でもSF映画でもなかった。 「まさかの動物モノアル・・」 「動物っていったら感動モノかな?」 「お涙頂戴の作り話ダロ?」 「んー・・いや、実話をもとに、って書いてある」 「へぇ・・」 劉は部屋の温風ヒーターのスイッチを入れ、脱いだコートをベッドの足元に置かれたハンガーラックに吊るす。買い物の袋の中から要冷蔵品を取り出して別の袋に入れ、冷蔵庫入れてくる、と言い残していったん部屋を出た。 部屋に戻ってくると、氷室は相変わらずパッケージの裏面のあらすじを読んでいた。脱いだコートは劉のベッドの端っこに無造作に置かれている。 「なんか、本当に感動モノみたいだよ?」 「マジで見るのか?」 「うん、見ようよ」 ハイ、と劉にDVDを手渡すと、氷室はさっさとベッドに腰掛けた。劉は仕方なく、机上のノートパソコンを開いて電源を入れる。少し遠いか、と独り言のように呟くと、劉はパソコンを椅子の上に置いて、キャスター付きのそれをベッドの前まで移動させた。 「そっち、乗るアル」 劉はしっしっと追い払うような手振りで氷室にベッドの上に乗るよう促した。何事かと思いながらも言われたとおりにベッドの上に乗ったが、劉にさらに手振りで払われる。じりじりと氷室が後退すると、背中が壁に当たった。なるほど、と納得し、氷室は壁を背もたれにして体育座りをした。 劉がパソコンにDVDを挿入すると、DVD再生ソフトが自動的に起動した。マウスを操作する場所がなく、指先で拙くカーソルを動かして全画面表示にした頃には読み込みも終わっていて、すでにメニュー画面が表示されていた。全編再生にカーソルを合わせEnterキーを押して、DVDを再生する。
それは、とある天災により村に取り残された母犬と3匹の子犬の物語だった。 「どうして連れていってあげられないんだ」 「人間の命の方が大事だからダロ」 「そんなの・・」 わかってるけどさ、と言いながら、氷室は寄り掛かっていた背中を丸めて膝を抱えた。劉に背を向けたのは、視線を避けるためだ。二人の反応を知りたいと言った紫原の魂胆が今わかった。自分が泣くであろうことを容易に想像していたに違いない。或いは、氷室ほど喜怒哀楽の差がない劉の反応も気になるところか。見るんじゃなかった、と心の中で呟きながらも、犬たちから目が離せない。残された4匹は、人のいなくなった集落で野生のままに生きなければならなくなった。しかも3匹はまだ小さな子犬だ。母犬が懸命に餌を探し、カラスなどの外敵から子供たちを守っている。何にせよ、そんな状況の中でも子犬たちは無邪気で、あまりにも可愛いのだ。 「やば・・」 という小さな声を境に、氷室が大きく鼻を啜り始めた。劉は暫し様子を窺っていたが、やがて無言で体を動かしベッドから下りた。机の上のティッシュの箱を手に取り、やっぱり無言で氷室へと差し出す。差し出されたそれを受け取るときに劉を見上げたが、劉は氷室の顔を見ないようにしているようだった。劉は再びベッドの上に乗り、さっきと同じように壁に寄り掛かって胡坐をかいた。氷室は何度となくティッシュを引き出して、鼻をかんだり瞼を拭ったりしている。暫くすると、劉がまた、ゆっくりとベッドから足を下ろした。 「ホレ」 そう言って氷室に差し出されたのは、ゴミ箱だった。いいのか?と氷室が尋ねると、何が?という声が返ってきた。 「だってオレの鼻水だらけだぞ」 「じゃあお持ち帰りするアルか?」 「それでも・・いいけど」 「阿呆か」 劉は氷室の後頭部をポンと叩いた。 「そんなコト気にする関係じゃないダロ、ワタシたち」 その言葉の意図はわからなかった。どんな関係?と問えばおそらくは友達、とかチームメイト、とかいう答えが返って来るのだろう。それでもなぜだか、”関係”という響きが意味深に耳の奥に届いて、氷室の胸に何かもやもやした感情が湧き上がる。 「うん、そうだな」 何がそうなのか自分でもよくわからなかったが、そう答えるしかなかった。劉は真っ直ぐ前のパソコン画面を見据えている。氷室は前のめりの体を起こして、壁を背に寄り掛かった。劉がどんな反応を示すか不安はあったが、衝動が抑えきれない。氷室は腰を浮かせて劉との距離を詰め、首を傾げて劉の肩に凭れ掛かってみた。 これでも自分たちは”友達”や”チームメイト”という関係なのだろうか?
お互いが、それを問うことはなかった。
ずるずると鼻を啜る音が、劉と氷室、双方から聞こえる。 「よかったな・・無事に会えて」 「動物モノはハッピーエンドと決まってるアル」 「うん・・でも、ホントによかった」 「そう、アルな」 住民が避難し無人となった集落に取り残された母犬と3匹の子犬は、たくましく生き抜いていた。その後、戻ってきた飼い主家族とも再会を果たすことができた。苦難を乗り越えた末のまさにハッピーエンドである。お涙頂戴な作りであることはわかっているのだが、それが事実に基づいているという点と、無垢な子役の演技の上手さと、犬たちの可愛さに負けてしまった。画面には、エンディングのスタッフロールが流れている。 「なぁ、劉」 「ン?」 「これ、アツシも絶対泣いたんだと思わないか?」 「だからワタシたちも道連れにしたアルな」 「やられたなぁ・・」 「悔しいアル。明日アイツだけ外周増やすアル」 「ダメだろそういうの・・公私混同って言うんだっけ?」 「職権乱用とも言うアル」 二人はお互いを横目で見て笑った。劉の目はまだ少し潤んでいて、切れ長の目尻が少し赤くなっている。氷室に至っては目も鼻も真っ赤で、声はもはや詰まった鼻声だ。 「しかし参ったな・・オレ今ひどい顔してるんだろうな」 「イケメンは泣いてもイケメンアルよ」 劉が氷室の顔を覗き込もうとすると、あんまり見るなよ、と言って顔を背け、氷室は再び劉の肩に凭れ掛かった。おかげで劉は氷室の顔を見ることができない。 「映画はもう終わったアルよ」 「そうだな」 「じゃあコレは何アルか?」 肩に凭れる氷室の黒髪を劉はくしゃりと撫でた。 「うーん、何となく」 「何だソレ」 「・・ダメか?」 「・・・・・・」 ダメなわけがない。むしろずっとこうしていたい。そう、言えたらいいのに。パソコンの画面では、映画のエンディングも終わり、黒い画面に白抜きの文字で最後の注意書きが表示されている。やがて画面は、DVDメニューへと戻った。 二人にはもう、することがない。ただ肩を寄せ合い座っているだけ。何か会話を、と思うときほど話の種は浮かんでこないものだ。徐に、氷室が手を伸ばしてきた。劉が座る胡坐の上に手を滑らせ、劉の手を探り当てると、指を絡めてそっと握る。劉は思わず氷室を見下ろしたが髪の毛しか見えず、その表情はわからない。 「これじゃあ・・恋人繋ぎアル」 「イヤかい?」 「いや・・・」 と答えてから、それでは”嫌”という意味にも取れることに気付いた劉は慌てて「NO」と言い直した。氷室の肩が少し揺れる。笑ったのかもしれない。劉はやんわりと繋がれた手に力を込めた。それから繋いだままの手を持ち上げて、氷室の手の甲に軽く、口付ける。氷室はゆっくりと顔を上げ、劉を見上げた。少し、驚いたような表情だ。 「イヤだったアルか?」 さっきの氷室と似たような問い掛けをしてみたが、氷室はそれに答えることなく、ただ、劉を見上げている。劉は横目で氷室を見下ろしていたが、氷室はいつまで経っても劉から視線を逸らそうとしない。それは、劉の次の行動を待っているかのように思えた。 静かに押し付けられた唇は、すぐに離れた。目を開けた氷室が少し照れたように笑う。たった今、互いの唇を塞いだやわらかな感触がひどく恋しい。もっと、もっと、触れたい。触れて欲しい、と願う。 どちらからともなく、繋いだ手に力が込められる。自然に顔が近付いた氷室に、劉は再び口付けた。
「室ち〜〜ん、見終わったぁ?」 「!!!!????」 その声は、コンコン、というノックとドアの開く音とほとんど同時に劉の部屋に響いた。 「で〜、どうだった?・・って・・あー、室ちんはなんかもうわかったし」 紫原は、まだ目も鼻も赤い氷室を見下ろして言った。 「見ての通りだよ。オレも劉も子犬に撃沈された」 「待て氷室、ワタシはティッシュ1〜2枚アルよ。あとは全部氷室アル」 そう言いながら劉がゴミ箱を見せると、うわぁ・・と紫原は失笑を洩らした。 「でも、アツシも泣いたんだろう?」 「はぁ?泣いてねーし」 「自分が泣いたからワタシたちにも見せたアルね?」 「何言ってんの?ちげーし」 「照れることないぞアツシ、素直に感動できるっていうのは良いことなんだ」 「だーかーらー!違うって言ってんじゃん!!」 「じゃあワタシたちともう1回見るアルか?」 「やだよメンドくさい」 「ホレ見ろ、やっぱアツシは泣き虫アル〜」 「もうっ!!何なのこの先輩たちうぜーーー!!!」 紫原はさっさと退散することに決めた。劉のパソコンの脇を覗き込み、ここ?と劉に尋ねながら、DVD挿入口のスイッチを押す。カシャ、という音を立ててDVDが飛び出し、紫原はそれをケースに仕舞った。 「じゃあね、明日も朝からだからもう寝るね。おやすみ〜〜」 「おやすみ、アツシ」 「寝坊すんなヨ」 嵐の如く現れた紫原は、しつこい先輩から逃れるように部屋を後にした。 「アイツ・・外周プラスくらいじゃ済まないアル・・」 不満げに顔を顰める劉に、だからそれはダメだって、と言って氷室は笑った。劉の肩に手を掛け、さて・・と言いながら、氷室はベッドから下りようと膝を立てる。劉は咄嗟に氷室の手首を掴んだ。明日も朝から部活で、今の時刻は日付が変わりそうなところで、もう寝なければ朝が辛いことはわかっているのだけれど、このまま離れるのは名残り惜しくて。 「氷室―――」 「ん?」 「ここで・・・寝るか?」 え?という氷室の言葉は声にならず、口元だけがその形を作った。この部屋にもう一枚布団を敷く場所などないことは見れば容易にわかる。少しの沈黙が訪れ、劉が居たたまれなくなって手を離そうとしたとき、氷室が口を開いた。 「着替えて、歯・・磨いてくる」 掴んだ劉の手をやんわりと解いた氷室はベッドから下り、劉の顔を見ることなく背を向ける。どうしようもなく、頬が熱い。 「鼻もちゃんとかんで来るアル」 思わずプッと吹き出した氷室は振り返ることなく「OK」と答え、部屋を出た。 |